時短料理の次のフェーズは
フェーズという言葉、ずいぶんカッコつけた感が否めませんが読んでいただけると嬉しいです。
どんな内容かというと、料理に関してこれまで時短思考にあったわたしが、趣味思考を絡めてこれからどうしていくかを考えた、という話です。
きっかけは、『時短』ワードでレシピを検索している時、ふと時短である必要はあるのか?と手を止めたことでした。
時間がある、さて何する?
子どもが産まれて18年、大半をワーキングマザーとして、母業と仕事を両立しています。
これまで子どもと接する時間を少しでも長く取りたいと思う日々で、家事全般を時短重視で生活してきました。
しかし子どもたちの手が離れた今、それほど時間に追われることはなくなりました。
子どものために使う時間は、自分の心の充足にもなる時間でしたが、子ども達が成長した今親の役割は変わりました。
実際に顔を合わせて時間を共有するよりも、子どもが自分の足で歩んでいるのを見守るのが今の私に求められていることだと思っています。
ということで、自分の時間は基本自分のために使えるようになりました。
自分のペースで立ち止まったりじっくり物事に取り組んだり、時々「あれ、こんなにのんびりしていてよかったかな」と時計を見ることも。
そんな自由時間を手に入れつつある時、空いた時間をどう過ごそうか?と考えたところ、何かを作りたい欲があることに気づいたのです。
ものを増やさないものづくり
もともと手仕事が好きでした。
刺繍やフェルト小物を作るのに夢中になった小学生時代から、高校ではお料理クラブでお菓子作りを経験しました。
大人になってからは陶芸教室と天然酵母パンの教室に通いました。
どれもまたやりたいと思うものばかりですが、ものづくりの難点は、作った作品が溢れていくこと。
最近はなるべく物を増やしたくないと思っているので、手先を動かしたい願望との間でずいぶん考えました。
そこで行き着いたのが「料理」です。
料理に時間をかける
もともとキッチンに立つことが好きだった気持ちを思い出しました。
長年体に染み込んだ時短の習性は、そう簡単には抜けません。
どうしても大雑把に、簡略的になってしまう自分に笑いが込み上げることもしばしば。
そんな時は「落ち着け自分!」と言い聞かせますがブレーキかけるのは案外難しいです。
それはそれで、時短術として活かしていくと決めました。
作りたいと思うレシピを見つけたら、意識的に手間をかけて作ることにしました。
そして、嫌いではないのに時短のためにやめたことをやってみることにもしています。
一つ例をあげると、ごぼうや里芋などの下ごしらえです。
土物はシンクやまな板が汚れるので冷凍野菜を使っていましたが、今は生の野菜を洗って皮をむく手間を惜しみません。
他にはホームベーカリーに頼りきっていたパン作りを、時に常温発酵したり手で成形して仕上げたり。
フルーツをコトコト煮てコンポートやジャムにしていたことも思い出し、鍋と向き合う時間に幸せを感じています。
かけたい手間を惜しまないのは贅沢だと感じています。
出来上がったものは、お腹を空かせた家族が綺麗に食べてくれます。
聞かせてくれる感想は参考になるし、褒められれば自己肯定感も上がります。
もちろん作れば作るほどものが蓄積する、ようなことにはなりません。
今料理をするのが楽しいです。
義務ではなく、作りたいから作る時間が贅沢に感じています。
おわりに
人それぞれ趣味思考が違うので、時間の使い方に正解はありません。
私の場合は、家事の一つの料理が「好き」と「思考(ものを増やしたくない)」の重なるものでしたが、人によってはスポーツ、ガーデニング、カメラなどなど、時間をかけて楽しみたいものは違うでしょう。
ただ時間を消費するのはもったいない。
「ここに時間をかけている」と自覚して行動すると、よりその時間が充実したものになります。
今回のことは、気づきが気づきを呼んだ出来事でした。
時短料理でないといけないのか?
空いた時間に何をしようか?
自分は何が好きか?
立ち止まってこのように思いを巡らせられるのも、時間と心にゆとりがある今だからできることです。
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