学校での子どもたちとの出会いに思う
大人になると、1日1日があっという間です。それどころか1年もあっという間で、あれっ、このあいだ年が明けたのに…? と思いながら大晦日を迎えるような感覚です。でも、子どもの頃はそうじゃなかった気がするのです。1日も1週間ももっともっと長くて、1年の中にはいろいろなことが詰まっていました。
どんな大人にも子どもだった時代があります。みなさんもわたしと同じように「子どもの頃はこうだった」と思ったりしているかもしれませんね。子どもの頃というのはちょっと特別な数年間です。
新卒で働いたある職場で、わたしはあるアルコール依存症の患者さんに出会いました。もちろんその幸せや不幸せをわたしが判断することはできません。でもその方の人生史は壮絶だと感じました。とりわけ子どもの頃の生育環境のインパクトが大きく、もしもこの方が子どもの頃にもっと違う体験をしていたとしたら、今とは違う暮らし方があったのかもしれないと強く思わされるものでした。
子どもの頃の逆境体験がその後の人生にどのような影響を及ぼすか、そしてそれが育ちの環境の中でケアされることもありうる、ということはわたしの心理職としての方向性にひとつの道筋を作りました。どんな人も通る子ども時代だからこそ、その時代の経験がその後の人生を支えられるものになるような仕事をしたい、と強く思ったこともまた、わたしが学校で働いていきたいと思う根っこのひとつになっています。
学校にはたくさんの子どもたちがいます。育ちの環境も、それまでにしてきた経験も様々です。
みんなで支えていきたい、学校や地域でチームになって育てていきたいと思う子も、はつらつと元気な挨拶をしてくれる子も、スポーツ大好きな子も本が拠り所の子も給食が楽しみな子も、学校には様々な子どもたちがいます。スクールカウンセラーとして、その子たちとどんな接点を持てばそれぞれにとってプラスになるかなぁと考えることも仕事の中での日常です。
心への関心の裏側にあったもの
「わたしとスクールカウンセラー」で書いたとおり、わたしが学校で働く心理士になろうと思ったことにはきっかけがありました。大学生だったわたしにとって学校の先生になることは現実的な選択肢のひとつだったのですが、でも在籍していたのは心理学科で、そこに入るために1年浪人の道を選んだくらいです。「心理学がやりたい」という思いで突っ走った高校3年生の進路選びでもありました。
どうして大学での学びとして心理学を選んだのだろう? 「心」は目で見ることはできないし、手に取ることもできないし。でもたしかにここにある気がする。不思議。そんな興味が純粋にあったことはたしかなのですが、心に興味を持つようになったきっかけはまた別にあったように思います。
わたしは三世代同居の家で育ちました。そこは父の実家で、父方の祖父母が住んでいて、そこに父と母と子ども2人の家族が一緒に暮らすことになった家でした。わたしにとっては6人家族でしたが、母や祖母にとってはどこからどこまでが家族だったのでしょう。大正生まれで良妻賢母教育の中に育ち、東京の女学校を出てすぐに祖父と結婚し、家庭を切り盛りしてきた祖母。共働きの地方の家庭に育ち、大学を出て教職に就いてずっと働き続けてきた母。まったく文化の違う2人が同じ屋根の下で暮らしていくのは本当に大変なことだったと思います。同じ家族という枠組みに入ることも難しかったかもしれません。
祖母は母のことをわたしによくぼやいていました。母は時々ため息をつきながら祖母の口出しを嘆いていました。どっちが正しいんだろう? それぞれにイヤな思いをさせないで話を聞くにはどうしたらいいんだろう? そんなことをわたしはよく考えていました。
だからなのか、子どもの頃からわたしは相手が何を求めているのかに高いアンテナを張っていました。それは良くも悪くも今のわたしらしさにつながっています。その環境のマイナス面を探すとすると、気ままに我を通せるような拠り所が見つかりづらくていつもちょっと不安でした。ちょっと、と書きましたが、けっこう不安でした。だからこそ、人の心の動きに関心を持ち、思春期を経て高校生で心理学に関心を持ったのだろうと思います。
「ふつう」の子どもだったわたし自身、そこから考えること
でも、わたしは学校では「ふつう」でした。学校でものすごく困るようなことや困らせるようなことはなく、本が好きで、ときどき学級委員もやって、算数は好きじゃなかったけど給食は好きで、放課後は学童クラブに通って校庭でずっと遊んでいる「ふつう」の子どもでした。
だけど、もし子どもだったときのわたしに誰かが声をかけてくれて、聞き役じゃなくて話す側の立場をくれて、わたし自身の話に耳を傾けてくれていたら? それは人生の中ですごく大切な体験になったのではないかという気がするのです。
学校の中にはたくさんの子どもたちがいます。特別なケアを必要としていないような「ふつう」の子どもたちはたくさんいます。でも「ふつう」ってなんだろう? 特別じゃない、表には出てこないようないろいろな気持ちをどの子どもたちも抱えて暮らしています。だからこそ様々な子どもたちと接点が持てたらいいな、様々な子どもたちの言葉が聞けたらいいなと、そうした思いもまたひとつの大きなスクールカウンセラーとしての動力源になっています。
心を支える仕事の中でも、スクールカウンセラーの特徴のひとつは、子どもたちの暮らしの場である学校で様々な子どもたちと出会い、接点が持ちやすいことです。子どもらしい子ども時代を体験できていない子がいたら、暮らしの中でその心の支えのひとつになることもできるかもしれない。あるいは、特別目立っていなくてふつうに暮らしている「ふつう」の子どもたちの心の中にある「自分の話」に耳を傾けることもできるかもしれない。
スクールカウンセラーとしての仕事を考えたとき、「ふつう」の仕事の中にはそんなこともあるなと思うのです。
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