トラストイーカレッジ『教育哲学』の学びに思うこと
「自分で考えろ」と言われて考えられる人はそう多くはないと思います。そう言われて考えられる人は、既に考え方を知っている人だからです。
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『どうして勉強しないといけないの?』
学生時代に予備校の進路アドバイザーを4年間していた時、一番多く高3生から寄せられた質問です。
【勉強=強いて勉めるもの】
Q.何を強いられているのか?
私はそれを
①問い
②解答
③解法
だと伝えていました。
問題があって、答えがあって、導き方がある。その導き方を真似することさえできれば誰もが同じ答えにたどり着くことができる。
”物事の構造やパターンを反復練習しながら習得してゆくこと”が勉強だと思っていました。
高3生にはこうも伝えていました、「大学は勉強するところじゃないよ。学問の場だから。」
【学問=問うことを学ぶ】
Q.何を問うことを学ぶのか?
何でも良いのです。
①問いを立てる
②仮説を立てる
③検証してみる
勉強とは違い、すべて自由なのが学問の世界です。
(※社会学部在籍の私が卒論で書いたテーマは「航空会社客室乗務員の心のマニュアル化についてのインタビュー調査」でした。哲学・心理学・社会学・経営学・商学に横断的にまたがるテーマ設定だったのですが、社会学部生の卒論に値するためには、社会学に依拠したやり方にせざると得ない現実がありました。実社会の問題は”○○学などと分類することはできません。大学の学部制度の限界を感じた出来事でした。)
①問いを立てるためには現実に疑問をもつ心が必要です。
ex.なぜ個人の自由の上に選択された結果であるはずの自殺数は毎年3万人で”安定的に”推移しているのか?
②仮説を立てるためには想像力と創造力が必要です。
ex.自殺者数が多い国々の共通点である日照時間のせいなんじゃないか?
③検証するためには論理的思考力が必要です。
ex.日照時間が理由なのであれば夏より冬の方が自殺者は多いはず…あれ大差ないぞ…何か見落としていることは…配偶者を失った男性の割合が圧倒的に高い…そうか身近な人との絆…
これが”自分で考えることの中身”です。
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ではなぜ”深く”考えておく必要があるのか?
例えば最近耳にした『あなたの娘の○○ちゃんが将来どんな男性と恋に落ちて結婚するのか楽しみね』といった発言。
この発言には
・女性は男性に恋愛感情をもつ
・恋愛の先に結婚がある
といった前提を想定することができます。
これらの前提をもたない人にとっては違和感のある発言でしょうし、この発言に引っ掛かってしまうことで思考が中断・分断される可能性もあります。
これらの前提が良い悪いといった話ではありません。
日頃から深く考えておくことで、ふとした情報にどれだけ興味をもてるか?が変わってくるのです。深く考えれば考えるほど、自分の考えがいかに曖昧で偏っていて浅かったか気付かされます。
(じゃあ私だったらこの場面で何と言うだろうか?万人に違和感のない言葉選びは果たして可能だろうか?)
そんな考えを巡らせるほどに自身の無知に向き合わされます。先人の教えや文献など、他者の知恵を借りずにはいられなくなります。結果、新たな知識や考え方を得、気づきを得、自身の考えが深まってゆきます。
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こんなことを書くと『考えることは良いことだ!』と思われるかもしれません。が、ここに落とし穴があります。
考えれば考えるほど現実逃避してしまう側面が、考える行為にはあるからです。学びと一緒で、時として”考える”行為が目的化してしまうのです。
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では”考える”を目的化させないためにはどうしたら良いのか?
それは【何のために考えるのか?】を常に握っておくことだと私は考えています。
『考えることで”誰の””何を”応援したいのか?』
繰り返し自問し続けることです。
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考える練習を踏み
とことん考え
己の小ささを知り
仲間と知恵をもちより
大切な人の未来の笑顔のために挑戦し続ける力。
それがきっと、生きる力なんじゃないかな、って。
~大切な人を大切にするために、学び続けよう~
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