私は、母になる。
私は前から子育てというものがしてみたかった。
それは色々なことを教える、英才教育をするというようなことではなくて。
泣くことしかできなかった赤ちゃんが一人前に成長していく姿を近くで見てみたい。各成長段階で親はもちろんたくさん苦悩するだろうが、そういったことも含めて経験してみたい。そんな想いがあった。
しかし、結婚したら絶対に子供を!と強く思っていたわけではない。そこには自分が育った家庭環境の影響があった。
実家はなかなかに貧乏で、それゆえに悲しい思いをすることがたくさんあった。小さいときから友達と同じものは持てず、やってみたい習い事はできず、夏休み明けに皆の旅行話を聞くのは切なかった。
小さい頃の話とういうのは大人になってからも話題になるもので、皆の思い出話から自分の育った家庭の違いを痛感することが今も多くある。
また、日常的にだめなやつだとか、うまくできないことは常に否定されていた。褒められたことはほぼないに等しい。(結婚式のnoteについて両親の話題がほとんどなかったのもこの影響がある。)
長くなってしまったが、自分が結婚しても、貧乏で悲しい思いをさせる生活になるのであれば子供は産まない。何より、自分自身が嫌だ・辛いと思っていたことを子供に経験させてしまうなら、わたしには親になる資格はないと思っていた。
そんななか、夫と結婚した。
夫は穏やかで優しい。細かなところに気づいてありがとうと言ってくれる。
人としてすごく尊敬している。
義父母も人格者で、子供時代の話を聞くとこういう夫が育つのも納得できた。決して大金持ちではなかったはずだ。でも大切にされ、夫は幼少期から今まで、家族の素敵な思い出をたくさん持っている。
夫も私もそれなりに仕事を頑張っている。この人となら、子育てができるかもしれない。夫と私の間に生まれる子はどんなこなのだろう。会ってみたい。そんな思いが強くなり妊活を始めた。
子育てをしたいと思っても、絶対に授かれるわけではないので、そのあたりもよく話し、無理のない範囲で頑張っていくことにした。
そしてある日、ついに妊娠がわかった。
嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
病院に行き、小さな丸いものがみえた。
この間まで何もなかったところに、小さな命が存在していた。
色々調べると、初期はまずこの後心拍確認、その後も16週の安定期に入るまでは特にたくさんの壁があり、不安な気持ちも出てきた。
次の関門の心拍確認では、無事に心拍を聞くことが出来た。
まだ小さな丸なのだけど、ドッドッドッと音が聞こえた。
産婦人科の足をぱかーんと広げる椅子に座りながら、私は感動で少し泣いた。
その後も少し出血があり不安で通院したり。
おそらく軽い方だったと思うのだがつわりでものすごい偏食になったり、においに敏感になったり。
夫は私が食べられそうなものを買ってきてくれたり、自分のご飯は自分で作ってくれて、においにも配慮してくれていた。家事も何の文句も言わずにやってくれていた。
だんだんとつわりの症状が治まり、安定期に入ることが出来た。
安定期と言っても気を付けなければいけないことがたくさんあり、妊娠中はずっと油断できないものらしい。
エコーでは人間の形になり、だんだんとおなかが大きくなり、胎動を感じ始め、母になるという自覚がさらに強くなった。
もしこの子に何かあったら、なんとしても守りたい。私に何があったっていいから。今までの自分にはなかった気持ちが生まれてきた。
私は、どんな母になるのだろう。
いや、妊娠したときからもう母になっているのか。
毎日毎日、お風呂の中でおなかの子に今日はこうだったね、ああだったねと話しかけている。
生まれたらきっとすごく忙しくなって余裕がなくなってしまうかもしれない。
それでも時々は今のこの気持ちを思い出し、子育てをしていきたい。
妊娠期間、まだ折り返し地点。
不安は山ほどあるけれど、目の前のことをひとつずつやっていこう。
幸いにも会社の人たちに理解があり、無理なく仕事ができている。
出社の日も、優先席に乗るようにしているのだが、
譲ってくださる人が多く、本当に感謝している。
病院の先生も看護師さんも助けてくれている。
すでに子供がいる友人たちが色々なことを教えてくれる。
夫もすごく支えてくれている。
色々な人の協力があって自分は今妊婦として生活している。
色々な人のおかげでお腹の子は育つことができている。
感謝の気持ちを忘れずに、残りの妊娠期間を過ごしていこう。
なんだかまとまりがないですが、今の気持ちを書きたくなって記録しました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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