映画「マロナの幻想的な物語り」感想
一言で、作画と脚本に良くも悪くも「裏切られる」作品です。のんさんの声とキュビズムを意識したアニメの技法は印象に残りますが、内容は観る人をかなり選ぶ「鬱アニメ」でした。
評価「C」
※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。
・主なあらすじ
大きな耳と黒と白の模様が特徴的な犬のマロナ。彼女はある日、自動車に轢かれて突然「死亡」します。薄れ行く意識の中、彼女は自身の犬生を振り返り始めるのでした…
・主な登場人物
・ナイン/アナ/サラ/マロナ(CV: のん)
「9番目」に生まれた末っ子の犬なので、「ナイン」と名付けられます。黒と白の毛並みと、ハート型の鼻がチャームポイントで、男の子と間違えられる女の子。飼い主が変わるごとに名前が変わります。人間が好きで、「ほんのちっぽけな幸せ」を探しつつ、色んな飼い主のもとを渡り歩きますが…
・マノーレ (CV: 小野友樹)
曲芸師の男性。親から引き離された主人公を買い、飼い犬にして「アナ」と名付けます。彼には「有名な曲芸師になる」という夢があるものの…
・イシュトヴァン
青い肌の筋肉質な男で工事現場監督。主人公に「サラ」と名付け、工事現場の番犬にします。工事が終わってからは、家に連れて帰り、飼い犬にしようと母と妻に紹介しますが…
・イシュトヴァンの母
寝たきりで認知症、何らかの精神疾患を持っています。ある日、ほんの些細なことから、サラに怪我を負わせてしまいます。
・イシュトヴァンの妻
犬好きな顔をしながら、実は「犬嫌い」な女。チャラチャラしたファッションと甲高い声が特徴的です。
・ソランジュ: 最後の飼い主。主人公に「マロナ」と名付けます。しかし、成長するに従って彼女に関心を失ってしまい…
1. 衝撃的な展開から始まる。
本作は、2019年に公開されたルーマニア・フランス・ベルギー合作のアニメ映画です。
前述より、物語序盤、なんとマロナが自動車に轢かれて「死亡」するという衝撃的なシーンから始まります。そこから、彼女の「犬生」を振り返る作りになっています。
これは、ある意味「今までになかった」始まり方かもしれません。
2. のんさんの淡々とした「語り」が良い。
前述より、主人公マロナ役を吹き替えたのは、本作で映画「この世界の片隅に」・「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で声優を務めたのんさんです。
本作は、マロナが「喋る」というよりは、モノローグ的に一方的に「語って」います。
勿論、マロナは犬なので、誰かと「話す」ことはできません。そのせいか、徐々に人間との間でコミュニケーションの齟齬が生じて、犬生がとんでもない方向に転がってしまうのです。
のんさんの淡々とした話し方からは、マロナの犬生の無常感を感じました。そのせいか、水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」の歌詞、「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」の歌を思い出しました。※ただ、この歌のように「明るい」作品ではないです。
3. これは、マロナの「私小説」である。
まず本作は、マロナの生と死を克明に描く作品です。「人間を癒やすことが幸せ」と考えた一匹の野良犬マロナがどう生きたのか、マロナの語りを通した「私小説」的な作品となっています。そのため、こういう造りが好きか嫌いかで、面白さは変わりそうです。
また作品観は、「100万回生きたねこ」・「吾輩は猫である」・「ごんぎつね」・「わんわん物語」・「いぬのえいが」・「犬と私の10の約束」を混ぜたような内容でした。
以上の作品達より、多少の「既視感」はあるものの、「マロナが幸せを探す」というシンプルなテーマは一貫しているので、とてもわかりやすかったです。
4. キュビズムを意識した独特の作画には思わず魅了される。
本作は、背景画(建物や人物画)が「キュビズム」を意識したようなタッチになっています。
「キュビズム」は、現代美術の動向の一つで、一つの角度のみならず、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた手法です。
本作でも、一人の人間の顔から「喜怒哀楽」全てが伝わってきました。そして、背景画も人物画もとても「カラフル」で、人肌や髪の毛の色に赤や青、黄色など原色を多用しているのも、個性的で面白かったです。
こういった作画は、ピカソのような有名アーティストの絵のように見えながらも、同時に「子供が描いた絵」のようにも見えます。これが、「犬が見た世界」なのかなと思うと、これらの表現が面白かったです。このように、本作は「アートアニメ映画」としてなら、見れなくもないです。
5. 良くも悪くも「期待を裏切る」作品である。
本作、アニメ技法は評価できますが、内容は「かなり賛否両論」だと思います。
前述のような、「絵がきれい・動物可愛い」の気持ちで見ると、結構打ちのめされます。※所謂、「鬱アニメ映画」なので、精神が安定しているときに観ることを勧めます。
とにかく、主人公が出会う人物達がどれもこれも「露悪的」過ぎて、観るのが辛かったです。
正直、登場人物の誰にも「共感」も「感情移入」も出来なかったですね。人によっては、イライラするかもしれないです。
私が特に嫌だと感じたのは、特にイシュトヴァンの妻とソランジュです。
イシュトヴァンの妻は、所謂「かまってちゃん」で、「常に良いことをしたい」と言いつつ、サラに「お世話」と称した「虐○」をします。※ここは「伏字」失礼します。
ソランジュも、最初は「可愛い!」と言いつつも、徐々に飽きてマロナに関心を持たなくなります。そして、散歩に行くふりをして公園にマロナを繋ぎ、そのままデートに出かけてしまいます。リードを外したマロナは、そのままソランジュを追いかけますが…
私には、ただただマロナが可哀想でした。「人間のために自身の幸せを我慢している」ように見えて。彼女には、「自分自身で」幸せになる道があったはずなのに。
本作のメッセージとして、強いて言うなら、「軽い気持ちで動物を飼ってはいけない」・「中途半端な愛情が最も残酷だ」という教訓になるかもしれません。
決して「つまらない」作品ではないですが、観る人をかなり選ぶ作品です。
映画レビューサイトでは、絶賛の声は多いようですが、私には今一つ「合わない」作品でした。とりあえずスッキリはしないので、カタルシスを求めて観ると、見事に「裏切られ」ます。
とりあえず、お子様と観るのは微妙かな〜と思いました。
出典:
・映画「マロナの幻想的な物語り」公式サイト
※ヘッダー画像は、本サイトから引用。
・「キュビズム」Wikipediaページhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%A0