映画「カラミティ」感想
一言で、アメリカ西部開拓時代に、家族を支えるために男装した一人の少女が旅団を離れて冒険し、成長する物語です。女性の自立やジェンダーギャップからの解放が描かれています。また、ナチュラルな色彩や動物の息遣いの描写が凄いです。
※ここからはネタバレなので、未視聴の方は閲覧注意です。
アメリカ大陸の西部開拓時代、後にカラミティ・ジェーンと呼ばれる少女マーサ・ジェーン・キャナリー(以下「マーサ」)は、家族とともに大規模な幌馬車隊で西に向かっていました。旅の途中、父親が暴れ馬で負傷したことで、マーサは家長として幼い姉妹を含む家族を守らなければならない立場になってしまいます。(母親は既に死去しているため。) 今までは乗馬経験も馬車の運転経験も無かったマーサは、女性である上の制約に違和感を抱き、髪を切り、男装し、少年のように振る舞うことを決心します。しかし、そんな彼女の態度は、「女性は女性らしく」という時代にあって、周囲と激しく軋轢を生んでしまいます。更に、猛獣に襲われた彼女を助けたサムソン少尉(以下「サムソン」) を旅団に引き合わせたことで、マーサは大きなトラブルに巻き込まれてしまいます。
以下、本作で私が感じたことを5点にまとめます。
1. 丁度良い上映時間
本作は、実在した女性ガンマンで、「平原の女王」の名を持つカラミティ・ジェーンの一生涯ではなく、飽くまでも子供時代(10歳頃)のエピソードにフォーカスしています。また、上映時間も約80分と短いので、子供でも観ていて飽きない作りになっています。通常、映画で人物のバイオグラフィーを描く場合は大きく分けて2通りあります。一つは、「人生のある期間や視点にフォーカスしてそこを重点的に描き、上映時間が1-2時間以内の作品」、もう一つは、「人生の全体像(幼少期〜成人期〜老年期)を描き、上映時間が2-3時間と長めな作品」です。
本作は、前者に当たります。元々実在したカラミティ・ジェーンの幼少期に関する歴史的資料はとても少なく、また彼女は自分のことについてはよく嘘をついていたこともあり、事実は謎が多いです。本作タイトルの「カラミティ」は英語で「疫病神」の意味で、彼女の回想録では、先住民との戦争でとある隊長の命を救ったからと記されていますが、実際は彼女の酒癖から来ているそうです。酒豪の彼女は月に向かって吠え、すれ違う人々を震え上がらせたようです。※残念ながら、よく彼女の伝説として語られる、先住民との戦争での活躍やガンマンのワイルド・ビル・ヒコックとの恋愛や活躍は事実無根のエピソードです。
そのため、本作は彼女の自由奔放な性格が様々な出来事を通じてどう形成されていったかを、史実通りではなく、想像して描いています。マーサが自由を手に入れるため、なぜ男装し、男性のように振る舞ったのか、幼くして両親を亡くした(史実では父親は母親の死の一年後に死去) 彼女が、なぜ人々の信用を勝ち取るために、作り話をするようになったのか、その過程が描かれています。
2. 独特の作画だが、自然の彩りや登場人物・動物達の息づかいがとてもリアル、BGMも良い。
本作の監督はレミ・シャイエ、フランスとデンマークの共同制作です。2020年アヌシー国際アニメーション映画祭で、クリスタル(グランプリ)賞を受賞しました。
作画は油絵や水彩画のような色遣いで、とても色彩豊かでした。日本のアニメの細かい作画やディズニー・ピクサー・ドリームワークスのようなCGモデルアニメを見慣れている人だと、少し「古く」感じるかもしれません。しかし、自然の彩りや登場人物・動物達の息づかいがとてもリアルで、本当にそこにいるかのようなリアリティがありました。自然や動物好きの人にはお勧めです。特に、満天の星空を見上げるシーンや天気が激しく移り変わるシーン、ピューマやクマなどの動物と邂逅するシーンは、自然の偉大さや恐ろしさを感じ、自分もアメリカ大陸西部の砂漠地帯や森林地帯を旅しているような気分になりました。
動物と言えば、サムソンの飼い犬のピックの忠犬ぶりが堪らなかったです。サムソンはとある理由で幌馬車隊を離脱してピックと離れますが、その後はマーサが面倒を見ます。そしてマーサが旅団内で行動を疑われ、敵視されたときも彼女の支えになり、冒険にも同行します。犬好きな方は観ていて癒されるかもしれません。
