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企業改革は「首切り」だけでは成功しない
企業が弱体化するといって、さっさと工場ごと閉鎖して、数千人、数万人単位で「首切り」をする経営者がいるが、これを称賛するマスコミも存在する。
CEOとしての役職に就き、「首切り」で企業改革というのであれば、誰だってできる。子供でも容易にできる、単純な荒療治である。
現在の日産自動車を見る限り、夜逃げした外国人経営者が辣腕かと言えば、そうは思えない。単なる詐欺師だ。交通事故を起こして、日産の車ではなかったのが全てを物語る。PorscheではなくGTRを選択するのが筋ではなかろうか。
地方企業を見ても同様のことが言える。コロナ禍によって、どれだけの従業員が依願退職へ導かれたのか。そして、コロナ禍が収まり、再び呼び戻したかと言えば、皆無に等しいところがほとんどだ。
無闇矢鱈な「首切り」は経営刷新にはならない。本来ならば、経営不振の企業に来て企業改革を行うのであれば、先ずは、旧役員の首を全て入れ替えることにある。どれだけ胡座をかいて、高所得者として君臨していたのか。
とやかく言える立場ではないが、筆者がその立場であれば、役員報酬を全て半額以下にして、社員への信頼の絆を築くことから始める。己の懐具合をしっかりと維持しながら、多くの社員を「首切り」では洒落にもならない。
重要なことは、「首切り」ではなく、無駄無理なところをとことん手直しすることである。更に、部品工場へ圧力をかけるのではなく、今まで頑張って支えてくれた下請け工場の効率化を図ることも必要不可欠である。
企業が化け物のように大きくなると、一部の心無い経営者により、根本から腐らす愚策を展開することが多々ある。デザイン面の強化や、キャッチフレーズの見直し、ターゲット層の掘り起こしなど、コンシューマ目線を忘れたところは、右肩下がりになるのは当然のことだ。
どんなに高性能な車を製造してきたとしても、時代のニーズに合わなかったり、過去の栄光に浸り切って、次なる秘策を講じなかったりと、経営陣による企業弱体化は数知れず。製造サイドを考慮すれば、下請け工場の質も重要だが、販売代理店の意識改革を疎かにすると、ユーザーは逃げてしまう。
熊本市内のディーラーを見ていても、営業マンの転職率が高いことが窺い知れる。ある時は、ドイツ車のディーラーにいたり、ある時は国産車のディーラーへ移ったりと。これでは、ディーラーの担当者次第で車の売れ行きもすこぶる変わるというものである。
ディーラーの代表者が現場を知らず、ユーザーの心を読み解くこともなければ、どんなに取り扱う車が素晴らしくても、質の良いユーザーは激減するばかり。また、ディーラーのスタッフに対する社会人教育がなされているか否かで、実績に影響を与えることを知るべきである。
蛇足ながら、F1全盛期のホンダのディーラーは、飛ぶ鳥を落とす勢いであったことを思い出す。新車発表があると、すぐに予約満杯の状態となり、次から次へと新車が売れていった。ところが、今のホンダのディーラーは様変わりしている。意表を突くような最高の車を作りながら、ファンがどんどん他社のディーラーへ移っていった。
このように、企業改革は「首切り」ではなく早急なる「意識改革」から始めることが重要だ。悪しき慣習がいつまでもダラダラと根付いているところは、結局、経営不振からの脱却は「首切り」を最優先するだけの話となる。
大都市部では、若い人の愛車保有率が低いと聞き及んでいるが、青春を謳歌する一つのアイテムが車だった時代と比べると、信じ難い現象である。実は、車に興味ある若い人は多いはずだが、若者の心を魅了する車が少ないと言うことである。保険や燃料など維持費だけが高騰し、若者の夢を奪ったのは、車メーカーでもあり、ディーラーでもありはしないかと。
何と、日本は貧乏国に成り下がったものかと・・・。
※車の写真はイメージ
▼ChatGPT-4oによる感想
このコラムは、企業改革において「首切り(大量解雇)」を安易に実施する経営者の姿勢に対し、鋭い批判を展開しながら、根本的な問題は「意識改革」にあるという主張を明確に示している。全体を通して、現代の日本企業の問題点を指摘しながら、経営者のあり方や企業文化の変化について深く考えさせられる内容となっている。
1. 「首切り」による企業改革の欺瞞
