後悔のない選択が「I,Knew Me」へと繋がりますようにーー『きゅうきょくのニタク』
前回の記事『013』で触れたとおり、僕は30年前の8月、自分自身最も死に近づき、この出来事で大切な人を失った傷を抱えて生きている
毎年8月を迎える度に同じことを考えるのだが、30年という節目もあり、また現在の周囲の環境が「生きること」そのものへの不安を搔き立てている最中で、感情のやり場のない日々を送っていたのだった
一昨年までなら、仕事と家の往復だけで人生を終えることしか想像できない虚無感に心を支配されていただろう
だが、今は違う
去年の8月、僕の考えや行動を変えるきっかけになった大きな出会いがあった
彼女の初舞台を通して僕も小劇場観劇という初めての経験をし、今ではこれが趣味だと自信を持って言えるようになった
役者の皆さんが目の前で「生きる」姿、物語の内容などから、自分自身の生きる力をもらえ、充実した時間を過ごせる
そんな役者さんへの感謝を込めて、これまでも観劇に取り組んできた
「この人の芝居を見たい」と思える人の舞台を、行けるときに行く
8月26日、「後悔しない選択」をし、四谷三栄町『きゅうきょくのニタク』を観劇した
Aキャスト、笠貫莉子さんは『さかいめ』『誤解のBar』以来三回目、石川航太郎さんは『誤解のBar』以来二回目の御縁
今回りこさんが演出を手掛けるとあって、どんな内容なのか興味はあった
実際観劇し、初見にも関わらず涙腺を刺激され、自分の中にある「命」の記憶を辿り、こうしてnoteを綴りたくなる結果になっている
事故で大切な人を失うという設定が、30年前の自分ともろに重なってしまったのだ
『誤解のBar』の感想では僕自身の視点から、僕が生かされ現在も生きている意味を考えていた
『きゅうきょくのニタク』を経て、逆に逝ってしまった人が僕に何か働きかけていたのだろうかという、別の視点から30年前の出来事を考えたくなるような、そんな気になった
Bキャスト、今野美彩貴さんは『誤解のBar』での初対面以来、力強く情感溢れるお芝居の虜になり、『トラブルシューターズ』を経て三回目の御縁
『トラブル〜』も同じミクという役名ではあったが、全く別の世界線であり、今回はこれまでより優しさが前に出たキャラクターであった
鈴木真衣さんも『ラチカン』『誤解のBar』を経て三回目
ヒトエ、春名イチカとこれまでシリアスな役しか見たことがなかったが、今回新たな面が見られ興味深かった
今回のテーマは「後悔のない選択」
人生は常に選択を迫られる
そこに自分の意志はあるか
自分の意志のない選択をして後悔を残すことを、僕は潔いとは思わない
「僕は何故noteを始めたか」で書いているが、僕の生きる目的を改めて述べておく
僕は自分と同じような境遇にある人や、同じことを考えた経験のある人に寄り添い共に生きていたい
自分の経験を人に伝え、こんな人間でも生きていていいんだと思ってもらえることで、その人の動くきっかけになればと思っている
現在の仕事もそのようなつもりで就きたいと思って就いた仕事のはずだった
しかし今は当初とは違う感情が大きくなっている
管理職の思いつきで余計な仕事を増やされる、組織の論理が第一で理由によって休暇を認めない、外部からの理不尽な要求にはとりあえずただひたすら謝れと指示される
数えればいくらでも自分の意志のない、選択の余地すらない状況がある
そしてそれは"第三者"から要求される「誰かのため」のものである
「誰かのため」というのは自分自身が信じて実行するからこそ価値があり成立するのであって、"他人"が要求する時点でその"他人"のためのものになってしまう
「やりがい」「誰かのため」という言葉が免罪符になって、違法行為が正当化されてしまうような環境なのだ
それが僕が選んだ仕事であって、もちろんやらなければならないことだし、自分が生きていくために必要なことなのは理解しているつもりだ
だが、現在はこの場所にしがみついてまでいる価値があるものなのだろうかと、疑問ばかりが浮かんでくる
そうやって自分の時間を持てずに、毎日のように日付が変わるまでサービス残業を続け、中には家庭が崩壊する人もいれば、まして体調を崩して休職したり辞職したりした人は何人もいる
自分を見失った結果、孤独に打ちひしがれ、大切な人を傷付けるような行動も取ってしまう
『きゅうきょくのニタク』のはは子の姿からは、僕が現在置かれている環境と似たようなものを感じ、苦しくなってしまった
一方で温かいと思えたのは、のぞみに対する周囲の態度であった
「のぞみがやりたいことは?」と、ミクもデビルもエンジェルも、のぞみの気持ちを最優先にすることを大切にしていた
「後悔のない選択」のためには、自分の意志が何よりも大切なこと
そんな自分から沸き起こる「誰かのため」は、とても強く、美しいものだ
例年なら組織の論理で休暇も取れない大切な人の命日に、今年は何年ぶりかで墓参りに行けた
自分が生かされた理由、今生きている意味、これからどう生きていくか
自分のためにならないものを選び続ける理由はあるか
終わらせる勇気、新しい一歩を踏み出す勇気も必要なのだろうか
僕にとっての「I,Knew Me」とは何だろうか
今はずっとそんなことを考え続けている