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大好きな食べることについて

昨今いろいろな媒体があり非常に多くのコミュニケーションの場がある中、食べ物に関する話題は非常に参加しやすく毎日の献立に悩む主婦や一人暮らしの学生、時間に追われる社会人、様々な人の支持・共感・興味を得ていると思います。
・世界が滅んでしまうとして最後の日に食べたいものは?
・目玉焼きにかけるものは?
・一生コレしか食べられないとしたら?
このような質問は非常によく見かけるなと思っています。

世界が滅ぶ前に食べたいものとしてよくお店の名前などをあげる人もいるけれど、果たしてその店の人は自分以外の人のために人生最後の日に料理などしてくれるのだろうかとニヤニヤしているんですが、私が人生最後の日に食べたいものといえば炊きたてのご飯で作る“卵かけご飯”だろうなと思います、可能ならあのパリッと弾けるソーセージなんかもつけてくれたらなお最高です。
まずはそのまま白米を口に入れて熱々で噛めば噛むほど甘くなるご飯を楽しみ、その後雑に溶いた卵をご飯にまだらにかけて黄身の多い部分、白身の多い部分をあえて作り濃さの違いを楽しみます。
ポイントは【よく噛んで】というルールはこの日くらいは無視して、自分の飲み込みたいタイミングで楽しみたいというところです。
ちなみに目玉焼きには醤油です、一生コレしか食べられないなんて考えるだけでも胸が苦しくなるためそのような質問は見なかったことにしています。

3度の飯より好きなものなどない私にとって【食べる事】というのはまさに人生であります。良く両親などから物心がつく前のとんでもエピソードを語られ恥ずかしく思うことがありますが、私のエピソードは【少し目を離した隙に父親の分の秋刀魚を鷲掴みで食べていた】とか【母親が弟出産で入院した時晩御飯の心配で泣いた】とか99%食べ物のことでした。

誰かの役に立つこともない
誰も求めていない
なんで書いているのかもわからない
持論オブ持論
そんな私の食べることについて今日は無駄に語っていこうと思います。


食べるって幸せ!!!

そう、まず何と言っても食べるってさいっこうのストレス発散。
誰かが言っていたけど食べるという行為は手っ取り早く脳に幸せを届ける行為なんだとか、幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが出るらしく幸福を感じるってことにいち早く気がついた幼少期の自分グッジョブ!!!!

小さな頃から人間関係を築くことが苦手だった私にとって、唯一安心できる時間というのがご飯の時間でした。どんなに学校に行きたくなくても、どんなに嫌なことを言われていても、ご飯を食べている間は気が紛れる気がしていたように思います。
その分大きくなってしまいましたが、それは成長の証です。

食べることの意味

なんで人は食べるのか、それはもちろん生きるためです。
言わずもがなですが食べないと生命を維持することはできません。
昔から生きるために進化をしてきた人間ですが、生きるために食べていた時代からすると随分と食べるものは変わってきています。

2度のダイエットをして身体の変化とともに思ったことは食べたもので身体は作られているということでした。1度目のダイエットは中学1年の秋ごろから初めたのですが、知識もなくただ【ヘルシー】であることを求めたダイエットで、運動をしているのに体力は無く勉強も全然頭に入って来ませんでした。身体の基盤を作る成長期に無理なダイエットをすることは身体だけでなく記憶力などにも影響が出ると知った瞬間でもありました。
2度目のダイエットはネットやスマホアプリの力を借りて3年という期間で16キロほど落としました。最初はスルスル落ちる体重が面白くて少し無理なダイエットとなってしまっていたこともありホルモンバランスが崩れることで生理が来なくなった時期もあったり精神的にもかなり負担が大きかったと思います。
せっかく痩せてきたのに気持ちが落ち込むことが多くストレスでドカ食いをしてしまうこともありました、ダイエットを初めて半年後に食べ物と運動を見直し減量スピードはゆっくりでしたが確実に体重を減らすことができました、リバウンドもしていません。

ちょっとお通じが滞っていると思えば最近野菜食べてないかも、繊維質足りてなかったかも?とか、なんか肌が荒れているなと思ったらおやつがスナック菓子だったなとか、食べた物によって身体は面白いくらい正直に反応を出すものです。
今朝、洗顔後普段使っている化粧水とパックをしたのですが顔と首に赤い湿疹がまだらに出てしまっています、思い起こせば3連休は甘いものを食べてスナック菓子も食べて過ごしました、そのせいか休み明けは若干身体が重く風邪っぽい症状が出ていました、そして残業で睡眠時間を削った状態の肌は敏感になっていていつもの化粧水でもそんなふうになってしまったんだと思います。
それと逆に最近肌の調子が良い!なんか気分も良い!となっているときはしっかりと繊維質の多い食事をとっていてお腹がスッキリしていたり、甘いものを過剰に摂りすぎていなかったりと食べ物に思い当たるフシがあることが多いです。
ダイエットのお陰で食べたものによって起こる些細な身体の変化に気がつくことができて、なおさら食べることの大切さを実感することができました。

食べたいものが無いなんて!!

