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アイデンティティ クライシス。
こんばんは・ᴗ・
今日は、アイデンティティ クライシス。
自己喪失。というテーマに沿った日記を書きます。
自己喪失とは、自分が何者なのか分からなくなる現象のことを言うそうです。
私が体験したアイデンティティ クライシス。
過去の日記にも書いた不登校や、引きこもりも、きっとそうなんだろうなぁ。と思うのですが、
正直、この辺りの記憶があまりありません。
思い出そうとしても、思い出せない。
そうして思い返してみると、夫の駐在に帯同して、海外で暮らし始めて3年ほどが過ぎた頃、このテーマに合うような出来事がありました。
今日はこのお話について書きます・ᴗ・
当時、1年に1度の帰国のたびに会う友人に、
『花は、考え方も話し方も、
なんか外国人みたいになってきたね。』
と、言われたことがありました。
友人は悪気があって発言したわけではなく、良い経験してるね。っていう、会話の流れからのそんなニュアンスで発言していたのですが、
まずい。
と、思ったのを覚えています。
いつもの『嫌われたら、どうしよう。』が、
瞬時に頭を過ぎり、みんなと同じでないとダメなんだ。と、それからは、なるべく、
私の『日本人として』の感覚を
取り戻そうと、帰国中は常に意識していました。
日本を離れて暮らすと、どうしてもその暮らしている環境に順応しようと、必死になりがちで、
気が付くと、その国に合った思考を持つようになっていたりします。
そうしないと、日本人としての感覚で外国に暮らすのは、ストレスも多く難しい。
そしてこれは、私だけというよりかは、
海外で暮らした経験のある帰国子女や、
私のような駐在で帯同したことのあるご家族などが、一度は思い悩む出来事あるあるなんじゃないかなとも思います。
今になって思うのは、その独特な悩みや不安を日本で暮らす家族や友人に必死に訴えたとしても、境遇が異なるので、それを共有すること事態、難しい事だったんじゃないのかなぁ。と、客観的に捉えられるのですが、
認めてもらえない。
わかってもらえない。
だったら黙っておこう。
嫌われないように。
この思いが強かった私は、
その場所が嫌で嫌でたまらない。解放されたい。
と思うようになり、辛い現実になっていました。
本当は、ここが大好きで、自分が帰ってこれる場所だと思いたいのに。
そうして、その場からは解放されたとしても、根本的に解決はできていないので、どこへ行こうが同じですよね。また思い悩む。エンドレスです。
私が今、ボランティアで所属する日本語サポートでは、国や人種が違えど、心には共通するものが沢山あって、考え方も感覚もその違いも含めて、私たち同じ人間なんだよね。と、あえて何も隠さず伝えて会話をしています。
良いところも悪いところも含めてそれが私たち日本人なんだよね。と、私が偉そうに言える事ではないのですが、そこも含めて日本人を好きになってほしいなぁ。と、思うのです。
きっと、これなんだろうなぁ。
昨日の日記に書いた答え。
私の身近な人との間にも、このボランティア活動をしている私が出せたら、悩まないでいられる気がします。
こんな風に弱いところがあるけれど、
そこも含めて私なんだということを、
まず自分が認めて、発信できれば、
認めてほしい、わかってほしい。なんて焦らなくたって、自然と伝わるんじゃないかな。
と、思いました。
誠実に、時間がかかっても、
自分に嘘をつかない。
頑張ろうっと・ᴗ・
明日は朝からこのボランティアでイベントがあり、すごく緊張するけれど、受付を任されました。いの一番に外国人の方たちを、お出迎え。
喜んでもらえるイベントにしたいです。
明日の日記は、イベントの様子も書けたらと思います。
今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
では、おやすみなさい🌝