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海のはじまり 第1話感想

『海のはじまり』。

2024年7月1日からフジテレビ系「月9」枠にて放送中のテレビドラマ。主演は目黒蓮。元恋人の死をきっかけに、娘の存在を知る主人公を描いた、『silent』『いちばん好きな花』の生方美久脚本のオリジナル作品。


「海に終わりはないよ。」

冒頭、この物語はそういった会話から始まる。海辺で喋る、南雲水季(演:古川琴音)と娘の海(演:泉谷星奈)の、散歩のシーンだ。

「海、どこから海?
水があるところからじゃない? 」
「じゃあここ(海辺を指しながら)、海じゃなくなった? 」
「ううん……ここからが海とかないんじゃない? 海がどこから始まってるか、知りたいの? 」
海は、俯くように頷き、水平線を指す。
「終わりは、あそこ? 」
「あれは、水平線。終わりじゃない。終わりに見えるだけで、あの先もずーっと海。終わりはないね。
わかっているようでわからないような顔をし、海はぱたぱたとひとり先へ進み、それから心配そうに後ろを見た。そんな姿に、水季は優しく微笑んだのだった。

「いるよ。いるから大丈夫。行きたい方行きな。」


一方で、主人公月岡夏(演:目黒蓮)は忙しない社会人生活を送りながら、恋人の百瀬弥生(演:有村架純)と親交を築いていた。その中でも、既に夏の性格は顕著に現れていた。
家の前で鍵を探す鈍感さ、弥生との日常会話でも見える曖昧さ。会話の中の返事もうやむやになっていて、自分の中のゆったりとしたテンポで会話している。彼の歩く速度はどこかゆったりとしていて、でもそれはマイペースだからと言うよりも、“周りにいる人に合わせられるように”考え抜かれたための速度だった。

この日もふたりのテンポで会話を交わしていたが、とある電話で夏のリズムが崩れる。「……死んだ……? 」
ゆるゆると散歩するような速度で進んでいた物語が大きく揺れたときに映ったのは、洗濯機の水だった。「海のはじまりは、水があるところじゃないかな? 」冒頭の水季の言葉が反芻する。生活の中の水が画面いっぱいに広がり、「海のはじまり」を物語った。

夏を襲ったのは、水季の訃報だった。ドラマだけ観ていたらこのときはまだ水季と夏の関係性はわからない。ただ水季の訃報を受けた夏は、心をどこかに置いてきたような、時間がぴたりと止まってしまったような、がらんどうな目をしていた。

そんな夏を、怒涛の情報量が襲う。水季の葬式には6歳を名乗る小さな娘がおり、彼女はまだ母の死を受け入れられていないようだった。一抹の不安と寂寥を胸に、葬式を終えた夏は、携帯で過去─── 水季と付き合っていた8年以上前 ───の動画と写真をひとり静かに眺める。

彼が回顧したのは、水季との出会いだった。
水季は出会った頃から見るからにマイペースで、「自分で決められなくて人について行ってばっかり」「意思がなくて自分もない」と自分を卑下する夏にとってはただひたすらに眩しかった。さらに水季は「人に合わせられるの、すごいことですよ? 」「自分より他人のこと考えちゃうってだけでしょ。いいことですよ」などと夏を肯定するものだから、彼はまっすぐに水季へと惹かれていった。

「まぁ、『はい』か『いいえ』で答えられることなんて、そんなないですよ。」
「ほんと尊敬します。人に合わせるの苦手だから」

冒頭、弥生と夏の生活の中でも描かれていたが、夏が惹かれる人は自由に自分の道を切り開いていく人だ。まるで対比かのように描かれる、水季と弥生の台詞がその証拠である。
「たくさん試した中で、1番いいものが選べるなら、いいことでしょ? 」
「他のあらゆる可能性から目をそらすな。自分で自分の選択肢、狭めんな。」

選択肢を広げる弥生と、選択肢になかったものを選ぶ水季。人のことを考えてしまう、気にしすぎるくらいの誠実な夏は、自分にないものを持っている人に惹かれるのだろう。
惹かれたのに、今も写真や動画を大切に持っているくらい大切に想っているのに、どうして別れたのか。視聴者がそう感じたとき、また物語が揺れ動く。

