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さ ん か く
千早 茜さんの「さんかく」を読んで。
この本は、”食”を通して展開される三人で一つの物語。
千早さん特有の、一人一人の情景と心情を登場人物で一章ずつに分けて、入れ替えで進んでいくタイプの一冊。
まず、感想は、素晴らしい。面白い。
一人一人の心情事に進んでいくから、章が変わる度に答え合わせをしていくような。
あ〜、あれってそういう事だったのか。と、なるんだけど、違う視点から見たらまた別のものにも見えてくる。人間のリアルな部分がちゃんと出ていて、つい読み進めたくなってしまいました。
「食」に対する意識は人それぞれだと思いますが、千早さんが考える「食」に対する意識はきっと私とどこか似ているところがあって、より読み進めたくなってしまうんです。
「食」というのは、無くてはならないもの。どれだけ時間が無くとも食事という行為は怠りたくない。疎かに食べていいのは、時間が本当にどうしても限られている時だけだ。と、考える。
だって、美味しい物を食べている時って、本当に幸せだ。
自然とほっぺが上がる。幸福度も上がる。
あんな幸せな行為を好きな人たちと一緒に出来たのなら、それ以上の幸せは無い。美味しい物もその倍をいく。
好きなものを共有出来るって、良い。素晴らしいと思う。
こう考えるのが、登場人物である高村さん(女)と伊藤くん(男)だ。
そして、紛れもなく私も彼らに同意見派だ。
一方で、食事なんて、ただの生きていく中の道理でしかない。美味しいものも美味しいと食べられるけれど、ひと工夫なんてしなくても味わえるし、お腹を満たされてしまえばそれで満足だ。
お腹を満たすという事以外の要素はさほど求めていない。ただ、お腹が空いていては進むものも進まないので、食事もあながち大切だ、と考える。
これが、伊藤くんの彼女である華が考える「食」への意識だ。
少しネタバレになってしまうが、伊藤くんは、華という彼女がいながらも、「食」に対する意識や考え方に懐を置いてしまい、高村さんと同居生活を始める。もちろん、華には言えずに。
華も華で仕事が忙しい毎日、ほとんどまともな食事というものも二人でする事はなかった。
故に、暮らしてしまうのであった。
高村と伊藤くんの間には、男女の関係は一切無かった。
ただ、食事をする時に同じ調味料を使うだけ。
好きな食べ物が似ているだけ。(好き嫌いが無い)
お酒がのめる場で、しっかりお酒に合うお料理をお互いにチョイス出来るだけ。
このお料理はどうだとか、ああだとか、どう美味しいか、もっと塩を入れた方が良かったか、とか、そういう食に関しての話が合うだけ。
ただ、それだけ。
それだけで、生活が成り立っていた。
お互いに干渉する事無く、ふたりでよく食事をしていた。
2人の食事のシーンと食事に対するそういう考え方が本当に好きで、ニヤニヤしてしまいました。
もちろん、お互い男女を意識してしまう所も無くは無かった。
だけれど、そうじゃなくて、この謎めいた同居生活の中でお互い何かに気付かされていくような感じがありました。
そして、いつまでもこの同居生活を恋人である華に隠しておけるわけもなく遂にバレてしまう。ギクシャクする華と伊藤くん。
伊藤くんはそのまま高村さんとくっつくのだろうか。色んなパターンを予想して読み進めていく。その時の伊藤くんの心情がやけにリアルで考えさせられた。
「心はもちろん華にある。でも生活は。」
そもそも感情は、心に宿るのか、生活に宿るのか。この課題にはきっと多くの大人が頭を悩ませていることだろうと思う。
結論、どちらとも言えない。これが答えだ。
人間は無いものねだりなのだから。
仕事で忙しい華とは別に、家に帰ると暖かい食事と食卓がある。これがどれだけ大きい事かを思わされました。
高村さんも、もう三十過ぎの独身女性だった。
恋や愛などにはもう、少しばかりうんざりしていて求めようとしていなかった。
でも、「食」に関しては、たとえ一人だろうとしっかりしていた。
伊藤くんと食卓を囲む度に、次は何を作ろう。と考えていたはず。
高村さんが、彼に料理を振舞っていたのは他でもない、ただお料理が好きで、せっかく自分の分も作るのなら。とついで感覚で作っていたのだと思う。最初は。
でもそのうち、自分は食べないけど伊藤くんの為に、と作っている場面が増えてくる。
それは恋愛として好き、嫌いとかでは無かった。人から人への思いやりや母性や好きなものを共感してくれる相手への配慮だったのだと思う。
最終章で、伊藤くんと華は仲を戻す。
何かに気づいた伊藤くん。
その前の章で、高村さんは家を空けます。伊藤くんとの生活を自ら終わらせたのです。
これもまた、何かに気付かされた高村さん。
「作る側」と「作られる側」
いつも作る側だった高村さん。ずっと自分のためだけにしていたお料理も、食べてくれる人がいるという事の素晴らしさに気づいて、まだ人にお料理を作っていたい。と思ったんです。その相手は伊藤くんではないけれど。まだやれる、まだまだ恋愛できる。と、気付かされたのではないかと思います。
いつも作られる側だった伊藤くん。
料理が作られて、待ってもらっているのに自然と慣れていった伊藤くんにとって、慣れない料理を作って待つという概念は、持とうと思っても持てなかった。
それは、恋人である華と中々予定がつかずの寂しさもあったからなんだと思う。寂しさ故に心に余裕が持てなかったのかな。
そうやって伊藤くんの”普通”と華にとっての”普通”がすれ違っていったわけなんだけど。
最終的に、2人は仲を取り戻す。
でもそれは、華の”普通”が変わったというより、伊藤くんの”普通”を変えた、基盤を華に合わせようと決心したのだ。
最終章の最後の華と伊藤くんのやり取り。
華 「お腹すいたね」
伊藤くん 「最近、料理はまってるんだよね」
このやり取りで2人がお互いに歩みよろうという情景が目に浮かぶ。
今回のこの本は「食」がテーマだったけど、それだけじゃなくて、人それぞれ合う、合わない所がある。
でもそこだけが全てじゃない、というか、合わないなら合わないなりに歩みよる努力。歩み寄られたのならそれに少しでも加担しようとする気持ちが、大切なんじゃないかな。と思う。
高村さんが毎日当たり前のように作ってくれたお料理も、簡単なものじゃないんだな、と伊藤くんは思ったみたいで、つくづく高村さんには感謝した伊藤くん。だからこそ、ひと手間かけて仕事で忙しい恋人の為に作る決心をした彼は、またひとつ大人になったんだとと思う。
逆に、いずれ、作ってくれている伊藤くんの背中を見て華も同じ事を思うはずだ。
そうなれば、きっともっと「食事」をふたりで楽しめてくるんだなと思う。
恋人が出来ると食事を一緒に楽しみたくなる、高村さんの考え方と似ているこの私も、この本で、華にも伊藤くんにも高村さんにも学ぶところが多くあった気がします。
千早さんは、いつも一つだけの視点からじゃないから面白いし、考え方のレパートリーが増えて学びになります。
お互いの好きな物や事を一緒に楽しめても楽しめなくても、お互いを思い合って付き合っていく事が、何より重要なんだね。