古本装丁探索
以前、古本の魅力について語った記事で、本の装丁も購入の決め手として大きな割合を占める、という話をした。
単純に見た目がカワイイ本というのも欲しくなるわけだが、小村雪岱とか竹久夢二とか、有名な装丁家の手による本はとりわけ購買意欲を誘うし、従って古書価も高いことが多い。
ところが、近代の古本というのは残念なことに、装丁者が明記されていないケースも多分にあるのだ。現代の本なら、目次の末尾やカバー袖、奥付あたりに「装丁(デザイン):○○」と書いてあることが多いと思うが、それがない以上、己の知識と手元のデータベースとに頼らなければ装丁者の特定はできないのである。
タッチとか独特のフォントによって判別することができれば言うことはないけれども、なかなかそうはいかない。小村雪岱の「雪岱文字」とか、竹久夢二の美人画とかのように余程明らかで、点数を実見する機会のあるものでなければ、少なくとも僕は確信を持つことができない。
となったときにまず頼るのが、装丁に残された落款(サイン)である。
例えば以下の本。
夏目漱石の『鶉籠』の縮刷版である。装丁者の記載はないが、着目すべきは、表1(オモテ表紙)の右下にあるサイン。
「S.T」と書いてあるのが辛うじて読めるだろうか。
このイニシャルと、夏目漱石門下の弟子たち、さらに他の漱石本の装丁を手掛けた人物を勘案すると、自ずから津田青楓の手によるものだと確定することができる。
というか、さすがに津田青楓クラスだといちいちサインの確認などせずに、漱石の本でこのタッチなら青楓、と認定してしまうかもしれない。
次の例は少し難しい。
田山花袋『花袋集』(明治41年、易風社)だが、右上の方にあるこのマークが重要。
このT2ファージみたいな記号?が何をどう意匠化したものかはわからない。わからないけれども、これは斎藤松洲の落款なのである。
ここまでくるといよいよ知識がモノをいうわけで、決め手は、このわけわからん図形を知っているかどうかというだけの話である。先の津田青楓のようにイニシャルのヒントすらないから、このパターンの本に出会っても調べるのはなかなかむつかしい。
明治の和装本はその意味でもう少しわかりやすい。
小杉天外『蛇いちご』(明治32年、春陽堂)は、表紙にこそ記載はないが、巻頭に挿まれた多色刷り木版画には落款がある。
すんなり読むには、篆書体になじんでいる必要があるが、じーっと眺めていると右から「永洗」という名前が見えてくるのではないか。ここまでわかればあとはググるだけで富岡永洗という名前の日本画家を見つけることができるというわけである。
ちなみにこの篆書体がある程度読めるようになると、蔵書印の判別にも役立てることができる。
上の画像は僕が架蔵する本に捺された蔵書印である。
少し慣れていれば「神代蔵書之章」と読み下すことができ、もう少し知識があれば、印の主が「校正の神様」として名高い神代種亮だと気づくことができるだろう。
(どうでもいいが、国文学研究資料館の「蔵書印データベース(http://base1.nijl.ac.jp/~collectors_seal/)」にも同じ印が収録されていて、蔵書印主が神代種亮のものであるという記載は、僕の指摘によって追加された項目だったりする)
手元にある本が、歴史に名を遺す人物の旧蔵書であるというのはなんとワクワクすることだろうか。
お察しの通り、こうした知識を蓄えても基本的には何の役にも立たない。古本を買い、それについて調査を進める時には必要な、あるいは持っているとと非常に助かる情報でこそあれ、発展性は皆無と言っていい。
まあでも、こんなジャンルでも今までに言及されてこなかったことを見つけられたりするから楽しくはある。