夏は海に声をかけた。それは不安があったからという理由もあるだろうが、夏の優しさでもあっただろう。
「お父さん、いないの? 」夏は不安を埋めたくて、海に訊いた。でも海はあっけらかんと「おとうさん、いるよ? いるって言ってた。ママが」そう、答えるだけだった。
そんな無垢な海の耳に、心ない言葉がぶつけられる。「かわいそうに。」それは憐れみで、同情で、海に消えない傷を付ける言葉だった。もちろん、言った方は言ったらすぐに忘れる。言葉というものは、言ったら消えるとすら思っているかもしれない。それでも、そんな同情の言葉に海の表情は曇った。そして夏はそれを見過ごせなかった。そう、夏は優しくて誠実な男なのだ。
かわいそうじゃないよ。聞かなくていい、ああいうの。忘れらんなくなる。」言いながら、夏は海に水季の動画を見せた。イヤホンを貸して、外界からシャットアウトさせ、視界を愛で彩った。

夏は誠実な男だ。

誠実で優しい、人を想うことができる人だ。人を想いすぎてすぎてしまうが故に、軸がブレてしまい、行動が曖昧になってしまう人だ。だからこそ、誠実なのにその想いが行動に100%反映されない。
就職先すらも親のことを考えてしまう夏に降り掛かってきたのは、そんな生き方を否定するような重い現実だった。
“人工妊娠中絶に対する同意書”。水季から、それを差し出されたとき、夏の表情が困惑一色に染まった。涙以外の全てのもので、泣いているような表情だった。

「いつわかったの? 」「誰かに相談したの? 」水季の一挙手一投足にまなじりを下げて笑っていた夏が、珍しく水季に質問を重ねた。そしてひと言、「ごめん」静かに謝った。
対して水季はあっけらかんとしていた。いや、そう見せていた。「謝んないでよ。事故っていうか、事故って言い方はよくないか。びっくりだけど、謝るのはやめよう。これはどっちも、誰も悪くない。
そんなことはない。深い話をすれば、性行為には射精責任というものが伴うし、作中では夏がしっかり避妊したのかどうか描かれることもなかった。お互いがお互いに、問題に対して曖昧にヴェールをかけ、直接的な表現を避け、本質から目を逸らした。だからこそ、悲しい別れに繋がってしまったのだろう。
でも、たとえ曖昧だったとしても、夏はどこまでも優しかった。夏が謝ったのは命に対してではなく、水季の不安に対してであった。「1週間、不安だったよね。ごめん、気付かないで……1人で1週間も……不安な思いさせてごめん。
当初、私は“水季は妊娠中絶を示唆することで、夏を試したんじゃないか”と思っていた。主体性のない夏が、人生をかけてでも自分と人生を歩む決断をしてくれるんじゃないかと、そういう試し行動なんじゃないかと。
でも時間を置いて考えて、そうじゃなかったんだという結論に落ち着いた。

水季は試したんじゃない。

“揺れた”んだ。

水季はずっとマイペースで、自分が決めた方向に向かってただまっすぐ、迷いなく突き進んできた。それが彼女の矜恃であり、生き方であった。
でも夏が“自分を想って泣きながら謝っている”姿を目の当たりにし、感情が揺れた。

「他の選択肢はないの? 」「これしかないって決めつけてるなら、考えてから決めてほしい。」それでも、その場では頑なだった。「考えたよ。考えて決めた。夏くんは堕ろすことも産むこともできないんだよ……私が決めて、いいでしょ? 」気丈に振る舞い、笑顔をつくり、同意書に名前を書くよう夏に迫った。強い言葉を使えば夏が断れないことを知りながら、あえてそうした。
「……わかった。」結果、夏は折れ、きっと人生で1番自分を恨みながら、重い筆圧で自身の名前を書いた。彼の涙が止まることはなかった。

クリスマス、どこ行こうか?

