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英才教育

我が家では塾になど行かせない。宿題もしなくていいと言っている実に厳しい家庭である。与えられたことをただ無自覚にやればいいというような甘っちょろい態度ではとても生きていけないほどに厳しいのである。そう修行はもう始まっているのである。
 
教育というのは、結局のところ自己教育とそれを指し示す道しかないと小林秀雄は言っている。プラトンの国家を読んでそれを得たのだという。私も国家は二度読んだがその結論を見いだせなかった。しかしあるのだろう。読み解くとはつまりそういうことである。
 
勉強しろと言っている。しかしそれはドリルをやることではない。授業をぼんやり聞くことではない。ましてや学校に行くことが勉強するということでは断じてない。たいていこどもは勉強が嫌いというが、本当は学校がきらいなのであって勉強が嫌いなはずがない。そもそも勉強とは楽しいものだからである。子どもたちは本当の勉強を知らないだけだ。
 
我が家の千尋の谷へ突き落とすような教育でも時として与えねばならないことがある。つまりそれは指し示してやるのだ。
 
本物と偽物を見分ける力が必要だ。それには本物にたくさん触れる必要がある。本物を自分で見つけることは幼子には難しいから、最初は示してやるのである。これが本物である、と。
本物は少ない。世の中偽物だらけだ。本物はこれである。わかったか、子どもたちよ。
これが至高である。これが最上である。見よ!とくと見よ!
 
ドリフ大爆笑
 
子どもたち涙を流して大爆笑
 
危うく笑い死にさせるところだった。
我が家の英才教育。

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