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パーフェクトデイズを観た。

以前から観たいと思っていたパーフェクトデイズがアマプラで観られるようになったので早速観た。主人公の暮らす地域は以前ぼくが住んでいた場所で、よく知る風景の連続になったのは映画の本質とは違うところで一興だった。

無口な男が繰り返す日々を描いた映画である。トイレ清掃員の平山は今にも崩れそうな風呂なしアパートで暮らしている。夜明けとともに起きて仕事場である都内の公衆トイレを数件まわって掃除をし、銭湯で汗を流して飲み屋で一杯やって帰って寝る。規則正しい生活。ストレスのない生活。ひととの関わりがほとんどない生活。誰にも束縛されない生活。

平山がなによりも尊重し、人生において獲得したかったものは自由だった。ぼくは映画を観ながらカミュの「幸福な死」を思い出していた。おそらく監督のヴィム・ヴェンダースは「幸福な死」のイメージを持っていたのではないかと思う。それくらい両者は似通っている。もっとも「幸福な死」では自由は金によって買われるものだった。しかし大金を手にして金持ちになったメルソーと貧しい平山のおくる生活は驚くほど同じである。

両者は孤独を愛しながらも同時に人肌が恋しく酒場に入り浸る。束縛や干渉を嫌いひととの関わりにおける線引きは厳しすぎるものである。それほどまでに死守した自由はいったい彼らに何をもたらしたのか。

パーフェクトデイズの平山の出自は金持ちである。そのすべてを捨ててトイレ清掃員になった兄に家へ戻るように説得する妹の声は届かない。平山はトイレ清掃員に飽きたらもとの生活に戻るのではない。楽な人生を想像したことは幾度となくあっただろう。しかし平山は今の貧しいが自由な人生を生きることを選ぶのだ。ラストの長いカットで、平山の複雑な心情を表情で表現した役所広司は見事だった。新しい夜明け、新しい一日が始まるという音楽にのせて今日もトイレ掃除に向かっていく平山は、手にした自由の代償に涙し、手にした自由の喜びを噛みしめる。

「幸福な死」でメルソーは病気で死ぬ。ストレスがまったくない人生というのもまた人間を貧弱にするものである。平山もまたささいなストレスで眠れなくなるほどにストレスレスな生活を送っているから早死するだろう。ひどすぎる食生活も一因となる。なにしろ朝食は缶コーヒー1本、お昼はコンビニのサンドイッチと牛乳、夜は居酒屋で酒とつまみという毎日なのだ。しかし平山は死を恐れない。むしろメルソーと同様に死を心待ちにしているのだ。自らの意識からでさえ自由になりたいのである。

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ちいさな島
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