言いながら夏の手に指を絡めた水季は、たしかに揺れていたのだろう。そして、揺れた自分が怖かった。このまま夏の言葉に揺れ続けたら、夏に人生を左右されて後悔するようなことが起きたら、相手を責めてしまうかもしれないとすら思ったのだろう。
それはたしかに、愛だった。

水季が大学を辞めたということを夏が知ったのは、人伝であった。水季の中絶に付き添い、病院に同行した後日、水季の友人から聴いたのだった。
夏は急いで電話をかける。だが電話の向こうの水季はいつも通り、あっけらかんとしてマイペースで、残酷だった。
「なんで辞めたの? 」「夏くんに相談しても、自分の意思変わんないもん。夏くんに影響されて考えとか気持ち、変わったことないし。」夏の優しい問い掛けに対しても、水季は海辺を駆け回るみたく、自由奔放なテンポで答え続けた。そして夏はそんな水季の一言一句を、ただのひとつも否定できなかった。それが彼の優しさであった。
「それはそうかもしれないけど……急に勝手にひとりで決められたら心配するし……」「急にひとりで勝手に決めなきゃなんない時もあるんだよ。」水季が、夏の言葉を遮った。なんだか焦っているみたいだ。私はそう思った。
だが夏はそんな彼女の話すテンポに慣れているようで、簡単に溜飲を下げた。歩く足も止めず、彼は尚も優しい声色で電話に話しかけ続けた。「まあいいや。それはいいんだけど、わかってるし、他人の意見とか聞かないってわかってるし。」やれやれ、しょうがないなぁ。でも好きだから。そんな声色の夏を、水季は明朗な話し口調のままぶった切った。

「別れよ。」

夏の時間が、止まった。
「別れよ。別れてください。」「夏くんより好きな人出来ちゃった。その人のこと、夏くんより好きで、ずっと一緒にいたいんだよね。夏くんよりずっと。」
誰? 夏の声が、硬くなった。「内緒ぉ、秘密ぅ。」「ふざけないで。」対して、尚も柔らかくおちゃらけた水季の声。表情が映らない水季に対し、夏の表情はわなわなと震えていた。ほんの少しの怒りと、目一杯の困惑。
「会って話そう。」「だから、夏くんの言葉で意思かわったりしないんだって。」何度も対話を試みようとする夏に対し、水季は一刻も早く会話を終わらせたいようだった。そして水季がそんな素振りを見せれば、夏は断れない。第1話にして、視聴者も夏のそんな性格を感じ取っていた。
案の定、「そうだよね」と水季の言葉に俯いた夏を、水季は明るい声で容赦なく追い立てた。「その人に伝えたいことある? 私が今、夏くんより好きな人に。」「あるわけないだろ。」夏の声が苛立ってくる。それでも彼は、言葉を絞り出した。彼が捻出した言葉は、痛々しいほどに優しい言葉だった。「お幸せに。」

結局、夏はこの後水季に最後の恨み言を言い、そして謝る。どこまでも優しくて誠実で、でも絶対に行動の決定権を握ることだけはしない男だった。
だがここで、水季は夏の「お幸せに」に対し、こう返した。「絶対幸せになるし、する。」まるでとっくに覚悟が決まっているかのような物言いだった。夏は困惑と怒りと寂しさと諦観と愛情により、水季の言葉を疑うことはしなかったが、数年後、彼女の言葉が違う意味で自分に跳ね返ってくる。

何も知らないんですね、この7年のこと、本当になにも知らないんですね。
気付きませんでした? あの年の子ですよ。もうすぐ7歳になります。

提出していなかった同意書と、水季と共に生きてきた人の言葉が、夏に現実を知らしめる。

海は、夏と水季の子どもなのだと。

あの日、水季は堕ろさずに産んで、今日まで育ててきたのだと、夏はようやっと理解した。それは理解したくなかった出来事でもあった。
夏の表情が、困惑と動揺に染まる。理解の範疇を超えた出来事と、想像すらしていなかった事象。そして他人のことばかり考えて生きてきた彼が、他人の時間を知りもしなかった無力さを目の当たりにし、同時に、自分の不干渉のせいで生まれたであろう7年間の苦悩に対する責任感に、押し潰された。

