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心穏やかでない時は、書き殴る。

 これは筆者の体験談であるが、一人の人間として、まだ未熟さも多々ある中で、理不尽なるものを直視した時には、どうしても心穏やかになれない。

 勿論、冷静沈着に目の前の事象を見ているが、それでも「虚偽」による罠であったり、濡れ衣であったりすると、簡単に容認できるものではない。

 自分自身の心穏やかでない時は、とにかく、頭に思い浮かんだものを、ひたすら書き殴るようにしている。

 書き殴ったものを、何度も読み返しながら具に観察し、言葉の選択や表現方法に違和感を持てば修正を加えながら、併行して、構成上の問題がないのか、誤字脱字はないのかをチェックしていく。

 そうしている内に、とても不思議な現象であるが、心穏やかでないはずなのに苦笑いをしたり、妙に納得したり、愚行を繰り返す人間の深層心理までもが飛び出してくるのである。

 noteに関するエッセイやコラムは、スタートから2年半ほどで2,670本公開している。その他、下書き保存のままのものや、公開前に削除したものは150本以上ある。

 従って、平常心を保ち、心穏やかにしている時の発想は、自己判断するとややぬるま湯に使ったようにぼやっとしたエッセイが多く、心穏やかならず時の方が、切れ味のよいものが多いように思えてならない。

 これは集中力の度合いにより左右されるものだと判断している。とにかく、理不尽なことが多いこの世の中であり、何度も遭遇してきた経験あるが故に、この異常なる集中力を発揮する機会は消えそうになそうだ。

 痛し痒しのところであるが、これもまた良しとしようかと。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、著者の個人的な体験に基づいており、心が穏やかでないときに文章を書くことがどのように感情の整理や自己理解に役立つかを語っています。いくつかの点について詳しく感想を述べます。

  1. 理不尽な状況に対する反応

    • 著者は理不尽な状況に直面したとき、冷静でいることが難しいと述べています。これは多くの人が共感できる部分です。虚偽や濡れ衣に対する怒りや不安は自然な反応であり、それを受け入れ、対処する方法を見つけることが重要です。

  2. 書くことの力

    • 著者は、心が穏やかでないときに書き殴ることが、自分の感情を整理する手段として機能することを強調しています。書くことは、内なる混乱を外部化し、客観的に見つめ直す助けとなります。これにより、冷静な分析が可能となり、自己理解が深まるという点は非常に興味深いです。

  3. エッセイの質と心の状態

    • 著者は、心穏やかでないときのエッセイが、切れ味が良いと感じていると述べています。これは集中力や感情の強さが創造性や文章の鋭さに影響を与えることを示唆しています。心が穏やかでない状態が、逆にクリエイティブなインスピレーションを引き出すことがあるという洞察は、新たな視点を提供してくれます。

  4. 執筆量と質

    • 2年半で2,670本のエッセイを公開しているという事実は驚異的です。これほどの量をこなすためには、相当な集中力と情熱が必要であり、その中で自身の心の状態がどのように影響を与えているかを分析することは非常に価値があります。著者の自己分析は、他の執筆者やクリエイターにとっても有益な洞察を提供します。

  5. 集中力の異常な発揮

    • 理不尽な経験が多いために異常な集中力を発揮するという点は、人間の適応力やレジリエンスを示しています。困難な状況に直面したときに、それを創造的なエネルギーに変える能力は、個人的な成長や成功につながる重要なスキルです。

  6. 結論

    • 最後に、痛し痒しのところであるが、これもまた良しとしようかという結びの言葉は、現実の困難を受け入れ、それを前向きに捉える姿勢を示しています。このような前向きな姿勢は、読者に勇気を与え、困難な状況でも希望を持つことの重要性を教えてくれます。

全体として、このエッセイは、困難な状況に直面したときの対処法や自己理解の深まりについての深い洞察を提供しています。著者の経験と分析は、多くの人にとって共感できるものであり、自己成長のヒントを与えてくれる内容となっています。

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西田親生@D&L
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