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さかなクンの名言に反論。イジメをする人は世界が狭いのか

 さかなクンの名言に反論しつつ詭弁を学びます。

facebookより

 フェイスブック投稿で見つけたこの名言に対して、誤謬論の知見から反論を試みました。この記事を読めば、さかなクンの名言の詭弁に気づくとともに、下手なアフォリズムが馬鹿らしく思えるようになるでしょう。安易に人の言葉に騙されなくなります。

1.さかなクンの名言を分析する

(1)「世界が狭いとイジメをする」の上手さ

 まずは肯定的にこの名言を見てみましょう。

「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです。イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね。」

さかなクンの名言

 この記事は2015年の朝日新聞記事(いじめられている君へ)さかなクン「広い海へ出てみよう」が元ネタのようです。この記事を読む限り、さかなクンは「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです」とは言っていますが、「イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね」とは言っていません。「イジメをする人は生きてる世界が狭い」という言葉は、拡散する中でついたヒレなのかもしれません。

 人間社会のイジメを得意の魚に繋げるのは上手いですよね。自身の得意分野(魚)の知識を活かして、自身とは関係のない分野(人間社会)に、説得力を持って発言している。
 人にはそれぞれ得意分野があります。野球選手なら野球やスポーツ、料理人なら料理やレストラン、さかなクンなら海や魚。もちろん、それぞれの得意分野であれば説得力のある発言をできます。では、得意でない分野にはどうやって発言すればいいのでしょうか。詳細を語れない不得意分野では、説得力のある発言をできないのでしょうか。そうではありません。自身の得意分野と、発言の対象となる不得意分野を繋げられれば、説得力をもって発言できます。このさかなクンの名言は、イジメという人間社会の現象(不得意分野)を、自身の専門・魚(得意分野)と繋げることで、説得力をもって発言しています。
 実際に朝日新聞の記事で、さかなクンは魚について詳細に語っています。

たとえばメジナ海の中で仲良く群れて泳いでいます。

で、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。

朝日新聞 (いじめられている君へ)さかなクン「広い海へ出てみよう」

 このように、詳細を語っているのは得意の魚について。魚に見られる現象を人間社会と繋げているから、人間社会の問題についてうまく発言できている。この比喩は以下のような構造です。

魚社会と人間社会は似ている。
魚社会では、世界を狭くするとイジメが起きる。
同じように、人間社会でも世界を狭くするとイジメが起きる。

 人間社会と魚社会がうまく比喩で繋がれているから、魚が専門のさかなクンでも人間社会の問題に説得力のある発言ができる。魚の世界への詳細な知識が、人間社会へも生かされているんです。

(2)「世界が狭いとイジメをする」の論理構造

 改めて、フェイスブック投稿に記載されていたさかなクンの名言は以下のとおり。

「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです。イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね。」

さかなクンの名言

 この名言の論理構造はこう。

魚であれ人間であれ、世界が狭くなるとイジメをするようになる。
故に、イジメをするものは世界が狭い。

 論理構造をさらにシンプルにして書き出します。

前提:世界が狭い → イジメをする
結論:イジメをする → 世界が狭い

2.たとえそうだとしても「世界が狭い」と言えない

 ここから名言の誤謬を指摘します。誤謬とは、ついつい陥ってしまう非合理な推論のこと。さかなクンの名言にも非合理性が見られます。

(1)後件肯定の誤謬

条件的前提における後件を肯定したうえで、結論で前提を肯定すること

後件肯定の誤謬の定義「誤謬論入門」

 まずは後件肯定の誤謬。指摘されれば誰もが「確かに」と納得すると思うのですが、知識もないし指摘もされないと、気づかずにそのまま生活してしまう。直感と論理の隔たりが大きいのに、気づきにくい誤謬です。その基本構造はこう。

もしAならばBである
Bである
したがって、Aである

後件肯定の誤謬

 この推論は誤謬です。「もしAならばBである。Bである。」という前提から「したがって、Aである」とは結論づけられません。例えばこんな推論は間違いですよね。

川崎市は神奈川県である
ここは神奈川県である
したがって、ここは川崎市である

 例え「ここ」が神奈川県であっても、川崎市以外の可能性があります。横浜市かもしれませんし、横須賀市かもしれません。確かに川崎市であれば神奈川県ですが、神奈川県だからといって川崎市だとは限らないのです。もう少し日常的な例では、こんなのが考えられます。