水季は隠していた。

隠して産むことを決めて、育てて、夏との別れを一方的に打ち出した。人に干渉できない、人の人生を左右するどころか意見すらできない夏が、水季の人生に踏み入ることなんかできるはずもなかった。水季もそれを知っていながら、それでもあの日の夏の涙に感化され、揺らいでしまい、海を産み育てる道を選んだのだ。
身勝手だ。それはきっと、水季の母である朱音(演:大竹しのぶ)もわかっていた。それでも、7年間母として生きてきた娘を見てきた母として、水季を捨てるように自分の人生をのうのうと歩んでいた夏に、ひと言言わずにはいられなかったのだろう。
「知らないでしょうね。男の人は隠されたら、知りようがないですものね。妊娠も出産もしないで、父親になれちゃうんだから。
誠実に優しく生きようとしてきた夏は、人の言葉を100%受け取ってしまう。だからこそ海を心ない声から守ったのだろうが、だからこそ自分に向けられた言葉は受け取る以外の方法を知らないのだろう。

「海の父親やりたいとか、思わないですよね。」

朱音の目は、敵意に満ち満ちていた。「別にいいです。水季が勝手にわがまま言って、ひとりで勝手に産んだ結果ですから。ただ、想像はしてください。

この7年の水季のこと、今日1日だけでも想像はしてください。」


考えた。
夏は考えて、考えて、頭がパンクしそうなほど考えた。それこそ、弥生からの連絡に気付かないほど。
家に帰った夏を待っていたのは、優しく寄り添ってくれる弥生だった。「1人だと、どうにかなりそうだった。」お礼を言いながらも呆然と考え続ける夏に、弥生はさらりと対比になる言葉を言う。

「何も考えないで休んだ方がいいよ、今日1日くらい。」

わかりやすく朱音の言葉との対比だったが、これがより一層夏の肩身を狭くする。自分が知らなかった水季の時間を考えていたのに、考えなくていいと言われた。どうしたらいい? でも考えずにはいられない。でもこれ以上考えたら頭がおかしくなりそうだ。
「何も知らなかったから、辛いなんて思っていいほど、何も知らない。……何もできない。」夏が嗚咽と共に喉から絞り出した言葉は、手が付けられないほどの後悔だった。
人はそれを不誠実だと言うかもしれない。実際そうだ。本質を避けて誠実らしく生きてきた彼を、どうしようもない現実が「お前は不誠実なんだ」と彼を糾弾したのだ。

誰も傷付けたくなかった。

きっと彼自身、心ない言葉で傷付いてきたからこそ、自分の言動で誰かを傷付けたくなかったのだ。
ましてや自分の言動で誰かの人生を左右なんて、したくなかった。夏がそう思うに至った過去も今後きっと描かれるのだろうけれど、第1話の夏を見るだけで彼の傷は垣間見えた。
でも彼はもう子どもじゃなくて、性行為もできて射精責任が伴うような大人で、自分の知らない場所で新たな命が生まれていても簡単に全てを放棄できる立場ではないのだ。
もし、夏が根っからの不誠実人間で、水季との思い出も全て消去できているような人だったなら、海の存在を知っても別の人生だと自分と切り離して前を向けただろう。いや、そもそも葬式に参列すらしなかったかもしれない。
でも彼は曖昧に誠実だから、そんな残酷なことはできなかった。

夏は、弥生にも家族にも、水季のことを「大学の同級生」と言った。他にも、妊娠や中絶のことをはっきり言葉で言わない。このことから、彼はなにかと本質を避けようとする癖があるのがわかる。
恐らく彼はそうやって、“誠実らしく”生きてきたのだ。今まではそれが“優しさ”として出力されてきたけれど、一気にそれが“不誠実”と糾弾される現実に陥ってしまったのだ。


第1話で、夏の家庭環境は語られない。だが弟大和(演:木戸大聖)との会話で、実母を亡くしたのかもしれないということはうっすらわかる。「わかる、お母さんが死んだとき、俺も葬式で泣けなかった。」「親戚のおばさんにまだ小さいからわかんないよねとか言われて。わかんないわけじゃなかったけど。」

