性善説と性悪説 「悪いのはあいつだ」という発想は要注意だよ
よくいろんな問題やトラブルが起きたときに、「あいつが結局悪いんだよな」とか、「あっちのセクションが本当に悪いんだ」みたいなセリフをついつい言ってしまうよね。
何気なく使っているけれども、これは宗教的に言えば性悪説と言うやつだよ。
そしてこの性悪説と言うのは、ビジネスや人間関係では、トラブルの元なんだよ。
なぜトラブルの元かと言うと、これは相手の「変化する可能性」を信じていないと言うことなんだね。
だから切り捨てるか、見下すか、悪口を言うしか選択肢が残らなくなるんだよ。
だけど、これは人間関係で見ると、マイナスのファクターだし、生産性はゼロなんだね。
そこで思い出すのは、ビクトールフランクルと言う、アウシュビッツを生き延びたお医者さんの本に書いてあった話だよ。
オーストリアがナチスに占領されていた時に、障害者をガス室に送るために作業をしろと言う命令がゲッシュタポからあったんだね。
その時にこの仕事を積極的に引き受けて、精神障害者とか、心を病んでいる人たちを、強制収容所に送るために、一生懸命になったフランクルの同僚がいたんだよ。
そして、第二次世界大戦が終わって、ビクトールフランクルは、この悪魔のような同僚がその後どうなったのかとても気になっていたんだ。
行方知れずになってしまって、南米のほうに逃げたと言う話やら、ソ連軍に捕まって、シベリアのほうに連れていかれたとか、いろんな噂があったんだ。
何年かして、ある患者さんを見ていた時に、ふとその患者さんからこの同僚の話が出たんだよ。
そしてこの患者さんによると、この同僚はソ連軍に連行されて、シベリアの方で強制労働をやらされていたようだよ。
ところが、もともと精神科医だから、強制労働中に絶望して、心を病んでしまう人たちが続出したんだけれども、この同僚が一生懸命励まし続けたそうだよ。
それで労働者の間では、大変尊敬されて、天使のようだとまで言われていたそうだよ。
ビクトールフランクルはこの話を聞いて大変感動したんだ。
そして人間は凝り固まったところもあるけれども、変化することが決して不可能ではないんだと言う確信と信念を持ったんだね。
だからビクトールフランクルは、その後、考え方を変化させると言うことにフォーカスした治療法を生み出して、大成功したんだよ。
そしてこのビクトールフランクルの考え方が、参考になって、心理的安全とか、組織開発論とか、最近のマネジメント理論が生まれているみたいなんだよ。
やっぱり人を見下したり、深く考えずに悪い奴だと考えてしまったり、クビにしたくなったりと言うのは、どうしても抜けがたいものがあるよね。
そんな人のために、経営者向きのコーチングを専門にやってる人もいる位だしね。
人間はやっぱり変われるものなんだよ。
それは人間が神様から向上心と言うものをいただいているからじゃないかと思うよ。
仏教でも八正道と言う教えがあるしね。
この中では正しいものの見方というのが1番最初に来るからね。
正見と言うことで、その後に正しく思うと言うのもあるしね。
この正見と正思うと言うところがどれだけ大切かと言う事は釈尊も見抜いておられたんだね。
やっぱり人間は神様から作られた存在だし、転生輪廻と言う考えもあるしね、
今ははしにも棒にもかからない悪いやつに見えても、どこかで向上していく可能性というのはきっとあるんだろうね。
そういった目で見てあげることが性善説でもあるし、許しと寛容さということなんだろうね。