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デリバリーのドライバーがマンション内の家庭菜園の野菜をとりました。あなたはどうしますか?

議論は、デリバリー有名企業のドライバーが野菜を盗んだところからはじまる。

コロナ禍で契約ドライバーのマナー違反が問題視されている、とあるデリバリーの有名企業。
見慣れた四角いバッグを背負ってやってきたその人は私の住むマンションの住民への配達が終わると、マンションのオートロック内部で住民同士がシェアしていた家庭菜園の野菜をまるごと全部とっていった。

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↑実際に持っていかれた野菜。30分前にこどもたちが泥を落としたものでした。

偶然見かけたので、追いかけていって問いただせば、

私有地内であれ『ご自由におとりください』の札に『部外者はだめ』とは書いてない。
表現の受け取り方は自由だ、十人十色という言葉を学べ。とられるのが嫌なら書いておけ。

とのこと。

その他、罵詈雑言は聞き流すとして。
とてもじゃないが、おすそ分けをしたいと思えるパーソナリティではなかったので、野菜はまるごと返してもらった。
いつも住民思いなコミュマネと、住民たちと、その子どもたちとが、約5ヶ月もの間、水をあげ、虫除けをし、トゲに刺さりながら、収穫し、丁寧に泥を落とした、その成果に思いを馳せない人に、全てを分け与える必要があるとは思えなかったからだ。私はこう返した。

私有地内の「ご自由にどうぞ」を、仕事のために入ることを許されたドライバーが持ち出していいという認識は、おそらく一般常識的ではないですし、そんなに野菜が必要だったなら、ただ一言、すぐそばにいた我々に声をかけて確認してくださればよかったと思うのですが。

そんな私の言葉を尻目にその人は自転車で去って行った。

その人の行動に気づいた時に、「きっと野菜が美味しそうに見えたんだね。ちょっと持っていくくらいなら別にいいよね。」と、住民同士で話していたことは、住民側のみが知る事実。しかし、根こそぎ全部となると、さすがに住民の分かち合いがなくなって困る。

さて。
困った人がいるものである。

多くの悲劇的な投稿は、ここで終わる。
しかし議論を続けよう。

多くの悲劇的な投稿は、ここで終わるだろう。
コメント欄に並ぶのは、

かなしいですね。
世間知らずめ、けしからん。
そんなやつ、生きている価値がない。
親の教育が悪いんだ。
企業の責任を訴えろ。
いやいや警察に届け出だ。

でも、そういう己の正義感でマウントをとったら、あなたの中で、社会の中で、この問題は終わるのか。いや、終わらない。終わらせてほしくない。

困った人は、困っている人。

困った人は、困っている人でもある。
そんな前提で、今はもう姿のないドライバーと議論したかったことをこの投稿で共有したい。

「お前の言い訳はただの屁理屈だ、悪党め!」と、手を尽くしてその人の社会的ポジションを追い詰めることは至極簡単だ。個人事業主として契約しているドライバーは、客からの評価が悪ければプラットフォーマー側からいつでも契約関係を切ることができる。つまり、簡単に相手を無職に追い込むことはできる。

だけど、想像してみよう。

あなたの想像力は社会を変える架け橋だ。

それぞれの正義感があっていい。
だけど、「相手の立場を考える」。
常識に外れた行動を前に、わたしたちは意外と当たり前のことができないと思う。

なんとか見つけた職業なのかも。
家賃を滞納し今にも家を追われる状況かも。
今日の晩飯に困っている可能性がある。

今これを読んでいるそれなりに生活が豊かな人は、そんなの全て自己責任だ、と思うかもしれない。
どちらかというと、私も、自分のことは自己責任だと思うようにしているが、それなりに貧しい時代があったので、あえて以下のことを伝えたい。

「すべては自己責任。」という社会の風潮を理由に、
他者を切り捨てた方が楽に生きていける私とあなたに。

追い込まれた時に、人の頭を支配するのは、論理的プロセスに沿った長期的解決ではなく、目先の部分的解決に都度すがることだったりする。
自分を証明するものがない、公共に助けを乞う方法を知らない、人に迷惑をかけるのは悪いことだと思っている、そんな人もたくさんいる。

助かり方がわからない。
助けてくれる人もいない。
そういう人を追い詰めたらどうなるか。

あの人は今日もドライバーとして働いている。
再度問題を起こす確率も高いだろう。
私や、あなたが、けしからん、と、SNSでマウントをとって自己完結する話じゃない。

この社会で、あの人と生きていく。
その余地を、どう見出そうか。

与太郎や、八っつぁん、熊さんと向き合うように、愛をもって考えたい。

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