話せばわかる・・・訳ではない
話せばわかると、今まで信じてきた。
特に家族や親しい友達など近い関係の人は、お互いに分かり合えることが1番大事だと信じ込んでいた。
同じ価値観を共有して、同じ方向を向いて人生を歩んでいきたかったから。
そのために、繊細な話題ほど言葉を注意深く選んできたし、尽くしてきた。
私の旦那さんはオーストラリア人だ。言葉も国も、文化も違う。
言葉は文化に根差している。言葉を訳するときは、あくまで近い意味合いの言葉を当てるだけだ。
だから例えば教育方針を話し合うとき、微妙なニュアンスは伝わらない。
それでも言葉を尽くせば、私がもっと勉強をすれば、伝えることはできると思っていた。
最近、京極夏彦さんの「地獄の楽しみ方 17歳の特別教室」を読んだ。
たまたま図書館で見つけて、高校生に向けて今の社会を生きていく知恵のような授業の内容をまとめたというコンセプトに惹かれたからだ。
作家の視点から、主に言葉や文章に、またその理解について書かれている。
のっけから私はその内容に目の前の色彩が塗り替えられていくような衝撃を受けた‼
言葉で完全に分かり合うことは不可能だ、と書いてあったのだ。
言葉はデジタル、だから不完全。
数字の1と2の間のように、間を捨てているから欠けている、と言っていたのだ。
実はこれと同じようなことを、私は前から感じていた。
友達と旦那さんの話をしていた時。「1ヶ月前の領収書、ずっと出してって言ってるのに今まで出してくれなくて本当に悔しかった!!」と私が言うと、「え、それって悔しいことなん?」って言葉が返ってた。
この時の私の「悔しい」には、数枚の領収書のために帳簿付けが進められない苛立ち、何回も催促しているのに聞いてもらえない悲しさ、そのために費やされた時間に対するもったいなさ、こちらの気持ちを考えてくれないことに対する怒り などなどが込められていた。けれど一言で言うならば「悔しい」が一番近いから、そのほかは「切り捨てた」ので欠けたのだ。
対する友達には、私が切り捨てた言葉は見えない。悔しかった を言葉通り、試合に負けた後のような恥ずかしいような腹立たしいような気持ち、と理解したのだろう。
この時は友達に更に言葉を重ねて説明したので、何となくは伝わったと思う。
けれど普段の会話でそこまでするだろうか?
していたら鬱陶しくてかなわない(笑)
しかも 人は言葉の欠けを勝手に埋める と。これも納得。
またまた旦那さんの話でゴメンなさい。
忙しい冬の朝に「今からお客さん連れてスノボに行ってくるね」と言われた時、「お願いしてたこの仕事、まだ終わってないし、私も今日は忙しいのよ!」と返した。勘のいい人は「行かないで」と言ったのがお分かりだろう。
だがこれが旦那さんには「お願いされた仕事は帰ってやるし、君が忙しくても僕のことではないから行けるな」となる訳だ。文字通り言葉の欠けを勝手に埋められている。これで何回ケンカになったことか・・・
あらゆる争いは言葉の行き違いから起きるそうだ。京極先生、私たちのことを覗いてましたか⁉
話してもわからないことを前提としたコミュニケーションを図るしかないとは本当におっしゃるとおり。
うちの場合はここに言語の違い、文化の違いまで入る。言わずもがな、だろう。
今までわかってくれない旦那さんばかり責めていたことを、こころから大いに反省しましたよ!
おかげでコミュニケーションがラクに楽しくなりました。この本、もっと早く出会いたかった。
本の中では言葉と文字の性質の違いや、SNSが炎上するわけにも触れている。これからの文字の時代を生きていく子供たちには、間違いなく早くに知ってほしいことばかりだ。とてもわかりやすく書いてあるが、内容が深くて難しいところもあるので、やはり高校生くらいからおすすめする。
17歳の特別教室 とはまさしくである。
だが、私は大人にも読んでほしい。特に私のようにコミュニケーションに行き詰っている人に。
取りあえず、我が家の夫婦関係はとても良くなった。京極先生、ありがとうございます。