「言葉の意味がわかんなくても、感情は伝わってきちゃうんだよね。」

大和の言葉で、夏はほんの少し晴れやかな表情を浮かべた。あのとき海の柔らかい心を守ったのは、間違いじゃなかったと安堵したかのような、そんな表情だった。

考えて、泣いて。新しい朝を迎えた夏を、またもや想像していなかった出来事が襲う。夏の家に海がやってきたのだ。
「なんで、家知ってんの? 」「来たことあるから。練習した。ひとりで来れた! 」
視聴者の鳥肌が立つ。水季の意図が読めないからだ。自分の感情が他人の言葉で揺れたことが受け入れられず、自分のわがままで夏を遠ざけたのに、海に夏が父親だと伝え、夏の所在を教えていた。なぜ? 簡単に言うと、怖かった。
でも、責められはしない。マイペースだと自称して、あっけらかんと笑っていた水季は、実際自分のそういうアイデンティティに縛られていたのだろう。それは、揺れた自分に畏怖を感じるほどだった。
自分の人生の責任は自分で持ちたい。そうやって自分を通して生きてきた水季は、自分が1度でも揺れたら自分のアイデンティティが崩れると思ったのかもしれない。そうしたら夏が離れていく。そこまで考えたかもしれない。そうじゃなくても、夏を自分のわがままに巻き込みたくないとは思っただろう。
それでも、自分の命が残り短いと知ったとき、彼女が頼れるのは夏しかいなかった。生前のうちにせめて夏と話し合いの機会を設けられていたら……と考えなくはないが、それができないほど、水季は“マイペース”で“意固地”だったのだろう。

夏の家に入った海は、夏に水季の携帯で撮られた動画を見せた。どうでもいいけれど、ここで夏が扉を閉めなかったことは、彼の“人の目を気にしすぎる性格”を顕著に表していると感じた。
また、夏と海のシーンは、背中から、もしくはお互いの表情だけのカットで撮られる。それはまだふたりが他人だという、“海が始まっていない”という示唆でもあった。

「夏が好きなの。ママ、夏が1番好きなの。」

海が見せた動画の中で、水季が言った。夏の感情が、びりりと揺れた瞬間であった。
葬式で泣けず、弥生の前でしか涙を流せなかった夏が、無防備に涙をさらけ出したのだ。
続いて、海が「葬式のときに見せてくれた動画を見せて」とたどたどしく、でも愛らしくねだる。夏はつい数分前まで消そうとしていた動画を取り出し、海と肩を並べて画面を覗き込んだ。
葬式のときには聴こえなかった音声が、視聴者の耳にもダイレクトに聴こえてくる。「海好き〜! 」水季の明るい元気な声だった。

「海、大好き〜!! 海〜! 大好きだよ〜!! 」

「海もママ大好き。」動画が終わったとき、海も静かに、夏に向かってそう言った。

“言葉の意味がわからなくとも、感情は伝わってくる。”これは夏の弟、大和が言った言葉だけれど、このシーンにも近しいものはあるんじゃないかと思った。
名前に本質的な意味はない。あるのは願いと、思い出だ。どんなに素晴らしい名前でも、その人にとって過去傷付けられたものを表すものであれば、その名前は憎しみにしかならない。そしてそれは、逆も然りである。
名前の本質の意味は違う。それでも、水季はたしかに“夏”が好きで、だからこそ海に「夏が好き」と言った。月岡夏という人が嫌いであれば、夏という季節も好きだと言えなかっただろう。
そして水季は過去、夏の前で海を好きだと言った。もちろん、そのとき南雲海はいない。でも水季は大声で叫びたいくらい“海”が好きで、その思い出も愛していて、その気持ちが変わらないからこそ娘に愛の形をした名前を付けたのだろう。
それを感じて、夏は葬式のあの日、海にこの動画を見せた。心ない言葉ではなく、母の愛の言葉で記憶を埋めたかったから。そして海もなんとなくその感情を感じ取り、お返しのように夏にこの動画を見せたのだった。

でも、動画は時間を切り取ったものだ。終わりが来る。「終わるとどうなるの? 」海は無邪気に訊ねた。「終わりは、終わりだよ。もう、ないってこと。」夏の言葉は、海にとって違う意味に伝わってしまった。