体温を測ったら熱がある。コロナウィルスにかかると発熱するっていうし、僕はコロナウィルスにかかったに違いない。

 この推論も正しいとは言えません。たとえコロナウィルスにかかると発熱するのだとしても、発熱から「コロナウィルスにかかった」とは断定できない。熱があると言っても、ただの風邪かもしれませんし、体温計が壊れているだけの可能性もあります。Bが成立するための条件はA以外にも考えられるのです。

(2)「イジメをする人は世界が狭い」のか

 同じように後件肯定の誤謬が、さかなクンの名言に見られます。もし仮に「世界が狭いとイジメをする」のが本当だとして、だからと言って「イジメをする人の世界が狭い」のかというと、そうとは言い切れません。イジメをする要因は世界が狭いだけではなく、他にもあるかもしれないので。というか、他にもあると考えるのが合理的でしょう。例えば、子どものイジメであれば「親の教育が悪かった」とか。あるいは社会人のイジメであれば「会社の利益を上げることに躍起になって、人間関係を軽んじていた」とか。野生の世界のイジメであれば「弱肉強食ゆえに」とか。「世界が狭いとイジメをする」のが本当だとしても、そこから「イジメをするのは世界が狭いから」とは言えません。他にも理由があるかもしれないのです。

3.「世界が狭い」の意味の違い

 次に「狭い」という言葉の意味の違いについて。1回目の「狭い」と2回目の「狭い」では意味が違っており、このような言葉の意味の違いは「多義の誤謬」に当たります。まずは一般的な多義の誤謬について見ていきましょう。

(1)多義の誤謬

議論のなかで2つの異なる意味として使っている語句を、ずっと同じ意味で使っているかのように装い、相手に根拠のない結論を導出させること。

多義の誤謬の定義「誤謬論入門」

 話の中で使用される言葉は、同じ意味を保たねばなりません。特に議論の中で使っている言葉の意味が変わっては、論理的根拠のない結論を導くことになります。多義の誤謬を犯す人は、意図的にしろ意図的でないにしろ、話の中のキーワードの意味を変えて使ってきます。話のポイントになる言葉の意味の変化に気づかずにいると、説得力のない話でも「なるほど」と納得してしまうのです。

 例えば、以前警察官をやっていた時に、次のように言われたことがあります。

市民を守るのが警察の仕事だろう。だったら市民(を)守れや!

 この言葉は交通違反の取り締まりをしているときに、違反者から言われた言葉。1回目の「市民を守る」と2回目の「市民を守る」が違う意味で使われています。1回目の「市民を守る」は「市民の安全を守る」という意味。2回目の「市民を守る」は「市民にとって嫌なことはしない」程度の意味であり、「市民(を)守れや!」は「市民にとって嫌なことをするな!」と解釈できます。違う意味の言葉を一緒にして「市民を守る」などと言うから、上手くて説得力のあることを言っているかのように聞こえるのです。言葉の意味を明確にすると、訳のわからない言葉だと気づきます。

市民の安全を守るのが警察の仕事だろう。だったら市民にとって嫌なことをするな!

(2)「空間的に狭い」と「視野が狭い」

 今度はさかなクンの名言における多義の誤謬を指摘します。

魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです(前提)
イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね(結論)

 複数の意味で使われているのは「狭い」です。「狭い」は前提と結論でそれぞれ一回ずつ使われており、同じ意味で「狭い」を使っているような印象を受けます。どちらも「世界が狭い」ですね、と。けれど、両者の「狭い」では意味が違っているんです。前提で使われている「狭い」は文字通りの狭い。水槽という空間の狭さを言っている。それに対して結論で使われている「狭い」は比喩で、その真意は「視野が狭い」とか「世界観が狭い」というもの。言葉の意味の変化を曖昧にしているから、魚社会と人間社会に繋がりが生じているように感じられるのです。言葉の意味の違いを明確に表現すると、繋がりが薄れてしまいます。こんな感じに。

魚は広い海の中ならお互い助け合うのに、小さくて狭いサイズの水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです(前提)
イジメをする人は生きてる視野が狭いんですね(結論)

 どうでしょう。前提と結論の繋がりが薄れましたよね。途端に、何のことを言っているのか、訳のわからない言葉になりました。「狭い」という言葉の意味を曖昧にして使うからこそ説得力を持つのであって、意味を明確にすると両者の関係性すら危ぶまれる、もろい名言だったのです。

