毒親に育てられた毒親の私
毒親の元で育って、そうでない母親になれた人っているのでしょうか。
私は間違いなく毒親です。
抗ってはきたものの、色々あって、今は自分が毒親であることを「仕方ない」と思うようになってしまいました。
他人との関係性が極端なのも、アダルトチルドレンの特徴です。
猛烈に慕うか、こき下ろすか。
そして、とても破滅的。
私はこれまで築いた人間関係で、長く続いたものがほとんどありません。
父兄の影響で深刻な男性不信もあり、これまでの異性関係はほぼ全て、最後は憎しみで終わっています。
友人もほとんどいません。
学生時代から今でも親しくしているのは、たった1人だけ。
もう1人の世界一大切な友人は、2年前になくしてしまいました。
私の道標で、私にたくさんの事を教えてくれた人でした。
彼女がいなくなってから、私の孤独感はかなり増したように思います。
私にかけられた最も残酷な呪いは間違いなく「孤独」です。
それを招く原因はもちろん自分の中にあるわけですが、年々その孤独感は大きくなり、私を着実に蝕んでいます。
どうして私はこんなに早く、祖父母両親を亡くさなくてはならなかったのか。
更に、最も大切な友人まで…
なぜなんだろう? 知らないうちに、私が何か呪いのようなものを放っているのではないかと、本気でそう思ってしまいます。
仕事も2年前に組織改編があり、これまでチームとして目標達成に向けて頑張るというスタイルから、個人の成績だけで評価されるようになってしまいました。
それまでは、休みの日にお花見をしたりとイベントをしたり、飲み会をしたり…という交流もあったのですが、現在のチームは成果を上げても共に喜び合えることも少なく、ある意味周りは全てライバルという状況。
加えてコロナもあり、出社しても会話も少なく、誰かと一緒にランチに行く機会も減りました。
私は今、着実に崩壊に向けて歩んでいます。
とあることの完了まで、あと1年半かかると告げられた時、とても自然に「私はその時、生きているだろうか」と考えてしまいました。
離婚して子供を奥さんに引き取られ、一人になってしまった男性からは「子供がいるんだから孤独じゃないだろう」と言われました。
でも、自分が責任を負わなくてはいけない子供は、この孤独感を埋める存在には残念ながらならないのです。
仲の良い家族に憧れて結婚した後も、自分が親になっても、私が求めているのは「大人からの愛情」であって、それは子供の存在とはまた別のものであることを悟りました。
未だに、優しく包容力のある女性を見ると、無意識に「こんな人がお母さんだったら」という気持ちが芽生えるのです。
私とそんなに歳の差もない女性に対して、そんなことを思うなんて、気持ちの悪いことだなと思いますが、どうしてもその思いを消すことはできません。
大人からの愛が欲しい。
仲の良いご夫婦を見たり、子供らが成長をして少しずつお世話が楽に連れて、そんな気持ちが芽生え始めました。
コロナでテレワークの機会が増え、一時は一切出社がなくなり、時間的な余裕が出来たことも後押しになりました。
以前も何度かそんな機会はあったのですが、昨年、ネットで知り合った男性に会ってみました。
一人は明らかに下心しかない男性でした。
もう一人も、お付き合いしましょうというようなハッキリとした言葉の取り交わしはなかったものの、半年ほど、子供を連れて遊んだり、毎日LINEのやりとりをしていました。
何となく、ずっと一緒にいてくれるわけではなさそうだなと思ってはいました。でも、それは邪推だったのかもしれません。
私はその前の男性のこともあって、普段よりも更に疑い深くなっていました。もっと信頼していれば、もしかしたら結果は違ったかもしれません。
でも、結局その人も去っていきました。
仕事で転勤になってしまったことも要因だったかもしれませんが、最後に言われたのは、私の子供たちと会うと、奥さんに引き取られた自分の子供たちを思い出して辛くなるから、ということでした。
それがどこまで真意なのかはわかりません。
でも、考えてしまうのです。
もし私が一人だったら?
子供たちが、いなかったら?
私の元夫は再婚して子供ももうけています。
きっと別れた当初は寂しかったと思いますが、今は別の家庭を築いて幸せに暮らしている。
もし、私が元夫に子供を渡していたら?
その時は死ぬほど辛いでしょうが、その後、パートナーを得て幸せになりやすいのは、どちらなのでしょうか。
子供が成長して、一日を乗り切るのがやっとだった時期を終え、今、大きな反動が来ているように思います。
子供を喜ばせることができた分だけ、私は生きたことになると思っていたのに。
今は、なぜ自分がいつまでも孤独に苛まれているのか、そればかりに心が捕らわれています。
年齢的にも厳しく、子供もいて、望みはとても薄い。
でも、もしかして、もう一度、誰かと一緒に家庭を築くことができるかもしれない。
そんな希望が目の前をチラついてしまい、離れなくなってしまいました。
自分がそんなことを思うなんて、夢にも思わなかったのに。
どうして、あの人は去ってしまったのだろうか。
つかめなかった幸せが、これまでとはまた別の角度から、私を苦しめるようになってしまいました。
そんなことに捕らわれている母親の子供。
しかも、他に身寄りはない。
これほど不幸な子供たちがいるでしょうか…。
10年後の自分を想像してみると、私はもうこの世にはいないのではないかと思えてなりません。
5年後も危うい。少なくとも、まともな精神状態ではいないのではないでしょうか。
2年後…ぎりぎりまともを装って暮らせているかもしれない。
でも、もしかしたら、半年後には発狂して刑務所の中にいるなんてことだって、全然非現実的ではないのです。
毎日、そんな危うい細い道を歩いているのが現状なのです。
貧困でなくても、そこそこの収入があっても、全然健康でもまともでもない心を持って、生きています。
だからって、じゃあ子供を捨てて生きていくという選択を自分が取ることは、おそらくありません。
そこまでの状態まで追い詰められたとしたら、私は自分一人がこの世から消える選択をすると思います。
その方が、子供達も幸せになれるのではないか。
私が無理して頑張って生き、毒を与え続けたパターンと
私が早くに死ぬパターン
両方の結末を見ることはできませんが、後者の方が子供たちは幸せになれていたのに、良かれと思って毒親として生き続けた結果がより悪い未来を生むとしたら
それこそが、私にとっても子供にとっても最悪な結末になるわけです
いずれにしろ、少なくとも、まだしばらくは生きていようと思います。
子供たちを幸せにするために自分を殺すことができなくなってきて、それを仕方ないと許容し始めている
昔の自分だったら石を投げていたであろう人間に、自分がなりつつある
でもきっと、シングルマザーから再婚して幸せになっている人って、多かれ少なかれ、こういったことに罪悪感を感じて乗り越えた人なのだろうなとも思うのです。
結局、いろんなことにがんじがらめになって、何もできずに時間を無駄にした私は、自分を幸せにも出来ず、故に子供達も幸せにできない、一番駄目な母親なのかもしれません。
私はどんな結末を迎えるのか。
バッドエンドの際には、ここに書くことも出来ないかもしれませんが、少なくとももう少し、物語は続きます。
残念ながら。
(校正できてなくて乱文ですが、一旦、投稿)