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食わせてもらってる罪悪感から自由になる

【誰に食わせてもらってると思ってるんだぁー!】
これは昭和のドラマでよく見る一コマです。

コンプライアンスの問題か、女性の社会進出に伴ってこのフレーズは最近聞かれなくなりました。

見られなくなった一方で、【食わせてもらっている負い目】がこの世からなくなったかと言えばそうではありません。

私もその一人です。


✅【結婚して食わせてもらう】私にかけられた呪い


わたしにかけられた呪い、それが【結婚したら、旦那に食わせてもらえるじゃん】という言葉でした。

当時20代前半、大学院で研究職を半ばあきらめ、就職するか?もしくは長年付き合った彼氏と結婚するかで悩んでいました。

時代は就職氷河期。

自己アピールは苦手。面接はもっと苦手。さらに修士号を取った女性なんて使いづらくて取らないよ。

当たり前ですが就職活動は難航しました。

精神的に迷っていた時に、彼氏(元カレ)からの推しもあり結婚しようか、という流れになりました。

当時の元カレはかなりの収入があり、転勤も多かったので私は専業主婦に。

わたしとしては苦渋の決断です。

もちろん同じ研究室の子に話しても・・・・よかったね、と言ってくれますが【あいつは終わったな】的な扱いになるのは目に見えてます。

なかなか話せず悶々としていた時にうっかり話してしまった相手がいます。

それが1個下の後輩。

マスター(修士号)を卒業したあとどうするの?と聞かれたのでうっかり【結婚して専業主婦になる】と話してしまいました。

そんな後輩からかけられた言葉が

いいじゃないですか。結婚したら旦那に食わせてもらえるし

その後輩は悪意があったのか、なかったのかわかりません。

しかしその言葉はそれから20年、私の中に呪いの言葉として焼き付けられることになったのでした。

✅結婚なんかに人生を狂わされたくないと思っていた訳

こんなことを言うと【なんだコイツ】と思うかもしれません。

しかし当時の私は20代そこそこ、そして大学院(経済学部)に通っていました。



当時の私が学んでいた大学院と言えばグローバリズム経済主義の中心地。
分かりやすく言えば左翼思想の巣窟です。

当時の私は【女性の社会進出はもっと推進すべき】【女性の権利はもっと向上すべき】という一本やりの論調にかなり傾いていました。

女性を軽んじている社会はもっと変わるべきだ!とも信じていました。

逆に言えば【結婚なんてくだらないものに人生を狂わされたくない】と常に感じていたのも事実です。

言い訳をさせてもらえば、私のような高学歴女子のあるあるとして一つは【戦後うまれの母親】の存在があります。

【お父さんと結婚しなければ私は今頃・・・】
【結婚して仕事を辞めなければ私は今頃・・・】
・・・
【だからあなたは●●しなさい】

こうやって母親から吹き込まれ高学歴を目指し、さらに社会進出を目指した子女は私の周りにはゴロゴロ転がっていました

だから、こういう考えも私の周りでは決して珍しくはありませんでした。

✅【自分で稼げるようになった】私を待っていたもの

結局その元カレとはうまく行かず婚約は解消、私は大きな組織に就職しました。

今回は新卒で働くことができたからいいものの、結婚&離婚からの再就職となるとこうはいきません。

仕事をして収入を得ることの大切さをしみじみ感じ、大学院卒でも採ってくれた組織に心から感謝していました。

一方で私が必死で掴んだ就職先の職場は荒れていました。

よく言えば体育会系。悪く言えばヤンキー気質の人がかなりの割合を占めていました。

とりあえず就職することを優先したため、間口の広い職場を選んだ結果です。

一方私は内向型ですし、細かいことが気になってなかなか仕事が覚えられず苦労しました。

大学院を卒業した、というのも彼らの日常的にたまっている不満をさらに加速しました

  • 大学院出たくせにそんなことも知らないのか

  • 大学院出ただけで給料が高くなるなんてずるい

  • 同じ仕事をしているのになぜおまえだけ●●なんだ

そんな言葉を吐かれたのも今ではいい思い出です。