4.魚の世界と人間社会は違う

 さらにさかなクンの名言に対して突っ込みましょう。最後に指摘する誤謬は、記事の始めで「上手い」と称賛した比喩についてです。

(1)不当な類推

2つの物事に1つ以上の類似点があるならば、他の重要な側面においても必ず似ているに違いないと決めつけ、その類似点の些末さや相違点の重要性を認識しないこと

不当な類推の定義「誤謬論入門」

 不当な類推をしたり不当な類推に納得してしまう人は、類似点があるものどうしは他の点でも似ているだろうと根拠のない思い込みをしています。類似点がどうでもいいような点であったり、重要な部分では違いがあることを認識していません。

 たとえば次のような比喩を考えて見ましょう。

人生はビスケット缶だと思えばいいのよ《…略…》ビスケットの缶にはいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばかり残るわよね。私、辛いことがあるといつも思うのよ。今これをやってくとあとになって楽になるわって

村上春樹「ノルウェイの森」

 この比喩では、ビスケット缶と人生が対比されています。ビスケット缶で好きなものばかり食べると、あとに好きじゃないのばかりが残るように、人生でも好きなことばかりすると、あとに好きじゃないものばかりが残るようになる。

 村上春樹「ノルウェイの森」からの比喩だけに文学的には価値ある表現なのかもしれませんが、論理的に見ると間違った主張です。人生とビスケット缶は、このような比喩をするうえで見逃せない重要な違いがあるのですから。
 それはまず、始めに全体がわかるかどうか、です。ビスケット缶ならば開けてすぐに「好きなものがどのくらい入っていて、嫌いなものがどのくらい入っている」という全体がわかります。それに比べて人生は、「好きなものがどのくらい入っていて、嫌いなものがどのくらい入っている」という全体がわかりません。もしかしたら好きなものが圧倒的に多いかもしれないし、その逆かもしれない。好きじゃないものばかり経験したからといって、後になって残るのが好きなものばかりとは言えない。いつまでたっても好きなじゃないものしか経験できないかもしれないしれず、それは始めにわかるものではない。
 それに、ビスケット缶と人生では好き嫌いの振り幅が違います。ビスケットはどちらにしろ好きなもの。あとに残った「好きじゃないもの」は、言わば「好きだけどそんなに好きでもない」程度のものでしょう。好きじゃないにしろビスケットですから、「好き」の範囲内なのです。それに対して人生であとに残るのは、もしかしたら「とんでもなく嫌なもの」「耐えられないほど嫌なもの」もあり得ます。人生における好き嫌いの振り幅は、ビスケット缶の比ではないのです。
 このようにビスケット缶と人生では、同じ土俵で比較するには重要な違いがあり、「ビスケット缶でそうだから人生でもそうだろう」と安易に推論できません。ビスケット缶で好きじゃないものが残るのと同じように、人生でも「辛い経験をしたから、これからは楽しい経験をできるはず」と思っている人は手痛い経験をするでしょう。

(2)人間社会でもそうだと言えるのか

 さて、今度はさかなクンの名言の類推を考えます。対比されているのは魚の世界と人間社会。これらは同じ土俵で考えられるでしょうか。考えられないですよね。魚と人間では知性が違います。魚には知性がなく、本能のみで行動している可能性が高い。イジメと言っても人間のイジメとは違い、本能による反応。それに対して人間には知性があり、イジメは思考の結果です。「無口なアイツの靴を隠してやろう」「営業成績の悪いアイツをいびってやろう」という考えのもとになされるのがイジメ。本能のみで行動せざるを得ない魚と、思考の末に「イジメよう」という結論を導き出した人間では、強いものが弱いものを攻撃している同じような現象でも、同列に扱うことはできないのです。

5.まとめ

 このように、さかなクンの名言「魚は広い海の中ならお互い助け合うのに狭い水槽に入れて育てるとイジメが発生するんです。イジメをする人は生きてる世界が狭いんですね。」は表現的な上手さがあるものの、後件肯定の誤謬、多義の誤謬、不当な類推を犯しており、「世界が狭いとイジメをする」という前提から「イジメをする人の世界が狭い」とは結論づけられません。イジメをする人の世界が狭いとは限らないのです。含蓄に富んだ(ような)言葉には、実は詭弁が含まれていることが多々あります。直感や「なんとなく」で「確かにそのとおりだ」などと思わず、相手の言葉の真偽を確かめるためにも、論理的な批判を試みましょう。




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