贈り物をするということ🎁
昨日の、つぶやきのこと。
「色々、検査したら、癌じゃないことが分かったの。心配かけて、ごめんね」
久しぶりに知人に会って、いきさつを話した。
「もう、ほんとに心配してたよ〜。よかったよ。本当によかった」
と、まっすぐ私の顔を見て、嬉しそうに話してくれた。目にキラリと光るものを感じた。
彼女は、私と歳の近い母親がいて、母親は婦人科の癌を手術で克服していた。
彼女が幼い頃の出来事だったそうだが、子どもながらに母親の病気の辛さを感じ取っていたらしい。
他人事と思えなかったのかもしれない。
そして、彼女のここ一ヵ月の近況を聞いた。
「友達の出産予定日、2日前なんだけど、まだ生まれて来ないんだよ」
と、聞いていた話しの続きと分かった。
また、飲食店で働くことも話した。
友達の出産については、話が広がった。
「焼き肉を食べると、生まれやすい」
とか、予定日が来てから出産を早める方法をインターネットで調べると、いくつか、出てきた。
・雑巾がけをする
・ウォーキングをする
・スクワットをする
食べ物のジンクスも並んでいた。
・オロナミンCを飲む
・ラズベリーリーフティーを飲む
・カレーを食べる
焼き肉を食べる、というのは、実践済みらしい。今日も、家で焼き肉だね、と明るく話していたが、やはり気にかかるようだった。
用事が済んでから、全国チェーンの外国製食材を購入できるお店「◯ルディ」に行った。
そして、ラズベリーリーフティーと、辛味の少ないカレーを2セット、クリスマスプレゼント包装をしてもらって、彼女に渡しに行った。
喜んでくれた。
私の病気の話を聞いて安堵したときみたいに、真っ直ぐな表情でうれしそうに笑っていた。
プレゼントは欲しくない物だと、
それが暴力になってしまう、
と思えてしまって。
最近は、あまり誰かにプレゼントをすることがなかった。
特に処分に困るモノだったりすると、面倒。
今は、フリマアプリで個人間の売り買いが出来るから、だいぶ負担が軽減する時代になった。
気持ちを込めての贈り物は、
本当はココロの方をプレゼントしたい。
ココロは目に見えないから、
それがモノになる。
だから、
ココロで繋がった絆をモノで表現したい。
私は生き続けるのが、ときどきシンドくなることがあっても、
誰かが、その人の近況を届けてくれるとき、
それは、自分が生きていなければ応えてあげられないものだ、と大切に受け止めることにする。
「死んで花実が咲くものか」
と、よく父が話す。
枯れてしまった木には花も実もならないように、人間も死んでしまったらおしまいである。
生きていればこそ、よいときも巡ってくるであろう、というたとえ。
「命あっての物種」なんかも、それだ。
生きとし生けるもの、必ず終わりがある。
終わりがあるから、頑張って生きる気持ちにもなる。
不老不死なんて、私には何の魅力も感じない。
限りがあるから、その限りまで生かされる。
そこまで、
なんとなく、でいいから
生きてみようと思う。