
『なぜ人は「消えたい」と思うのか?』②〜実存主義的視点から考える〜
微妙ににあとを引く「消えたい」というテーマ。
前回の記事では、心理学的な視点から「消えたい」という感情について考察しました。今回は、実存主義という哲学の観点から、この問いを考察してみたいと思います。
1. 実存主義とは何か?
実存主義とは、「人間の存在とは何か?」という問いに向き合う哲学です。キルケゴールやニーチェ、ハイデガー、サルトルといった哲学者がこのテーマに取り組みました。
実存主義の重要なポイントは次のようなものです:
世界には本来の意味がない → 意味を作るのは自分自身
自由と責任がある → 選択をするのは自分自身
不安や虚無がつきまとう → それをどう乗り越えるかが問われる
この視点から「消えたい」という気持ちを読み解いていきます。
2. 「消えたい」とは、実存の危機である
実存主義の哲学者たちは、「人は自分の存在をどう受け止めるか」によって生き方が変わると考えました。「消えたい」という気持ちは、**「自分の存在の意味を見失うこと」**から生まれます。
(1) 世界の不条理と向き合う(カミュの視点)
アルベール・カミュは『シーシュポスの神話』で「人生は不条理である」と述べました。つまり、世界には本来の意味や目的がなく、私たちは意味のない世界に投げ出されているという考え方です。
たとえば、毎日同じような生活を繰り返し、未来が見えず、努力が報われないと感じたとき、「何のために生きているのか?」という疑問が浮かぶことがあります。この「不条理」を受け入れることができないと、人は「消えたい」と感じやすくなるのです。
しかし、カミュは「それでも人生を肯定することができる」と主張します。不条理な世界の中で自分なりの意味を見出すことができるからです。
(2) 自由という重荷(サルトルの視点)
ジャン=ポール・サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と述べました。これは、「私たちは何者でもなく、常に自分自身を選択し続けなければならない」という意味です。
この考えに従えば、「消えたい」という気持ちは自由の重さに耐えられないときに生じると言えます。
何をしても自由なのに、何を選べばいいのか分からない。
どの道を選んでも正解がない。
選択に伴う責任が怖い。
こうしたプレッシャーに押しつぶされそうになったとき、人は「消えたい」と思うのかもしれません。
サルトルの答えは「選択し続けることが実存である」というものです。たとえ不安や迷いがあったとしても、自分の人生の責任を引き受け、行動し続けることが大切だと彼は説きました。
(3) 「他者の目」に囚われる(ハイデガーの視点)
マルティン・ハイデガーは、人間の存在について「本来的な生き方と非本来的な生き方」を区別しました。
本来的な生き方 → 自分の内なる声に従い、生を選び取る。
非本来的な生き方 → 他者の目を気にして生きる。
「消えたい」と思う人の多くは、社会の期待や他人の目を気にしすぎているかもしれません。
「こうあるべき」「普通はこうするもの」という社会的なプレッシャーの中で、本当の自分を見失い、苦しんでしまうのです。
ハイデガーは、**「死を意識することで、本当に生きることができる」**と説きました。「人はいつか死ぬ」という事実を受け入れることで、他人の目ではなく、「自分がどう生きたいか」に集中できるというのです。
3. それでも生きていくために
「消えたい」という気持ちは、人生の意味を見失ったとき、あるいは自由の重さに押しつぶされそうなときに生じるものです。しかし、実存主義の哲学者たちは、「それでも生きていくことに価値がある」と説いています。
✔ 世界に意味がないのなら、自分で意味を作ればいい。(カミュ)
✔ 自由が怖くても、選択し続けることが人生である。(サルトル)
✔ 他者の目ではなく、自分がどう生きたいかを考える。(ハイデガー)
生きる意味を見失ったときは、「自分にとっての意味」を見つけることが大切なのかもしれません。
「今すぐ意味を見つけられない」と思っても大丈夫です。大切なのは、「意味を探し続けること」。
実存主義の哲学者たちは、「不安や迷いはあって当たり前」と考えていました。そして、それを乗り越えようとする過程こそが、生きることなのです。
4. おわりに
「消えたい」と思う気持ちは、決して特別なものではなく、むしろ人間にとって自然な感情の一つかもしれません。
未来が見えないとき
他人と比較して苦しくなるとき
選択肢が多すぎて分からなくなるとき
そんなときこそ、「どう生きたいのか?」を問い直すタイミングなのかもしれません。
世界が不条理であるなら、自分の意味をつくっていけばいい。
自由が怖いなら、一歩ずつ選び続ければいい。
他者の目が気になるなら、自分が何をしたいのか考えればいい。
「消えたい」と思うことは、「どう生きたいか」を考えるきっかけにもなります。
あなたにとっての「意味」は何でしょうか?
それを探し続けることが、生きることなのかもしれません。