50:共感的傾聴ではなく協働的傾聴が大事ではないか(ブリーフセラピーでは)
ハラスメントに関するコラムの途中ですが・・・
49番目のコラムでハラスメント研修について書いていまして、そのコラムの最後に「次回もハラスメントで!」といったようなことを書いているのですが、今回は違う話をさせてください。
自分のための備忘録的な内容ですので、あまり文章としての形や、内容の理由づけとかを今回は無視させていただきます。
またブリーフセラピーをすでに学んでいる方向けですので、ブリーフセラピーを知らない方には訳のわからない内容であることもお伝えしておきます。
ブリーフセラピーの問題か、カウンセリングの問題か?
10年前に尊敬する先生よりお声がけいただき、なぜか日本ブリーフセラピー協会の千葉支部長をやらせていただくことになりました。
その後、NFBTカウンセリングオフィス東京のスーパーヴァイザーの役目を担うことになり、自分の能力以上の役割であるものの、精一杯取り組んできました。他にもキャリアコンサルタントの方々に向けてブリーフセラピーをお伝えする役割なども担うこともあり、ブリーフセラピストを育てる、ということをしてきました。
その中でずっと悩んできたのが、受講いただいている方がブリーフセラピーをもっと使っていくことができるようになるには、何を強化していけば良いだろうということでした。
ブリーフセラピーがうまくいっていないのか、もっと前段階のカウンセリングがうまくいっていないのか、などなど考えてきました。
「傾聴」ができるかどうかが分かれ目ではないか
今回は雑なコラムなので、細かく書きませんが、どうも「傾聴」に問題があるのではないか、と思うようになったのです。
そこで傾聴といえばロジャーズ、ということでここ数年はロジャーズ、クライアント中心療法、フォーカシングなどを中心に学んできました。
で、いろいろ端折ってしまうのですが・・・
結論は療法が違うから当たり前なんですが、ロジャーズではない、と考えました。とはいえ、ロジャーズではないものの、ロジャーズがなくてはいけない、と思っています。
共感的傾聴ではなく協働的傾聴
※共感的傾聴は正しい表現ではありませんが、対比的にするために仮にこの表現を使わせてください。
クライアント中心療法の中心理論としてパーソナリティ変化のための必要十分条件があり、その中でセラピスト側に求められる態度のことを「中核3条件」といいます。
・純粋性
・受容(無条件の肯定的関心)
・共感的理解
ここではこの3条件の内容の詳細は省きます。
クライアント中心療法ではセラピストがこの3条件の態度を示し続けることで、クライアントはセラピストとの対話から自分の中の対話に移行し、自己概念が柔軟になり、自分の体験を受け入れ、行動にも変化が生じると考えます。
イメージとしてはクライアント中心療法では、セラピーを受けることで「自分とうまく対話できる」ようになっていく、個人内の循環が整っていくと言えます。
しかしながらブリーフセラピーはクライアント中心療法とは違う療法です。
乱暴に書いてしまうと、ブリーフセラピーはクライアントの良循環を拡大し、悪循環を変化させていくことで、クライアントの問題を解決していく心理療法です。クライアント中心療法のクライアントの自己概念が柔軟になる、などは重視しません。問題を解決する過程で「自己概念が柔軟になる」こともある、と考えます。
要するにクライアント中心療法とブリーフセラピーではセラピーを行う目的が違うのです。
ではブリーフセラピーでの「セラピストの態度」とはなんでしょうか。
私はこのように考えます。
「共感的理解」をしながら「共感的理解」をしないこと
訳わからない表現だと自分でも思うのですが・・・
純粋性と受容は大事です。これはセラピーを行うもの全員が大事にすべきことです(この説明もいろいろと飛ばしています。すいません)
問題は「共感的理解」です。
「共感的理解」は必要です。まずこれが土台です。
しかしながら「共感的理解」をしないことを同時に態度として持つことがブリーフセラピーを行うには必要ではないかと思います。
ブリーフセラピーが中々うまくいかない方は、「共感的理解をしすぎる」か「共感的理解をしない、ができない」なのではないかと思うのです。
そしてこの態度のことを仮に「協働的傾聴」としたいと思います。
協働的傾聴の具体的場面
具体的にやり取りをケースで考えてみます。
※このケースは架空のケースです。
学校臨床にて
10月。中高一貫校の中学1年の女子生徒Aの母親Bがスクールカウンセラーと面談
Aは中学1年で入学後は休むことなく学校に来ていたが、6月ごろに風邪で休んだ後、休みがちになり、週に1回か2回休むようになった。
夏休み明け、始業式から2週間ほどは登校したものの、その後は全く登校できなくなった。本人は行こうとしているようだが、朝になると身体が重くななったり、頭痛がしたりすることでいくことができていない。午後になると楽になってくるが、Aは途中から学校に行くのは嫌だと話しているため、遅刻でも良いから行かせる、ということはできていない
またAは小学校でも小学5年の二学期から不登校になっており、小学6年の9月ごろから「私立に行く」と言い出して学校に行くようになった。
〈基本的な態度〉
・クライアントの話に対して、クライアントの内的照合枠を理解、受容しながら、内的照合枠とは違う枠から見たことをコメントとして伝えながら、クライアントとセラピストがクライアントの内的照合枠(クライアントが見ている世界のこと)を協働しながら再構築していくこと
※この後クライアントをCl、セラピストをThとします
※()はThが考えていること、「」は会話です
