教師が不登校の生徒に悩んでいるときに読んでほしい本⑬からかわれやすい子はなぜ、からかわれやすいのでしょうか。弐
からかわれやすい子どもが、なぜからかわれやすいのか➁
~自己肯定感の低さ~
からかわれやすい子どもが、なぜからかわれやすいのか。について、言語力の低さ以外にも理由がもう一つあります。
それは自己肯定感の低さです。
からかわれやすい子どもの特徴として、
・”何を言われてもへらへら笑っている”
・”ネガティブ思考”
・”いらないひとことを言う”
・”嫌なことを言う相手についていく” などの特徴があります。
なぜこのような行動を取ってしまうのでしょうか。
まず、なぜ”何を言われてもへらへら笑っている”のでしょうか。
何を言われてもヘラヘラ笑っている状態は、正常な精神状態ではありません。周囲はある種のフラストレーションを感じ、「なぜ言い返さないの?」「嫌なら嫌とはっきり言いなさい。」と言いたくなります。
子どもの世界では「暗い」やつ、今の言葉では「陰キャ」という言葉で、子どもの世界の低位に位置づけられ、ひどい場合は「あいつには言っても大丈夫」と思われてしまいます。
そのような状態の子どもは、自分を否定する言葉を弾き返すエネルギーがないのです。自分はそのような馬鹿にされるような人間ではないと、確信を持って表現をする自信を持っていません。
このような子どもは、子どもの心の支えが足りていないのだと思います。本人が「こんなこと言われて嫌だった。」と言えば「そうか、それは辛いね。」と寄り添って支えてくれる誰かがいないのです。それは保護者がその役割を担うことが多いでしょうが、いずれにせよ、自分を否定する言葉を否定してくれる誰か、子どもの味方になってくれる誰かです。
我々大人は、自分のことを馬鹿にされるような人間ではないと思っています。それは、これまでの人生経験の中で、自分がまっとうな人間として扱われ、励まして大事にしてくれた誰かがいたのかもしれません。それがあなたを支え、自己肯定感の源になっているのでしょう。だから、自分を否定する言葉に対し、言い返せるほどの十分なエネルギーがある、だから「嫌だとはっきり言いなさい」と子どもに自分を低い立場にする言葉を否定してほしくなるのです。
つまり、言い返せないほどの精神状態というのは相当程度に自己肯定感が下がっている状態なのです。
自己肯定感が下がっている子どもは、“ネガティブ思考”になります。
”いらない一言を言う”理由
そのような子どもの心の中にある潜在的な、「誰かに自分が思ったことを聞いて欲しい!」、という満たされない欲求の表出を感じます。今までずっと聞いてもらえていないので、もう我慢できないくらいに未消化の感情が心の中であふれているのです。そのような子どもに教師は「後で、誰かと密かに言えばいいのに」と思ってしまいますが、まさに「後で話す場」がないのでしょう。
そして、ネガティブ思考なので、その一言がまた周囲にとって、やる気をなくさせるような嫌な一言になってしまいます。
“嫌なことを言う相手にもついていく”のはなぜ?
他に居場所がないからです。本人にとって、そのような場が最も居心地のよい場所になっている、孤独の辛さよりも、嫌なことを言う相手やグループにいる辛さの方がいいと判断しているのでしょう。
そして「何を言われても、嫌な相手やグループについていけてしまう」精神状態は、本人が自分のことを「自分はそのような扱いを受けてもいいんだ。自分は価値がない人間なんだ。」と思っていないと無理ですよね。これは、自己肯定感がかなり低い状態でないとできないです。(友だちを新たに作るコミュニケーション能力がない可能性もありますが。)
以上のように、自己肯定感の極端な低さからくるエネルギー不足とネガティブ思考など、からかわれやすい子どもは、からかわれやすい状態になっていると言えるのです。
クラスである子どもが不登校になったとします。原因は些細なからかいだと思われました。なぜなら、そのからかいのあった次の日から学校を休むようになったからです。担任の先生は、「そのからかいの裏に大きないじめがあったのではないか」と大変心配になります。その子どもの保護者ももっとそう心配するでしょう。実際本当に大きないじめがあるケースもあるかもしれません。そのことを否定するつもりもありません。そのいじめの存在を心配するのも、教師なら当然でしょう。
しかし、子どもの不登校が一年経ち、学年が上がりクラス替えがあり、かつての脅威が存在しなくなったにもかかわらず、不登校が続くことが実際には多いです。脅威が存在しなくなったのに、なぜ学校に行けない状態が続くのでしょうか。
脅威がなくなって、初めてその子どもが持っていた本来の課題、あるいは発達凸凹が見えてくることがあります。学校のいじめのせいにしていては、このことが見えてこないのです。つまりは、からかわれやすい子どもが本来持っていた言語力の低さ、コミュニケーション能力の低さ、自己肯定感の低さが、やがて学校で不適応を起こす。それが不登校ではないかとも思うわけです。
からかいはあくまでそのきっかけであり、引き金に過ぎなかったのです。感情の処理が未熟な状態の子どもは、いずれ誰かとトラブルになっていただろうと思うのです。
そんなことに気づき始めた頃、「自己肯定感」と「子どもを支える」の意味が、私の中でキーワードになっていきました。