虫にも個性
個性があるのはなにも人間だけではない。虫にも個性がある。
そんなことを感じたのである。
蝶の幼虫を時々飼う。大空に飛び立つまでのテンポラリーなペットみたいなものである。
ある時とても几帳面な幼虫がいた。葉を食べるときは一直線に食べていく。上から下へと自らの退路を確保しつつきれいに食べるから、一枚食べ終わったときにはそこに最初から葉っぱはなかったかのようになっている。
ほほう。この種はこのようにして、まるで定規で線を引いたように食べるのだなと思ったものである。ところが、同じ種の別の幼虫は食べ方がまるで違った。
あっちをもしゃもしゃ、こっちをもぐもぐ。葉はまだらになってまるで虫食いである。いや虫食いなのだが。こいつが食べると無駄にちぎれた葉のかけらが床に散らばった。
ある時などそこを食べたら自分が落ちるのではとハラハラしながら見守っていたらギリギリになって気がついたようでそそくさと移動していた。
以前の几帳面くんとは真逆の性格といってよい。このときぼくはははあ虫にも個性があるんだなあと感じたのである。
二匹とも無事に成虫になって空へと飛んでいったから、どちらが正解というわけもないのだろう。ただそれぞれ違うというだけだ。
個性というのは違いである。
人間は社会があるから違いを発揮しすぎるとよくないというので同じになろうとする。同じであれというくせに同時に個性的であれなどというからよくわからなくなっている。虫は社会がないから存分に個性を発揮できることを考えると、むしろ虫のほうが個性的であると言える。虫の個性に比べたら人間の個性などかりそめの個性に過ぎないのだ。
今飼っているのはカラスアゲハの幼虫くんだ。こやつはなかなか大胆な性格で、朝起きて見たら失踪していて家中を探したけれども見つからない。どこかで蛹になってしまったか、或いはヤモリに食われたかと思っていたところ、夕方になって娘のおもちゃ箱からのそのそと這い出していた。ぼくは潰されなくてよかったと胸を撫で下ろした。
また脱走されては敵わないのでカブトムシのケースに入れている。
虫には個性がある。そして個性的という言葉の意味をしみじみと理解したのは他ならぬ虫を眺めているときである。