Th①:「どういった変化があると今日ここに相談してよかったと思えますか?」
Cl①:「中学に入ってからずっと登校できていたので、また登校できるようになるといいなと思いまして・・・何をしていくと良いのか知りたいです」
Th②「そうですよね。小学校の時も一時学校に行けない時があって、中学になってやっとやっと学校に通い始めて・・・お母さんとしても『ようやく』という思いもあったんじゃないですか?」
Cl②:「はい、本当にようやく・・・と思ったんです」
Th③:「そうですよね。ようやくこれで大丈夫なんじゃないか、と思いますよね。その分、あぁまだか、まだ続くのか・・・といった思いもあるんじゃないですか・・・?」
Cl③:「はい、がっくりきました・・・(苦笑する)」
Th④:「お母さん、ずっと・・・頑張って・・・という言葉が軽く聞こえてしまうんじゃないかと心配しますが・・・頑張って、頑張ってきたんですね・・・すいません、陳腐な表現で・・・」
Cl④:「いえ(少し笑う)・・・大変でした・・・」
Th⑤:「Aさんはどうなんですか?そんなにお母さんが頑張ってきた、ということは同じようにAさんも頑張ってきたし、大変だったのかな?と思うのですが・・・」
Cl⑤:「そうです。娘も本当に辛そうで・・・小学校の時もこう・・・黙っているんですけど泣いているんです。それを見るのも辛くて・・・」
Th⑥:「そうなんですね・・・じゃあ、お母さんも大変だったしAさんも頑張ったし、それで大変だったけど、小学校の時は何がきっかけかはともかく、行こうと決めて行き始めて、それで中学の受験もして受かって・・・なんかこう、Aさんにとっても激動の3年間というか、大変な3年間でしたね・・・」
Cl⑥:「そうですね・・・だいぶ頑張ったんだと思います・・・」
Th⑦:「あの・・・ちょっと思ったのですが、また学校に行けるようになるのは目指していきたいと思うのですが、私としては少しゆっくり進めたいな、と思っているんです。先ほどのお母さんの様子を拝見しても本当に頑張ったのに、とすごくがっくりきているように見えたんです。そうするとAさんも同じようにすごくがっくりきているんじゃないかと思うんです」
Cl⑦:「あぁ、そうですね・・・」
Th⑧:「なので、学校に行くことを目指すのですが、それを少しだけ先の目標にさせていただいて、ちょっとでもAさんががっくりしている状態から、少しだけでも元気になった状態をまず目指していくようにしたいのですが・・・いかがでしょうか」
Cl⑧:「はい、そうですね。私焦っちゃっていましたね・・・」
Th⑨:「いえいえ、焦って当然です。このような3年間を過ごしたお母さんが焦らず悠々と、なんてできないです」
「それでは・・・少しだけ、ほんの少しだけAさんが元気になってきた、少しだけエネルギーが溜まってきた、とするとどんな態度とか行動とか発言とかが家の中で出てくるでしょうか・・・」
ここまでとします。
いかがでしょうか。会話のイメージを書いてみました。
今回はスムーズに会話が進んでいる場合ですが、実際にはお母さんが「いえ、娘はケロッとしているんですよ!それがイライラしちゃって!」というようにこちらの理解がずれている時もあります。
そういう時には
「あ、そうだったんですね!それってどういう感情だったり、気持ちなんでしょうか。お母さん、どう思います?」とまた理解、把握をしなおします。
ただここでお伝えしたいのはお母さんの見ている世界(内的照合枠)を十分に聴いていくこと、ここを聴いていくことでお母さんの見ていない世界がわかってきます。このお母さんが見ていない世界をコメントしていくことで、お母さんの見ている世界そのものが変化していきます。
こうやってクライアントとセラピストが協働しながら見ている世界の再構築をしていきます。
今回はTh④くらいまではClの「内的照合枠」を理解しようとしています。そこからThが「娘のAさんも同時にお母さんと同じだけ戦ってきた人、ということではないか?」とClの「内的照合枠」とは違うところからClにコメントをしていきます。
ThのコメントにClが反応をします。
ClはThのコメントをもとに自らの「内的照合枠」を再構築をしながら応答があります。
Clの応答からThは再構築されたClの「内的照合枠」を理解・把握しようとしながらコメントをしていきます。
・・・・
ここからは、上記のようなことを繰り返しながらClとThがお互いが相互作用をしながら「内的照合枠」が再構築されていくのです。
上記のやり取りは、私がよくとるやり取りですが、ブリーフセラピーが上手い方は、もっと短い時間、やり取りでClの「内的照合枠ってこうですよね」と提示することができて、「こういうことってどうですか?」とコメントを返していけるかと思います。
やり取りが長い、短いはあるものの、大事なのは
「共感的理解」をしながら「共感的理解」をしないこと
という態度をとりながら、Clと協働的に関わり、Cl の「内的照合枠」を再構築していくことができることです。
未完成の内容を提示していますので、まだまだ考えなければいけないことがあるのですが、まずはここまでにします。
「共同探索」しているという事ではコラボレイティブアプローチのようにも思うのですが、「無知の姿勢」かどうかという点で違うと思います。
今後はThの「意図」や「戦略」に関しても、どのように考えるかを提示していきたいと思います。
まとめ
いかがでしょうか。
今回はこれまでの流れをぶった斬って、自分の備忘録としての記事になりました。たぶん・・・今度こそ・・・次は前回の続くを書きたいと思います。
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