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今だから言う、「生きていてよかった」とーー『ピクニック』

私はこのnoteで、以前作成した記事の一部を削除した

自分で読み直したとき、「何故この時期にこの言葉が出て来たのか」と違和感を禁じ得ない、筋が通っていないと判断したものだ

それから時を経て言葉の意味を再考し、もう一度立て直すことにした

その一つが前回の"言葉を記号で終わらせない"である

今また一つ、ここに綴る


村上えりなさん
写真は御本人のnoteから

村上えりなさん(うにょちゃん)との出会いは昨年5月、三栄町LIVE『誤解のBar』だった

2023.5.28
『誤解のBar』A班

当時の記事に残している通り、A班B班の全キャストで最も感情移入したキャラクターが、うにょちゃんが演じた春名イチカだった

春名イチカの設定や物語の展開と、自分の中に抱えている傷がリンクし、心を揺り動かした忘れられない作品だ

うにょちゃんのお芝居はパワーの基本値が高く、それでいて感情の起伏を自然に表現する

またお会いしたいと思い続け、『誤解のBar』から8か月、今年1月の『シーソーゲーム』で再会が叶う

(このときうにょちゃん本人から聞いた話、美彩貴さんと同じ専門学校で同じ先生に教わっていたというのだから、初見から惹かれた人が一度に2人現れたというのも納得である)

2024.1.21
『シーソーゲーム』(ぎったんばっこん)

さらに4月には『PLUG』、5月にはおむすびシアターで、再会を重ねることができた

2024.4.6
『PLUG』
2024.5.3
おむすびシアター(朗読劇)
2024.5.28
今野美彩貴さん、村上えりなさん1周年記念


5月28日、出会いから1周年を迎え、そして6月、舞台『ピクニック』でまた再会を果たした

2024.6.15 19時公演 前説
演出のあすみさんと

自殺願望を持った人々がSNSをきっかけに樹海に集まるという、あらすじから「命」をテーマにした重みのある作品であると受け取った

しかしタイトルは"ピクニック"、正反対にある明るいイメージの言葉だ

これは物語が進むに連れて分かることだが、いざという段になったとき、うにょちゃんが演じた北村杏が最初に生きることを選ぶと宣言する

「死にたいんじゃない、生きるのが怖かった」

結果、自殺するつもりで集まった5人のうち4人は思い留まる

一方で1人、そこに加わらない女子高生もいて、全てが前向きに捉えられるわけではない

"生"と"死"の間で葛藤、苦悩する人間という生き物を正面から見つめた、深く心に残る作品だったと思う

(解釈の仕方は様々あるが、私は可能な限り前向きに捉えたいと思っている)


今年に入って再会を重ねる中で、うにょちゃんは私のツイートやnoteに対して共感を寄せてくれていた

それはかつての私と同じことを考えたことがある人だから、というのも感じ取っていた

(消えてしまいたい)

私自身、そう考えた経験があり、動くことができなくなっていた時期がある

「命」というものに非常に敏感になっている私は、同じように悩み苦しんだ経験を持つ人に寄り添いたいと思っている

ただ、私はそういう人に同情し、一方的に好きになってしまう傾向がある

実際、リスペクトもなく、その人の何を知っているのかという時期に「生きていてよかった」という言葉を発しても、相手に何かを伝える記号ですらなく、自己満足に過ぎない

しかしうにょちゃんは『誤解のBar』で、何のフィルターも掛かっていない初見で、魂を感じるお芝居で私の心を動かし、リスペクトを持つことができた、好きに"なれた"人である


以前の記事"私はただ、好きになれた人に感謝の気持ちを持ち続けていたいだけだ"に、堂本剛さんは音楽で、役者は芝居で、私に生きる力をくれるということを綴った

一方で、では私は何を返すことができるのかと、書いた後で疑問に思ってしまった

私の普段の仕事、命の時間を懸けているものは、役者には届かない

自分は所詮"お客様"という一緒くたにされた存在に過ぎず、商業ベースの上で金を出すことしかできない

役者からはそれに対する当たり障りのない「ありがとう」しか返って来ないものだと思うと、空しさを感じてしまう

しかしそんな疑念を晴らしてくれたのは、うにょちゃんだった

「私は芝居で、ゆっきーさんは言葉で」

おむすびシアター終演後、別れ際にうにょちゃんから受け取った言葉だ

私は日常で言葉に触れ、使う職業に就いている

言葉を紡ぎ、伝えることそのものが、命を削っている行動だと言い換えることができよう

当然、伝わらない相手もいる、それが現実だ

だが、私の言葉を真剣に受け取り、返してくれる人がいるのもまた現実だ

ならば私はその人を想い、言葉を紡ぎ続けよう

その人こそ、うにょちゃんであり、美彩貴さんであり、他にも素敵な時間を共有できた人たちだ

言葉は誰もが持っている"ひとのちから"であり、役者と客という垣根を超えて現実を繋げられるものだ


今、(消えてしまいたい)と思う人が、いつ「生きていてよかった」と言えるようになるかは分からない

ただ「いつかその時が〜」などと無責任なことを言って終わらせるつもりはない

その時が訪れるのを見届け、喜びを分かち合うために、同情ではない意味を込め、今改めて綴ろう

うにょちゃんと出会えて、私は「生きていてよかった」と思っている

出会ってくれてありがとう

これからも一緒に生きていきましょう

2024.6.15-6.16
『ピクニック』

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