また、本作のBGMは西部劇の音楽なので、ディズニーランドのウエスタンランドを思い出しました。アトラクションなら、「ビックサンダー・マウンテン」や「カントリー・ベアーズ」の世界ですね。古き良きアメリカが良く伝わってきました。
3. 様々なアニメの主人公・ヒロインとの類似性
マーサは、今まで登場した様々なアニメの主人公の特徴を上手くミックスして描かれていたので、彼らとの類似性を感じながら観ていました。
まず、マーサがよく「嘘」をつくシーンでは、「トム・ソーヤの冒険」の主人公トム・ソーヤを思い出しました。しかし、その「嘘」は人を不快にさせるものではなく、生き延びるための知恵として描かれています。マーサはそうすることで、窮地に追い込まれたときや、差別された惨めさを払拭し、自分を奮い立たせていました。
次に、スタジオジブリ初期作品のヒーローやヒロイン像も併せ持っていたと思います。例えばヒーローなら「未来少年コナン」のコナンや「天空の城ラピュタ」のパズー、ヒロインなら「風の谷のナウシカ」のナウシカや「となりのトトロ」のサツキを彷彿とさせました。前者なら、ドタバタアクションや知恵で大人を出し抜くところは観ていて痛快でした。後者なら、勇敢だけど心根は優しく、愛情に飢えた情の深い少女として描かれていました。そして、何よりも言葉だけでなく、行動にも「義」を感じました。きちんとお礼を言うところや、人を敬う気持ちを忘れないところに好感が持てました。
また、旅団内や道中でバディを組んで行動するシーンは、「未来少年コナン」の「コナンとジムシィ」や、「となりのトトロ」の「サツキとカンタ」みたいでした。マーサとイーサン、マーサとジョナスの関係性は凸凹ではありますが、今後の関係に「進展」は有るのか無いのか、観客としてつい気になってしまいました。
そして、髪を切って男装し、家族や仲間を救うために奮闘するところは、アニメ版「ムーラン」と似ています。よく女性にとっては「髪は命」と言われますが、「女性の象徴」として捉えやすい髪を「切る」という行為は、両者共に目的は違えど、「女性性を隠してでも何かをやり遂げる必要がある」と言った強い決意を感じました。
さらに、馬を上手く操縦し、乗りこなしていくところは、彼女の努力や成長過程がしっかり描かれており、「銀の匙」の主人公八軒勇吾の乗馬シーンを彷彿とさせました。イーサンを見て幌馬車に繋がれた馬にコマンドを送る、皆が寝静まった夜に、椅子を使って縄を掛ける練習をして後に馬で実践する、といったシーンは観ていてとても応援したくなりました。
最後に、マーサがホットスプリングの鉱山で出会った地質学者のムスタッシュ夫人は「天空の城ラピュタ」のドーラおばさまや、「鋼の錬金術師」のイズミ・カーティス師匠との類似性を感じました。彼女らようなパワーと頭のキレの良さと人情深さを持つ大人が登場すると、物語にスパイスが加わりますね。また、作中で倫理観が安定している大人がいると、安心して物語を楽しむことが出来ます。
4. 女性の自立やジェンダーギャップからの解放
本作では、マーサやムスタッシュ夫人のような女性の自立や、ジェンダーギャップからの解放がしっかりと描かれていました。
マーサが所属した幌馬車隊は典型的なムラ社会で、男性は乗馬や幌馬車運転、女性は育児や料理や洗濯など、ジェンダーによる社会的役割が固定されている世界でした。しかし、一度自由を知った彼女は、元々の豪胆な性格に加え、幌馬車隊という共同体の常識枠には収まらなくなっていきます。とある理由で一度幌馬車隊から「離脱」しますが、道中で得た様々な出会いと経験を糧に、自身の在り方を考えていきます。
本作では、マーサは、新しい場所に「種をまく」人で、道行く人、出会う人に新しい道を開拓する存在として描かれています。孤児で盗人だったジョナスとマーサは一時行動を共にしましたが、ジョナスは鉱山で働き口を見つけ、定住して働くことを選択します。また、マーサの「行動」によりムスタッシュ夫人は新しい鉱脈を見つけることができました。
