見出し画像

映画『悪は存在しない』濱口竜介監督

映画『悪は存在しない』公式サイト - EVIL DOES NOT EXIST|監督:濱口竜介×音楽:石橋英子

濱口竜介監督「悪は存在しない」2023

ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞作。

たぶん、ここ数年、世界中の映画批評ファンが、HAMAGUCHIの新作を待ち侘びてきた状況だと思います。
そんななかで、あふれかる期待を、はるかに上回るかたちで、あらたな映画的空間を提示してみせた濱口先生の才能とpersistence (or persistency?) に対して、なんと表現したらわからないけど、いち映画批評好きとして、心ににじみわくのは、ただひたすら、敬意、です。


最後の神秘的にみえる結末ももちろん素晴らしいのですが、
とくに、冒頭の長回しは、虚をつかれました。
ある意味、濱口先生の映画的姿勢(?)全体を象徴するようにも見えました。

===
信濃の山間部に一人娘と生活する、ミノル(大美賀均)。
伐採木を台に横たえ、チェーンソーで丸太にし、斧を振り上げてかちわり木片にして、手押し車につみあげて山の起伏を柔らかくのぼり、自宅の玄関前の薪置き場まではこんで積み上げる。
====

冒頭で、この一連の所作が、ワンテイクでおさめられています。
下手なディスクリプションだと、この長回しの迫力がたぶん、まったく伝わらないし、実際のところ、カメラも俳優もあまりにさりげないので、物語のなかで見過ごしてしまいそうだけど、いや、やっぱりすごいと思います。。

主演の大美賀氏は、カメラの前で、力むことも衒いもなく、朴訥としたようすで、淡々と、そつなく、一連の作業をやりとげてみせる。何十年もこの動作を繰り返してきた生活者のように。

ちなみに、大美賀氏、助監督などのキャリアが長いそうです。映画史的には「非職業俳優」のカテゴリーに入れられるかと思います。

職業俳優ではない主演俳優の棒読み調のセリフに最初は違和感を感じさせられますが、『ドライブ・マイ・カー』で舞台俳優たちがセリフの読み合わせ練習で平板な朗読を強いられる場面のように、『悪は存在しない』もまた、村民役の俳優たちが、おそらく俳優が感情を演出することのないように、平板な口調で会話するうちに、ミノルを中心とする、映画空間が、自然さ、みたいなものが醸成されるのは、濱口流演出の極みだとおもいます。

そんなわけで、『悪は存在しない』、もしくは濱口監督に、ブレッソンとネオレアリズモを強く感じる、昭和生まれの映画史ファンにしてみれば、「非職業俳優」と「長回しと」を、映画的現実を創造的力に結びつけてしまうところなど、大好きです。loggingの動作の完璧な再現?など、物語映画のリアリティを高める濱口演出の極み。

長回しに非職業俳優の登用なんて。
ネオレアリズモか、濱口=ブレッソンや〜。
個人的には大好きな世界です。

濱口=ブレッソン映画の自然と野生、理性と非理性、とか、それとか、みたいなことを考えようとしたけれど、濱口=ブレッソンの世界は深度が深くて、拙ない思考力ではおいつけないです。どこか遠くにひきずられていくようなフィルムでしたが、そこには深い知性と確信があって、。

だけどたぶん、あれは、森の木々のたちならぶ狭間にある、虚無、みたいなものなのだろうな、と。レトリックかイメージでしか接近、もしくは表象、できないたぐいの暗闇で、ある意味で、夢のような、覚醒するとおぼつかなくなるイメージみたいなものなのかもしれない。どこか遠くにひきずられていくようなフィルムでした。

近所のクリニックの壁にかけられた、季節ごとに掛け替えられるリトグラフを眺めながら、そう思いました。どうでもいいのだけど。






いいなと思ったら応援しよう!