変わり者の茶人・丿貫(へちかん)が気になる。
毎日飽きることなく、暇さえあれば日本史の本を読んでいます。最近気になる人物は戦国時代に生きた茶人の丿貫(へちかん)。名前が可愛いというわけのわからない理由で気になりだし、調べていくうちにとてもユニークな人だなぁと、惹かれるものがありました。
丿貫はあの千利休の兄弟子。ふたりは武田紹鴎(たけだじょうおう)という茶人のもとで共に茶を学びました。
一緒に茶を学んだ千利休といえば、現代の私たちも一度は耳にしたことがあるであろう超有名人。織田信長と豊臣秀吉という2人の天下人に仕えた茶人で、数多くの武将や大名にも慕われていたり、秀吉とともに天皇にお茶を献上したりと、トップオブトップ!まさにカリスマ的存在です。
そんなカリスマ利休が仕えた織田信長が天下人に名乗りをあげるまでは、戦で功績を挙げた武将や大名たちへの褒美は領土や位階(役職の昇進)でしたが、信長はそれまでとは違い、器などの茶道具を褒美として贈るようになりました。褒美としての価値を高めるために、一斉に茶器などを買い占めて、「なかなか手に入らないもの」というイメージを付け、茶道具の価値をめちゃくちゃに上げていたそうです。
こうして、茶の湯という文化が武士の間にも広がり、その中心で活躍していた利休。そんな利休とは真逆とも言える道を歩んでいたのが丿貫です。
武士も茶人も、みんなが価値の高い茶道具をたくさん集めていた中、丿貫は高価な茶器には一切無関心。美味しいお茶さえ振る舞うことができれば、使う道具なんてなんでもいいと、独自の茶道を極めていたとてもユニークな茶人。
しかも、ひとつの手取り釜で、お茶も、雑炊も、煮物も沸かしたといいます。決して裕福な暮らしや富を求めず、むしろ貧しくて質素な暮らしをしながら茶道をしていたそうです。
秀吉が北野天満宮で開催した北野大茶湯という日本最大級の屋外でのお茶会では、1500余りもの茶室があったとも言われていて、全国各地の色んな茶人たちが、秀吉を豪華におもてなしするために色々と思考を凝らしているなか、静かに現れた丿貫は、なんと2メートル以上あるめちゃくちゃ巨大な朱塗りの傘をばさっとひとつ立てただけ。他の茶人たちとは全く違う、質素で変わった茶席を設け、かなり人目を引きました。
もちろん秀吉も「あいつは何者だ?」となります。傘の下で茶を立ててもらうと、そのお茶はとてもさっぱりとした味の薄いお茶。丿貫は、秀吉はこの茶会で既に色んな茶人のお茶を飲んでいるから、がっつりお茶の味がするよりさっぱり喉を潤してもらったほうが良いだろうと考えて、あえてさっぱりとした味わいのお茶でもてなしたという逸話が残されています。秀吉はとても喜び、大変気に入られたそうです。
静かに巨大な傘を持って現れた丿貫、想像してみると、もちろん妄想ですが、ただならぬオーラを放っているような気がします。
彼のことについては記録に残っているものはかなり少なく、ネットで「丿貫」と検索してもまずラーメン屋さんがヒットします。
生まれた年も場所も曖昧で、たぶん今の岐阜にあたる美濃か京都あたりの出身なんじゃないか?と言われています。
「人生の歩みは、自分自身の心から始まり、
自分自身の心で終るのです。」
時代のど真ん中にいてカルチャーを牽引した千利休のカリスマ性ももちろんすごくて惹かれますが、その影では、お金でも、地位でも、名誉でもなく、誰かに仕えることも競争することもなく、自分なりの茶道との向き合い方を追求していたユニークな丿貫がいたのです。
時代の流行りに全く乗らず、自由奔放に茶道を突き詰め楽しんだ丿貫と、天下人に仕えた利休との対比が実に面白いなぁ、と感じます。
丿貫、へちかん、思わず口に出したくなる名前です。
武藤千春