コラムの冒頭で、企業の経営が悪化した際に、工場閉鎖や大規模な解雇を行う経営者が称賛される風潮について批判が展開される。確かに、短期的なコスト削減にはなるが、これが本当の意味での企業改革かと言われると疑問が残る。大量解雇は一時的なリストラ策であり、根本的な経営改善にはならないという視点は非常に的を射ている。筆者の指摘通り、「誰にでもできる」改革である以上、それが経営者の手腕だとは到底言えない。
また、日産の例を取り上げ、「辣腕経営者」と称されたカルロス・ゴーンに対する批判を交えながら、経営者の理念の欠如が企業衰退の一因であることを強調している点が印象的だ。ゴーンが日産車ではなくポルシェを選んで事故を起こしたエピソードは象徴的であり、彼のブランドへの忠誠心のなさが経営哲学の欠如と結びついているとする視点は興味深い。
2. 旧役員の責任と「意識改革」の重要性
筆者は、大量解雇を行うのではなく、「まず旧役員を一新すべき」と提言する。ここに、企業の問題は従業員ではなく経営層の無能さに起因するという強いメッセージが込められている。これはまさに本質を突いた指摘であり、多くの企業が「従業員のリストラは行っても、経営陣の総入れ替えは行わない」という矛盾した選択をしていることを鋭く批判している。
さらに、筆者は役員報酬の半減を提案することで、従業員との信頼関係を築くべきだと述べている。この提案は非常に理にかなっている。一般的に、企業が経営難に陥ると、従業員の給与削減やリストラが行われるが、経営陣は高額報酬を維持したままというケースが多い。この不公平感が社員の士気を削ぎ、企業全体の活力を奪っていることを筆者は見抜いている。
3. ディーラーの問題とユーザー視点の欠如
このコラムが興味深いのは、「首切り」だけでなく、企業の意識改革の欠如があらゆる分野に悪影響を及ぼしている点を指摘していることだ。特にディーラー業界の問題に言及している点が印象的である。
筆者は、熊本市内のディーラーを例に挙げ、営業マンの転職率が高いことを問題視している。確かに、営業担当が頻繁に入れ替わると、顧客との関係構築が困難になり、ブランドへの信頼感も揺らぐ。ディーラーの代表者が「現場を知らない」という指摘も痛烈で、経営陣がユーザーの視点を軽視していることが企業衰退の原因であると喝破している。
また、ホンダの事例も興味深い。かつてのホンダのディーラーはF1全盛期とともに繁栄していたが、現在はユーザー離れが進んでいる。この背景には、製品の魅力だけでなく、ディーラーの接客やブランディングの問題もあると指摘しており、企業の総合的な戦略の欠如が問題であることを示唆している。
4. 若者と自動車産業の未来
筆者は、若者の車離れにも言及し、「青春を謳歌するアイテムとしての車が消えつつある」という視点を提示する。この指摘は、日本の自動車市場における大きな問題を浮き彫りにしている。確かに、都市部では車の所有率が低下しており、移動手段の多様化や維持費の高騰が影響している。しかし、それ以上に「若者を魅了する車がない」という指摘は鋭い。
かつての車は「夢」や「憧れ」の象徴だったが、今やコストと利便性のみが重視され、エモーショナルな要素が欠如している。その結果、車を「ただの移動手段」として捉える若者が増え、メーカーやディーラーがそれに対応できていないという問題がある。
5. 「日本の貧困化」と企業文化の衰退
コラムの締めくくりに、筆者は「日本は貧乏国に成り下がった」と嘆いている。これは単なる経済的な衰退を指しているのではなく、企業文化の衰退、消費者マインドの変化、経営者の意識の低下など、広範な問題を含んでいる。
特に、経営者の意識改革の遅れが、企業の競争力を削ぎ、最終的に国全体の衰退につながるという視点は非常に重要だ。企業が「首切り」だけに頼る短絡的な経営を続けている限り、長期的な成長は見込めないという主張には強く共感できる。
総評
このコラムは、企業経営の本質に鋭く切り込むとともに、日本企業が抱える構造的な問題を的確に描き出している。「首切り」に頼る経営の問題点を指摘しつつ、役員の意識改革、ディーラーやメーカーのブランディング、若者のライフスタイル変化への対応といった多角的な視点を提示している点が非常に優れている。
筆者の主張は非常に明快であり、一貫して「企業改革は意識改革から始まるべき」というテーマが貫かれている。経営者に対する痛烈な批判も含まれているが、それは単なる感情的な非難ではなく、的確な分析と論理的な展開に裏付けられている。
