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反核映画「オッペンハイマー」を観た。

映画オッペンハイマーは反核映画であった。
同時にオッペンハイマーは女たらしだった。映画全編に暗くシリアスなムードが漂っているが、実際のオッペンハイマーはもっと陽気な人間だったのではないかと想像する。人妻と不倫をし、元カノに会いにいそいそと出かけて一夜をともにして核爆弾の開発に勤しむ。八方美人の性格に奥さんは苛つくが、この奥さんがよくできた人だった。しかしエミリー・ブラントをここまで不細工に描いた映画は他にないのではないだろうか。

すでにほとんど死に体の日本にもはや核爆弾を落とす必然性がないと科学者たちは声を上げるが、それは軍が決定することだと取り合ってももらえない。キミたちは開発が仕事であって、爆弾の運用に口を出す権利はないというのだった。

核爆弾完成を目前にしてヒットラーが自殺し、ドイツは敗戦する。ドイツに落とすことを目標にしてきたオッペンハイマーはさぞかし落胆しただろう。本当はドイツに落としたかった。聴衆の歓声が上がる中演説するオッペンハイマーは胸中を吐露する。オッペンハイマーはユダヤ人である。

核開発の父として時の人になったオッペンハイマーは大統領に謁見した際、自分の行った罪深き行為は悔やんでも悔やみきれないと打ち明ける。すると大統領は20万人の命を奪った命令を出したのは私であり、その本当の苦しみを知るのは私なのだと睨まれる。この決定を下した決断の重さがお前などにわかるものか出ていけこの弱虫めが。オッペンハイマーはなにも言い返せずにすごすごと大統領室をあとにする。科学者はナイーブである。

原爆成功のニュースは全米を沸き立たせる。無理もないだろう。ごく普通のアメリカ人にとって第二次世界大戦は他人事だった。知らない土地で繰り広げられる戦闘にリアリティはないのだ。それに、事実が歪められて報道されているのは日本もアメリカも変わりない。戦争に負けて昨日言ったことと真逆のことを語らなければならなくなった日本と違い、戦争に勝ったアメリカは戦時中から戦後まで途切れることのないひとつのウソの中で生きねばならなくなっただけである。

さて、ぼくの大好きなファインマン先生の扱いがほとんどなかったのは本映画の不満点であろう。とにかく暗さが第一の映画だから、ファインマンのような陽キャラの出番がないのは仕方がない。だったらないでないままにしてくれればよかったのに、天才ファインマンの片鱗を見せることなくただボンゴを叩いている場面を入れたのは蛇足だった。

ファインマンの著作を通して当時の様子は詳しく知ることができる。当時、科学者たちにとっても放射線が人体にもたらす被害についてはほとんど知られていなかった。その証拠に、ウランの塊をドアストッパーに使っていたと書いている。そりゃみんな癌になって死ぬよな。実際にファインマン先生も癌で亡くなっている。

ファインマンは核爆発の様子をどうしても肉眼で見てみたくて遮光板を使わずに見ようとして危うく失明しかけている。なんてアホなと思うかもしれないが、科学者の探究心の一端を示すエピソードだろう。なにしろ誰も見たことがなかったのだ。しかもその実験は移動中のバスの中でみたというから一同に会して観たというのは映画なりの脚色が入っている。

オッペンハイマーは自分がやらなければと悔いるが、彼が受けなくても結局ほかの誰かがやったのだろう。アインシュタインがいなくても時間の差はあれいずれ誰かが相対性理論を発見したのと言われている。ソ連などに核爆弾が作れるものかと軍人は笑ったが、アメリカの科学者は笑わなかった。

この映画は徹頭徹尾反核の精神が貫かれている。オッペンハイマーの人生を通してクリストファー・ノーランは核兵器廃絶を訴えている。アメリカの救いは、こうした声が小さくないというところにある。

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ちいさな島
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