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立ち会い出産で看護師に怒られる。

記憶は薄れる。嫌なことも、楽しい思い出も朧気な印象を残して詳細は消えてゆく。
子育てのドタバタはいつも今が一番大変と思っていることの連続である。過ぎ去ってみればああそんなことあったなあくらいなものだ。そのうちにそんなことあったっけになりかねないから覚えているうちに書き留めておきたいと急に思い立った。

最初の子どもが生まれるときはなにもかもわからないことだらけである。育児書の類は気休めにこそなれほとんど役に立たないことを知る。妻も陣痛の度合いがわからないからいよいよかと思って深夜にタクシーを呼んで産科へ行くと、この程度でくるんじゃねえよと追い返された。

そんなこと言われたってどの程度がいよいよなのか知る由もない。一旦は帰宅するもさあ今度こそいよいよだろうと思って恐る恐る連絡を入れてまたタクシーを呼んだ。都内にはマタニティタクシーなるサービスがあってそれに登録していたのですぐ来る。

産科へ着くと、まあちょっと早いけどいれてやんよという雰囲気を滲ませつつ準備室だか待機室に通される。狭い部屋でベッドがあってその横に小さな椅子がひとつ置いてあるだけだ。あんまり座りにくいのでお尻が痛くなった。

妻に陣痛の間隔を測定する装置が取り付けられる。陣痛はある周期があってやってくると痛みが一緒にやってくるらしい。妻がきたきたきたというのでぼくはそうかそうかそうかと応えていたら、ほらパパ背中でもさすってと看護師に言われる。まだパパじゃない。

そのきたきたきたの間隔がどんどん短くなって最終的に出産に至るわけであるが、おそらく朝になってからではないかという見立てだった。午前2時のことである。

それでぼくは言ってしまったのである。
「じゃあおれは一旦帰って朝になったらまた来るよ」
言い終わった直後、そばにいた看護師が烈火のごとくお怒りになったのだ。
「はあ?立ち会い出産ってお産のときだけ見にくればいいと思ってんの?ママの背中さすったりなんかあるでしょ。もう立ち会い出産は始まっているんですからね!」
看護師は龍のごとく口から火を吹いたのでぼくのまつ毛が焦げた。

看護師はものすごい目つきでぼくを睨んで出ていった。なるほど立ち会い出産はもう始まっていたのか。ぼく知らなかったよ。あんまり看護師の剣幕がすごいんで妻もあっけにとられていた。ぼくも大人になってこんなに怒られたのは久しぶりである。

結局最初の見立て通り午前7時ごろに分娩となった。妻が分娩室へ運ばれてからぼくは廊下待機となって、不織布でできた帽子やら前掛けやらを着せられた。男が呼ばれるのは本当に出る直前で、妻の上半身しか見えないように高いカーテンの壁が作られていて、担当の医師が腕組みして椅子に座っている。このときぼくは出産を手伝うのは助産師の役目で、問題がなければ医師は手を出さないものであることを知ったのだった。

出てきた。それはしわくちゃでけむくじゃらでイウォークの子どもそっくりだった。写真をたくさん撮ったので記録としての記憶は蘇るけど、もうそのときのぼくの感情を思い出すことができない。そういうことがあったなあと思うばかりである。

ただ看護師に怒られたという記憶は鮮烈で、今では笑い話になっていろんなひとに喋っているせいで忘れることができない。そして先輩面していうのだ。いいかい君、立ち会い出産というのはだね……。

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ちいさな島
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