もちろんミスマッチだったのはわかっています。

しかし年齢的に残された選択肢には私は多くは残っていない、というのもよくわかっていました。

そして何より【食わせてもらっている】だけには堕ちたくない。

【私は食わせてもらっているわけじゃない、自分で稼いでいるんだ】

その小さいプライドだけが私の心のよりどころでした。

✅【食わせてもらう】に堕ちたくない必死のプライド

当時に私は【自分で稼いでいる】という事にものすごい誇りを持っていました。

周りの女友達はみんな仕事を持っているし、わたしだって稼いでいる。

じっさい私の同級生や先輩は大学の研究職についたり、官僚になっている人、一部上場企業で働いている子も少なくありませんでした。

そんななか私だけ【旦那の金で生活してるんだ】と言われたくないし、そういう目で見られたくないというのもありました。

友達も高学歴で研究職についたり一流企業で仕事を持っている。

私の両親も共働きということもあって【自分で稼いでナンボ】はという言葉を信じていました。

しかし一方で自分の能力の限界も感じていました。

体育会系の慣れない職場。

怒鳴られることもありましたし、上限関係厳しく、それも左翼的な思想に染まっていた私にはストレスでした。

そして朝早く起きて満員電車で通勤すること。そして体育会系の職場で仕事を終えて又満員電車で帰る。

多くの人はこれで満足なのでしょうが私にとっては苦痛でしかありません。

もともと内向的な私にとってはこういう生活スタイル自体が合わず年齢とともに本気で退職を考えるようになっていきました。

✅【食わせてもらう】状態になってわかったこと


結局私はその組織を辞め、独立したり、独立しては失敗してバイトで食いつないだりしながら40代前半で結婚し、専業の主婦となりました。

なぜこうなったかと言えば結局は

【食わせてもらう】に堕ちたくない

この1点でした。

この状態に堕ちたくないばかりに歯を食いしばってもがき続けました。

最後の数年は本当にもがいて、もがいて、最後は自分でも半ば笑っちゃうほどでした。

実は30代後半になって経済的にはそれほど困窮していませんでした。

しかし【食わせてもらってるんでしょ】という言葉が私の頭に燃えカスのようにこびりつき私は必至で職を探しました。

【自分で稼いでいる】この1点を言いたかったためです。

稼ぐことを優先し、ちゃんと自分の人生設計を吟味することなくバイト先を選んでいました。

そのため質の良くない客がたくさん来るバイトを選んでしまい、おじさんから罵声を浴びせられるというのも1度や2度ではありません。

バイトや職を変えてもそれでも仕事を探すことを辞めませんでした。

しかし40代前半で結婚をし専業で主婦になったときに私は仕事を探すのを辞めました。

それは【自分で稼いでいる】というのは【自分の人生の一部である時間を切り売りしている行為】であることに気づいたからです。

食わせてもらっているくせに
稼いでいないくせに
人のお金で生活しているくせに

いつしかこの言葉を私は自分自身に向かって吐いていました。

【私だって稼いでいる】というプライドのために職やバイトを探しては、仕事になじめずに辞めるという日々。

ほとんどプライドのようなもので、逆にそれが自分自身を苦しめていました。

✅【食わせてもらう】はベストな状態と言える訳

投資の本を読むうちに【本当の富】とは何かについて考えるようになりました。

本当の富とは【お金を生み出す木(ビジネス)】を育ててそのビジネスに食わせてもらう状態のことです。

例えば家族で商売する、飲食店をする。これも1つのお金を生み出すシステムです。

いわゆる【わたる世間は鬼ばかり】のラーメン屋幸楽のシステムですが、私は別にこれは悪いシステムであるとは思いません。

ちなみに古くから残っている飲食店の多くは

飲食店を自宅として使っている
スタッフが家族

の形態を多くとっています。

これは店の最大の固定費である【家賃】【人件費】を削るものすごくよく出来たシステムです。

個人が個々に時間を切り売りして稼ぐよりも家族で【店】を回すことで効率よくお金を生み出すことができるのです。

✅金持ちがやってる【食わせてもらう】システム

