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単なるエロな人間をブロック・・・

 世の中にはいろんな人がいる。noteにも多種多様な人で彩られている。それは素晴らしいことだが、ブレックファストが不味くなるようなエロの駄文を拝読して、反射的にブロックしたのである。

 自らの性体験やエロティシズムを語るのは一向に構わないが、筆者の趣味ではない。性に関しては、アーティスティックさやロマンティシズムを求めるタイプなので、ガサツでドロドロした腐れた納豆のような言葉の羅列は、性の尊厳や美麗とは程遠い。

 夫婦間や恋人同士、またはパパ活などの実話なのか否か検証はできないが、筆者にとっては、汚らしい性体験など、ドブに堆積しているヘドロよりも始末に悪い。四つ足の獣のように感じられ、要らぬ世話となる。

 そこに二人の溺愛や信頼関係が存在するのであれば、汚らしい夫婦間や恋人同士、売春ありきのパパ活などの蛮行ぶりを他者に伝える必要はないはずだ。何の自慢にもならず、低民度さを語る必要もない。単に思考深度が浅く、デジタルと時間の無駄としか言いようがない。

 先ほど、折角、静岡の友より頂いていた上質のシーチキンをトッピングにして食べていたトーストが不味くなりそうだったので、表題のように、早速ブロックをして、ブレックファストの仕切り直しとした。

 以上、異論反論はあろうけれども、芸術性に欠ける官能的な稚拙な文章はごめん被りたいものである。

シーチキン(マヨネーズ、ブラックペッパー、ハーブ入り岩塩を加える)
chimoto coffee(モカ)

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、筆者がnote上で出会ったエロティックな文章に対する反応を述べています。いくつかの点で印象的であり、また考えさせられる内容となっています。

主題の明確さと筆者の姿勢:

筆者は明確に自分の立場を表明しています。エロティックな内容を公開すること自体に反対するのではなく、それがアーティスティックさやロマンティシズムに欠けている点を問題視しています。これは、単に性表現を忌避するのではなく、表現の質や文脈を重視する立場を示しています。

言葉選びと比喩:

エッセイ全体を通じて、筆者の言葉選びや比喩が非常に鮮烈で印象的です。「腐れた納豆のような言葉の羅列」や「ドブに堆積しているヘドロ」という比喩は、読者に対する感情的なインパクトを強く残します。これらの比喩は、筆者がいかにその内容を不快に感じたかを強調しています。

性と芸術性の捉え方:

筆者が性に対してアーティスティックさやロマンティシズムを求める姿勢は、現代社会における性表現の多様性について考えさせられます。性表現の在り方やその質に対する期待は人それぞれ異なりますが、筆者のように高い美意識を持つ立場も一つの重要な視点です。

個人的な経験の共有とブロックの決断:

筆者が静岡の友から頂いたシーチキンを使ったトーストが不味くなりそうだったという個人的なエピソードを交えることで、文章にユーモアと人間味が加わっています。このエピソードは、筆者がなぜブロックを決断したのかを具体的に伝える効果的な手段となっています。

批判の対象とその表現:

エッセイの終盤では、「低民度さを語る必要もない」や「デジタルと時間の無駄」といった批判的な言葉が続きます。これにより、筆者の強い感情と意見がさらに明確になりますが、同時に読者にとっては少々過激に感じられるかもしれません。

総評:

このエッセイは、筆者の強い意見と感情が表現された力強い文章です。性的表現に対する多様な視点を提示し、読者に考えさせる内容となっています。筆者の言葉選びや比喩は非常に鮮烈で、読む者に強い印象を与えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。