ムスタッシュ夫人はボストンにて地質学を学んでおり、冒険家の夫を亡くした未亡人でしたが、鉱山で新たなビジネスを始めるために、科学的知見を駆使していました。彼女は、マーサにとっては「母親的存在」であり、同時に「女性でも生きていくためには学問や仕事が必要だと、男性社会を生き抜くヒントを授ける存在」でもありました。
一方幌馬車隊では、女性たちがスカートを履いて、落穂拾いをしていました。このシーンは、ミレーの絵画「落穂拾い」や「種まく人」みたいでした。このマーサとその他女性は、作業は同じでも(マーサは「比喩表現」ですが) 、服装や思想は上手く対比になっていると思いました。
そう言えば、マーサは何気に「ナチュラルボーイキラー」だと思います。実際10歳前後の男女だと男女の関係を意識し、「恋に落ちるか落ちないか」は微妙な所ですが、挨拶やお礼でさりげなく男子にキスしているマーサは大胆で驚きました。この辺の描写は、「あの夏のルカ」のルカとジュリアを彷彿とさせました。
5. 言葉より行動、外見やパフォーマンスに惑わされてはいけない。
本作では、外見や服装について、幾度もキャラで対比されていました。サムソンは、幌馬車隊に出会ったとき、「第三騎兵隊の少尉」と名乗っており、カリスマ性の高いキャラとして登場していましたが、実は「洗濯係」でした。しかし、こっそり少尉の軍服を着てみたら、自分に対する周囲の態度が変わったことに気がついて、味を占めてしまいます。つまり、制服のような外見や身分、権威は人の「証明」になるけれど、それを悪用すれば簡単に人を「信じ込ませる」ことが出来てしまう恐ろしいものでもある、という相対性が描かれていたことは良かったです。
また、男装したマーサが、ムスタッシュ夫人と騎兵隊を探ろうとドレスを着て出かけるシーンは中々シュールでした。実際、マーサにとっては「逆」女装になったので。しかし、彼女の本質はそれだけでは変わらず、つい大佐の前で「クソ頭!」と叫んでしまい、途端にドタバタアクションに発展したところは思わず笑いました(笑)
実はラストでモヤモヤした描写が2つありました。序盤でキャナリー一家に厳格に接していた旅団長のアブラハムや、マーサを仲間外れにしてきた旅団の皆が、結局自分達がしてきた酷い仕打ちを誰も謝罪しておらず、戻ってきたマーサを英雄としてアッサリと受け入れている描写は、やや引っかかりました。また、アブラハムの息子のイーサンが「サムソンの盗難騒動」のきっかけになっているのに、皆がそこまで非難していないのも引っかかります。やはり、それは旅団長の息子だからでしょうか。結局「権威ある」者(の身内)には処罰が甘いなのかなと思います。※尚、イーサンは反省こそしていましたが、ラストでマーサに「一泡」吹かせられます。
この辺のラストの描写は、アニメ版「ダンボ」で、序盤ダンボ親子を除け者にしていた他の象達が、最後は空を飛んで花形スターとなったダンボを讃えているシーンにモヤっと来たのと同じかなと思います。
そんな中、父親は行方不明になったマーサをずっと心配し、無事に帰還したときは感激していました。結局人間って、権威があると見なされた人や、偉い人が認めた人の言う事はアッサリ信じてしまうのだろうと思います。でも、マーサは、一連の冒険で「言葉より行動」・「外見やパフォーマンスに惑わされてはいけない」ことを証明する存在になりました。※正直、マーサがどうやって幌馬車隊の場所を知ったのかは、ハッキリとは描かれておらず、見方によってはやや「ご都合主義」になるかもしれませんが、本作では飽くまでもマーサのサバイバルや成長を描くことが目的なので、そこまで気にすることでは無いのでしょう。
本作では、結局キャナリー一家もアブラハムもその他大勢の旅団のメンバーも、誰もマーサが奮闘した過程を見ていないので、皆が本当にマーサを「受け入れた」のかどうかはわからないけれども、少なくとも観客はマーサの成長を知っています。例えるなら、「千と千尋の神隠し」の千尋のように、子供は、大人の知らないところで得ることは多く、知らず知らずのうちに成長しているのかもしれません。
出典: 「カラミティ」映画パンフレット