守るものがある者と、守られている者と、守りたくても守れない者
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仕事をしていると、独身女性なら誰でも、
結婚して、子どものいるお母さんと比較をしてしまう。
アルバイトやパートで働く女性。
「旦那さんの扶養内で、限られた時間しか働けない」
「小さな子どもがいるから、お迎えの時間には帰らないといけない」
「一人親世帯だから、出世は難しい」
など、どこの家庭でも、それぞれの悩みを抱えていて、何かしらの難しい課題と向き合って暮らしている。
私は独身で、誰かの給料をあてにすることはできないので、仕事で嫌なことに直面しても、自分でなんとかするしかない。
引きこもっても、誰も助けてくれない。
百歩譲って、親はチカラになってくれるだろうが、いつまでもおんぶに抱っことはいかない。
親も老化する身体にムチ打って、自立して生活している。
両親が、介護保険を利用していないだけ、ありがたいと思う。
私が介護職に就いていたとき、自分の親より若い年齢の利用者さんのオムツを替えたり、入浴していただいたりしていた。
人間は、2種類に分けられる。
「世話をする側」と「世話をされる側」である。
ひとは、いつまでも、ずっと元気ではいられない。
介護サービスを受けていた利用者さんも、
まさか自分が寝たきりになるなんて、若い頃は
露ほども思わないで人生を謳歌していただろう。
他人にオムツを替えてもらう、とか。
お金を払って、食品を購入してもらう、とか。
他人に付き添ってもらって、病院に行くとか。
住む家を捨てて、高齢者施設に入る、とか。
そんな未来は、他人事だと思って、生活してきたにちがいない。
なぜか、人生は思うようにならない事が起きる。
自分に都合のいいようにしか、
ヒトは
未来を描かない。
実家に帰ると、父と母がいる。
帰省すれば、母の代わりに、
私がご飯を作り、掃除をして過ごす。
でも。
ものすごく、よく眠れる。
一人暮らしの部屋では、熟睡できないけれど、親がいる家では、熟睡できる。
気持ちは、守られていると満たされる。
守られている、という安心感は、相手を守っている、という自覚をも生む。
守るためには、強くならなければいけないし、賢くいきたいと願うことにもつながる。
世話をする側でいる時間が長くあるように、
守る側でいられるように、
いつでも片手をあけて、
誰かのちからになれるように。
ひとの幸せを願う人でいたい。