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本を借りれない症候群
本を読むのは好きだった。小学校の頃は、中休みと昼休みがあり、中休みの最初に本を借りて読み、中休みの最後に返して新しいものを借り、授業の間の小さい休みを利用して本を読み、昼休みにまた返して借りる。
を毎日のように繰り返していた。
中学生になってから、スマホの登場でめっきり読書をしなくなった。が、最近また読書の楽しさに気がついて、本を読もうと思って図書館や本屋に出かける。
その時ふと、思い出したことがあった。
小学校の図書室には、貸出カウンターの前の棚に、はだしのゲンが置いてあった。
はだしのゲンとはざっくりと言うと、原爆を実際に体験した作者が描いていた、戦争についての漫画だった。
小学校の図書館には私の元愛読書「〇〇のひみつ」をはじめとする「日本の歴史」「偉人伝」「はだしのゲン」は漫画だが、置いてあった。
その中でもはだしのゲンは、最も家にある漫画(週刊少年ジャンプやちゃおなどの、教育漫画では無いということ)に近かった。分厚さと内容から、はだしのゲンは小学校5年生、6年生をメイン層に読まれていて、小学校3年生の私はそれに密かに憧れていた。
漫画なので人気なはだしのゲンにしては珍しく、1巻が本棚に並んでいたのを見つけ、嬉々としてカウンターに借りに行った。
「そんなに難しいの読むんだね」
と、仲の良くして下さっていた図書館司書の先生に言われた。まあね、とその時は褒められた気でいたが、担任にも同じことを言われたし、母親には
「まだ早いでしょ、やめなよ」
と言われた。私はなぜ責められているのか分からなかったが、とにかく小学校3年生の私がはだしのゲンを読むことは大人が珍しがる、咎める、良くないことなんだということだけは理解出来た。
その少し後に、私の曽祖父が亡くなった。
久しぶりのお葬式であったし、小さい頃から亡くなる直前まで、私に良くしてくれていた。しっかりと面識のある人が亡くなるのは初めてだった。
私は図書室に行った。図書室入ってすぐ右の棚には、再度登場。私の元愛読書「〇〇のひみつ」シリーズがずらっと並んでいる。表紙やタイトルで読むものを決めていたので、アイスのひみつや給食のひみつは今でも覚えてるくらい何度も読んだ。中にはオロナイン軟膏のひみつや正露丸のひみつもあった気がする。
その中で、手をつけてなかった冠婚葬祭のひみつに手をつけた。
既にシリーズの8割を読破していたため、いい機会だと思った。いつも通りカウンターに行くとボランティアの保護者に
「渋いね~」
と言われた。曽祖父が亡くなったことは誰にも言わなかったので、傍から見ると冠婚葬祭について知ろうとする小学生は確かに渋い気がする。と今では思える。
家に帰ってその話をすると、
「恥ずかしいな~やめてよー」
と、親に言われた。
このふたつの経験から、私は図書室、図書館、本屋さんなどあらゆる所で本を借りたり購入する時に、見えない誰かの目を気にしてしまう。
私が読むものは、周りから見て変じゃないか。
こう思う自分を辞めたい。
そう思わずに借りたり、購入できるのは、参考書(問題集など)、辻村深月や恩田陸などの現代の有名作家の小説、お菓子作りのレシピ本。
以上3点。
本当は、太宰治も夏目漱石も、川端康成も読んでみたい。が、女子高生がそれらを手にするにはあまりにも渋すぎる。
本当は、国語の論説文に出てくるような本、新書だって読んでみたい。が、高校生が読むにはあまりにもハードルが高すぎる。
本当は、昔から謎の苦手意識のある自己啓発本がどのようなものが実体験を通して学びたい。が、イキってるとか思われそう。
本当は、もっと色々な本が読みたいんだ。
治そう。と思い、思考を張り巡らせた。
ハードルが低いものから、低いものから…。と思ったが、実際に借りたり購入することでしかこの癖は治らないと気がついてしまった。
明日、学校の定期テストが終わる。
友達と駅前の本屋に行って辻村深月の未購入の本を大量に買い漁るつもりだ。そこで1冊、踏み込んでみよう。そうだな…、まずは夏目漱石から。