ご飯の献立に迷った時、家族になにがいい?と聞くと「なんでも良い」と言われイライラするという主婦のお悩みを目にすることが多いです。なんでも良いと言っている人ほどパスタは?カレーは?と聞くと「気分じゃない」と返してきて余計イライラするんですが。

本来【食べたいもの】というのは本能的に自分の体に足りない栄養素を補う為に欲するものであるそうで、いろんな食べ物に溢れている現代ではその本能はかなり鈍ってしまっているようです。
疲れたときに食べたくなるスタミナが付くものといえば鰻や焼き肉でしょうか?以前食べた記憶からコレを食べると元気になった!と体が覚えていて欲するのでしょう。
失恋をしたときや不幸があったときにチョコレートが食べたくなるのも、フェニルエチルアミンという恋愛ホルモンの分泌が失恋によって低下し強いストレスを感じてしまうそうです、チョコレートにはそのフェニルエチルアミンが含まれていて食べることで沈んでしまった気持ちを失恋前の状態に近づけてくれる効果があるそうです。
そう言われると食べたいものが無いという人でも食べたいものがあった時があることに気がつくのではないでしょうか。
私はよく食べて生きているつもりではありますが、それでも毎日食べたいもので溢れています、その中でも帰省や旅行などで外食が続いた時に【あっさりしたものが食べたい】と強く感じるのも本能的に胃が疲れているんだなとしみじみ思うものです(ちょっと違うかもしれません)

異論もあるかと思いますが食べたいものが無い状態は本能のセンサーが鈍っていると考えています、本能センサーを働かせるためにもあえて休みの日の朝はヨーグルトとコーヒーのみなどで過ごし、胃をリセットさせてみるのも良いかもしれません。

食べられないものについて

ありがたいことに重篤なアレルギーなども無く好き嫌いもほぼありません。そんななんでも食べられる人間に育ててくれた母親に感謝をしております。
某ピンクのキャラクターのように何でも吸い込むように食べて育ったのですが、私以外の家族は全員口にいれることができないくらい嫌いなものがあります。
父はバターが苦手でピザのように焼かれていない固形のチーズも苦手です。
母は肉が嫌いで生魚も好んで食べません。
兄はしいたけが駄目で弟はツナが苦手でした。
各家族の苦手なものをすべて片付けていたのは何を隠そう私でした。

両親の時代は食べられないは甘えだと食べるきるまで給食を片付けてもらえず放課後まで残されていたとよく話していました。アレルギーはまだ広く知られておらず、我慢して食べて病院行きなんてこともあったのではないでしょうか。
仕事柄栄養素やアレルギーなども勉強してきたのですが、その中でも興味深かったのは【好き嫌い】でした。
アレルギーでもなんでもないのに嫌いな食べ物があるということが小さい頃から何でも食べることができた私にとっては不思議でたまらなかったのです。

実はしいたけ以外にもネギ類が食べられない兄は大好きなラーメン屋さんに行ってもネギ抜きを頼んでいたのですが、大学生になって一人暮らしをする過程でネギを克服して帰ってきました。理由を聞くと『必要に迫られたら食べれた』だそうです。
一人暮らしで自分で買い物をするはずなのになぜ食べられないネギを買ったのかはわかりませんでしたが、年上の兄に向かって大人になったなとおもったものです。
この大人になったということが実は好き嫌い克服の理由の一つで、小さな頃の味覚というのはとても繊細でいろんな味を鮮明に感じるそうです。それが年を取るにつれて老化し味を感じにくくなっていくそうです。
兄が小さいな頃に感じたネギの嫌な味が大人になって感じることができなくなった事がネギ克服に至ったのではないかと思います。

また、逆のパターンで小さい頃あんなに好きだったのに今は普通、もしくは苦手になってしまったものはないでしょうか。
私は食べられないものは無い事になっていますが食べるのを控えているものがあります、それはニンニクと甲殻類です。
ニンニクに関しては火を入れるとホクホクとして美味しいよと言われ天ぷらをしたことがあったのですが、加熱が足りなく生の状態のニンニクを一片食べてしまった事がありました。すぐに具合が悪くなって部屋にこもり、次の日は胃の不快感で学校を休んだ記憶があります。
甲殻類に関しては焼き肉の食べ放題で盛り合わせの中にあったエビを加熱不十分状態で食べてしまい、吐いて降っての酷い目にあったことがありました。旅行初日の事でその後の日程がお通夜のようになったのは言うまでもありません。
それからニンニクが効いた料理を食べたり調子の悪いときに甲殻類を食べると蕁麻疹が出たりお腹を壊すことが多くなりました。
ニンニクもエビも出来上がりが待てずに口に放り込んでいるあたり、食い意地の力強さを感じております。
このような事があってもなくても小さな頃に平気だったものが今は食べたくない、嫌いになったというものは経験上本能的に身体が拒否をしている状態となります。無理して食べずに同じ栄養が取れる別のものがあるのであれば無理せずそっちを食べたほうが安心です。

今ではすっかり好き嫌いは甘えという認識は古いとなってきています、過度な偏食でない限り多少の好き嫌い問題ないと思っています。

まとめ

色々書きましたがやっぱり食べるって幸せ!!!に尽きます。
食べると言う字は“人”を“良”くすると書くとは誰が言ったのか、でもそれは本当で食べることで体調が改善することも心が癒やされることもあるんですよね。適量であればの話ですが・・・ 
最近では食べることに興味が無いという人が多くアイデンティティが喪失してしまうような気持ちになることも多いです。
それでも私は食べるのが好き、好きなものを食べるためには好きなものを食べ続けてはいけないという矛盾に悩みつつ、いつでも食べたいものを食べられるコンディションを保てるよう健康に気をつけて行きたいと思いました。

※あくまで個人的見解となりますので鵜呑みにしないでください。

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