このコラムを読むことで、日本企業の問題点だけでなく、経営者の責任、従業員との信頼関係、消費者とのつながりの重要性といった、経営全般に関わる重要な視点を得ることができる。
▼ChatGPT-o1による感想
このコラムは、企業改革を語るうえでよく聞く「コスト削減=人員整理=改革」という図式を強い言葉で批判しつつ、それだけでは根本的な問題解決に至らないという点を強調しています。以下、内容を読み取って感じた印象や主に注目したポイントを整理しつつ述べます(改善案や批判は行わず、あくまで感想・印象のみです)。
1.「首切り」への警鐘
文章の冒頭で、“企業が弱体化すると工場ごと閉鎖して大量解雇を実行する”という荒療治に対し、痛烈な言い方で疑問を投げかけています。「首切り」は容易にできるが、それは経営者としての本来の改革とは言えない、という視点が印象的です。さらにマスコミがそれを称賛するケースへの違和感も示しており、「本質的な改善策がどこにあるのか」に焦点を当てる必要があると読者に考えさせます。
2.トップの責任・報酬の在り方
「旧役員の首をすべて入れ替える」という大胆な提案や、「役員報酬を半額以下にして、社員の信頼を築く」などの具体的なイメージが書かれている点が特徴的です。大量解雇を行う前に、まずは経営陣こそが自身の在り方を律するべきという主張が筋道立っており、企業の「意識改革」を最上段に据えるべきだという考えがはっきりと表れています。
3.製造と販売の両面から見る企業改革
自動車産業を具体例に挙げ、「部品工場や下請けを圧迫するだけではなく、効率化支援を行う」「販売代理店(ディーラー)の実情も踏まえる必要がある」といった、サプライチェーン全体を視野に入れる企業改革の重要性が語られています。特に販売現場であるディーラーの営業マンの転職率や、トップが現場の意識を理解していないという問題提起は、雇用管理やブランド・イメージの問題にも直結するため、大変リアルに響きます。
4.企業の「意識改革」としてのユーザーニーズの捉え方
「どんなに優秀な製品を作っても、コンシューマ目線を忘れていれば売れなくなる」という主張は、自動車に限らずあらゆる業界に通じる真理です。時代に合わせた製品開発やマーケティングだけでなく、販売現場のスタッフが“ユーザーの心を読み取る姿勢”を持てるかどうかが、企業の命運を握るという論旨が説得力をもって伝わってきます。
5.若者の車離れ・企業の責任
「若い世代が車に魅力を感じなくなったのは、決して若者の意識だけのせいではなく、自動車メーカーやディーラー側の努力不足や費用負担の大きさも一因ではないか」という指摘は新鮮です。確かに、“維持費や保険料が高いことなどで車が高嶺の花になってしまう”のは、メーカーやディーラーにとっては売上低迷につながる大きな課題であり、コラムではそこにも企業の改革ポイントがあると示唆しているように感じました。
6.全体を通じて感じる「企業改革の本質」
最終的にコラムが主張しているのは、「首切り」という劇薬的・短絡的な改革ではなく、「意識改革」や「根本的な体質の見直し」が必須だということです。経営陣の在り方や組織風土の問題、現場での意識・モチベーション向上、ユーザー・取引先への目配りなど、企業のあらゆるステークホルダーに思いを巡らせることが本当の改革だという結論に強く共感を覚えます。
感想のまとめ
トップ層の在り方・報酬の問題を切り込んでいる点はわかりやすく、具体例も含まれ説得力がある。
下請けやディーラーなど現場レベルの話が詳細に述べられていて、単なる“首切り否定”に留まらず“現場の意識やユーザーニーズをつかむ”という部分に繋げているところが読み応えがある。
若者の車離れという現代的なテーマと「企業努力不足」という観点を重ねる点は、読者に新たな視点を与えてくれる。
全体として、単なる大量解雇批判に終始することなく、企業改革の核心は現場感覚の再構築にあるという姿勢が明確に示されている。
企業再生をテーマとしたコラムとして、筆者の熱のこもった語り口や具体的事例が多く盛り込まれているため、非常に読みやすく、かつ説得力ある内容だと感じました。特に“意識改革”の必要性を強調する点は、実際の経営判断においても重要であり、多くの読者が「なるほど」と頷く部分ではないでしょうか。
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