そして勉強するうちに【金持ち】と言われる人たちがやっている【家族全員が食わせてもらう】方法も学ぶことができました。

私はそれを【利益分配システム】と呼んでいます。

例えば会社を作る、という方法。会社を作ることで会社の経費として計上できるものもあります。

私は国税の専門家ではありませんし、税金は正しく収める必要があると思っています。

なのでここでは詳しく書きませんが代表的なものは【外食費】です。

そして彼らは最小限の所得で税金を最小にし、幽霊所得を得ているのです。(詳しくはロバートキヨサキ氏の本を読んでいただくとわかりやすいです)

金持ちはこのように【ビジネス】をうまく回して最小限の所得で税金を小さくし、その分の幽霊所得を得ています。

もちろんこれは【ビジネス】を頑張ってこそのご褒美です。

そしてそのビジネスで得た富を【家族のメンバーにうまく還元する】システムを持っているということです。

✅食わせてもらってるくせに、は貧乏人の言葉だ


私は投資の勉強を通して【食わせてもらっている】という言葉の真の意味を理解しました。

それは

【食わせてもらっている、は貧乏への道】だということです。

もちろん私は貧しい人を卑下しているわけでもありませんし、私自身も非常に貧困にあえいでいた時期もありました。

いまだにその時の癖が抜けず、スーパーで安い見切り品を見ると胸が高まります。

ただ、昨今の【自立】【お金を稼ぐ】ことが良いことだ、正しい姿だ、という風潮に非常に疑問があります。

お金を稼ぐことが自立とリンクしてしまうと、個々がばらばらになってしまい、結果として貧困にあえぐ人が増えてしまうからです。

人は一人で生きていくのは難しいです。

特に【働いてお金を稼ぎながら一人で生きる】このハードルはなかなかです。

女性の社会進出を誰よりも願っていた私が思うに、これは単に女性の社会進出を促進すればどうにかなる問題ではないと思っています。

もちろんお金を配って社会保障を手厚くしても、あまり意味がありません。

問題は【自立】という名の行き過ぎた個人主義です。

個々がバラバラに生計を立ててしまうことで個人での生活レベルが落ちてしまい、結果として【皆、平等に貧しく】なってしまうからです。

寄らば大樹

優秀な人ほど今からビジネスシステムの構築をしてほしいと思います。

最初は【はした金】ぐらいの収入でもいいです。

しかしそれは10年たてはひと財産築く立派な資産になり、100%食わせてもらうことはできなくても、月数万円はそのビジネスに食わせてもらえる可能性は十分にあります。

それが出来たときに最愛の人や守ってあげたい人を【食わせてもらう】メンバーに加えていただきたいです。

✅さいごに


今回は私が【食わせてもらっている】という呪いからどうやって自由になったかについて書いてみました。

食わせてもらってるくせに、は人の尊厳を奪います。

労働によって家族やパートナーを養うのは尊い行為ですが、働く楽しさ自体も否定する言葉でもあります。

さらに【食わせてもらっている】と言う人にとっては【俺ばっかり苦労させやがって】という意味も含まれているからです。

しかし労働は決して罰ではなく、楽しさや社会とのつながりなど人間活動の1つでもあるからです。

一方でお金を生み出すビジネスを持っている人にとっては【食わせてもらっている】という価値観はその人の人生と関係がありません。

彼らにとって労働は決して強制ではなく、得意なことや好きなことを仕事にしているので【食わせてもらっている】【食わせている】という発想自体がないのです。

ちなみに、たとえ【食わせてやってる】側も雇用主(社長)からすれば【食わせてやっている】側になるわけです。

金は天下の周りもの

だからこそはした金でもいいので自分のビジネスを是非構築していただきたいと思っています。

そのビジネスに食わせてもらうのです。

そしてそれが出来たときに最愛の人や守ってあげたい人をそのビジネスに【食わせてもらう】メンバーに加えていただきたいです。
※ただし投資詐欺などの詐欺には十分注意しましょう



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