だから鳥も食べないんだよ。
うちの子ほど食い意地がはっている子どもはなかなか見ない。
先日三人で森を散歩していたら息子が柿の木を見つけた。柿の木が自生する
ことはないからずいぶん昔にだれかが植えたのだろう。見上げると小粒の柿がびっしりとついている。
どうして今まで見つからなかったんだろうというようなところにその木はあって、柿の実の重さで垂れ下がった枝に手が届きそうだった。
お父さん柿とってよお。
そうだよ食べたいよお。
兄弟はまるで戦後の食糧難みたいなセリフを言う。
でもさ、鳥が食べたあとがないじゃん。つまり渋いんだよ。渋柿だよ。
ぼくがそう諭しても子どもたちはいうことをきかない。とくに娘は目前の柿に心を奪われたようで厳しい語調でぼくに要求する。
いいから採って!
ぼくは仕方なく背伸びして片腕を伸ばしてみたが、柿は絶妙な距離で届かない。
だめだ。届かなかった。
そう簡単に諦めちゃだめだよ。いつもオレたちに言ってるじゃん。
なんて食い意地がはっている子どもたちなんだろう。ぼくは棒をひろって下から柿をつついてみた。すると柿がひとつぽろりと落ちた。
落ちた!落ちた!
子どもたちは口々にそういって落ちた柿を拾おうとした。そんな彼らをぼくは制して柿を拾い、すでに柔らかくなった皮を爪ですこし剥いて舐めてみた。子どもたちは固唾をのんで見守っている。
…甘い。
いや口に入れたのが少しすぎてよくわからない。もう少し大きく。
…甘い。いやいやいや渋い渋い渋いシブイシブイ!!
口中が乾燥するような独特な渋みにやられぼくは口にいれた柿を吐いた。その一部始終を子どもたちは興味深げに眺めている。
ほら、一口かじってご覧よ。
こういうのは経験である。子どもたちは恐る恐るそして嬉しそうに柿を小さくかじった。
…甘い!ぺっぺっぺっぺっぺっぺっぺ。
うわ、しぶしぶしぶしぶ。
な、言っただろ。鳥が一つも食べていないんだ。渋いにきまってる。これが柿の渋みさ。でもいい経験になったね。
子どもたちは口中に広がる渋みを面白がって笑っていた。森の柿を食すというワイルドな行為も楽しさを倍増させたのだろう。実に有意義なフィールドワークであった。ぼくはこういう森歩きが大好きである。