「ママ、終わったの? ママ、終わっちゃったの?」

夏は必死に言葉を探す。この子の傷になるような言葉を使ってはいけない、でも感情に敏いこの子を、曖昧な言葉で翻弄してもいけない。誠実に生きようとして、結果不誠実になってしまっていたことを思い知った夏は、必死に言葉を手繰り寄せた。
「死んじゃったんだよ。」「死んだらどうなるの? 」夏の重い口が紡いだ言葉を、無垢な海の疑問が遮る。「……ごめん、わからない。」でも夏は、尚も必死に言葉を選んだ。
「死んだらどうなるかはわからないけど、水季、

お母さんじゃなくなるわけじゃないから、終わったんじゃないよ。」

夏の誠実さが表れた言葉だと思った。
きっと海も、その言葉に救われたはずだ。だからこそ、彼女は夏に心を許しているのだから。
「夏くんは? 夏くん、海のパパでしょ?

夏くんのパパ、いつ始まるの?」


第1話は、ここで終わる。家族の始まりは来るのか、来るとしたらいつなのか。水季のことも、弥生のことも、海のことも。全部全部、夏は考えなきゃいけなくなった。彼の傷を知ってか知らずか、時間は無情にも彼に責任を押し付けたのだ。
人のことを考えすぎてしまう夏くんが、知らなかった時間を取り戻すために、どう道を選んでいくのか。始まりも終わりもない「海」で、彼らがどう生きていくのか。

「冬眠はね、夏がお迎え来るまでひっそりしていること。……いや、それは春か。」水季はそう言っていたが、この物語で名前はキーワードになってくると思った。海と夏は言わずもがな、「海は終わりも始まりもないんじゃない? 」と話した水季の名前には「海のはじまり」である“水”が入っているし、冬眠の後にやってくる春を示唆する名前として、“弥生(3月)”が夏の交際相手として登場する。今後、このキーワードたちがどう昇華されるのかも、見届けたいと思う。

脚本の生方先生が元医療従事者ということもあり、この物語は命に焦点を当てて誠実に描かれている。避妊や射精責任に関する脚本の意図も、インタビュー記事を読めばわかるところはある。
だが私はあえて、ここでは“ドラマの中で物語として描かれたもの”に焦点を当てて、その上で感想を綴っていきたい。それでこそ、このドラマを“誠実に楽しんでいる”ことに当たると感じているからだ。
まぁ、この誠実は誰かにとって不誠実にもなるのだろうけれど。

というのも、私はこのドラマを信じたいと思っているからだ。私はいわゆる元虐待児であり、私にとっての家族は、私を傷付ける恐ろしいしがらみである。でも生方先生は、目黒蓮にこう言った。

「家族は素晴らしいものということを伝えたいわけじゃない。」

対して目黒蓮も、「色んな家族の形があって、いいものでもあるし、人にとってはよくないものでもある」とInstagramにて綴っている。
ここまで真摯に言葉を紡ぎ、“家族”に向き合っている方たちの物語を、私はできる限り誠実に受け取りたいと思うのである。

次回予告で、夏は言っていた。

「想像しただけでわかった気になっちゃうの、よくないと思う。」

水季の時間を想像して、海のことを考えて、弥生に向き合おうとした夏が、どういう流れでこの言葉を口にしたのだろう。彼ほど実直な人間が出力した言葉は、きっと彼の感情の奥底を表す“表現”である。
月岡夏という人間は、きっと自分の思考にすら責任感を覚えてしまう人間なんだろう。そんな彼が、誠実に言葉を選んできた結果がこれだ。誰かにとっての誠実は、誰かにとっての不誠実になり得る。水季に対して誠実だと思っていた別れも、そうではなかったと彼は思い知った。
夏が「自分は誠実な人間ではなかった」と思い知った今、きっと彼は海の父親になろうと奔走する。でもそれは弥生を蔑ろにしていることになりかねない。私はただただ、月岡夏が誠実と不誠実に折り合いをつけ、傷に向き合い、主体性のある決断をできるよう、祈ろうと思う。

それがきっと、「海のはじまり」に繋がるはずだから。


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