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頑張る目的を間違えていた

さっきふと気づいたことがある。

私はとあるオンラインサイトで講師をしているのだが、まだ初めて間もなく、慣れていない。むしろかなり初心者の部類と言っていい。明日・明後日と新しい生徒二名のレッスンを受け持つことになっているのだが、その新しい生徒のレッスンについて、変な気負いを持っていた。

「1時間1800円いただくのだから満足のいくレッスンにしなきゃ(実は一般的なこの手の講師料として高い金額ではない)」
「レッスン前というのは、しっかり時間をかけて準備をするものだ」
「こまめに連絡を取らなきゃ。生徒の気持ちを上げるのに重要だろう」
「雇っていただいて生徒を紹介していただいているのだから、続けてレッスンをしてもらえるように頑張らなきゃ」

だが、準備といっても、様々な生徒に教えるという経験がまだあまりない私は、新しい生徒を持つ上で生徒の目的やレベルに合わせたレッスンの組み方というのが、どうしていいかわまだからない部分が多い。しかも生徒の一人は、メール以外のやり取りをしたことがない。
その状態で、いつの間にやら"完璧"を目指そうとしていた。

勿論、生徒に満足のいくレッスンを受けてもらいたいとか、こまめに連絡を取るということ自体は、できるならやるに越したことはない。ただ、今の技量以上のことをしようと理想を想像して、気持ちは全く追いつかない状態だったのだと思う。

「稼がなきゃならないんだ」
「せっかくいただいたチャンスなんだ」
「今休んでいる場合ではないんだ」

それも、今すでに持っているレッスンやお試しレッスンもやりながらで、
「さっきのレッスンはだめだ」
「説明しすぎだ。喋り方がなっていない」
「きっとこいつダメだと思われているかもしれない」
そんな反省という名の妄想も加わり、心的負担が増大していることを見ないふりをしていた。どこかで気づいてはいたが、「甘えたことを言っている場合ではない」だったのである。

しっかりやらなきゃならない、できる人間でいなきゃ、必死でやらなければお金をもらうに値しない、失敗したら親にも示しがつかない、という見捨てられ不安と、"お金がない"ことへの無価値観が、気力を奪っていた。漠然とした気持ちばかりが先へ行く。

このところ寝付けない原因の一端も、緊張しているからかな~なんてのんきなことを思っていたが、緊張どころかこのままだとそのうちパンクしますよーという訴えだったのかもしれない。

「険しい道を自分で決めたんだ」
「責任は自分のものだ」
「慣れていないのだから、とにかく経験を積むんだ」

全て間違えてはいない。間違えていないからこそ、その正しさにしがみついて自分のSOSを̪シカトした。自分に正論をぶつけてむりやり言うことを聞かそうとしていたみたいだ。

で、深層で考えていたことといえば、レッスンそのもののことではなかった、というオチじゃないのよ。

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