宮本百合子
ある日、実家の母と電話で話していました。
国際情勢がこうなってからは、土日を除いてほぼ毎日電話をかけています。実家は黒電話なので、私のスカイプからの一方通行で、特に用事がない時はすぐに切る場合もありますが、とりあえず、「今日もつながったねえ。」といった感じでかけています。
国際交流基金がやっていた外国文献図書館は、国際情勢で閉館になったけれども、そこにあった蔵書を日本大使館に移して、利用できるようになりました。
それで、借りようとしている本のことを話していました。
その時に、「次は、宮本百合子を借りるよ。」と話したところ、母が、「宮本百合子って、ソビエトに行ったことがある人だよ。」と言い始めました。
私は、そんなことを全く知らず、ただ、順番に本を借りようとしていただけでした。
その後、日本大使館へ行き、本を借りた時に、ロシア人職員に、「この人は、ソビエトに来たことがあります。」と言ってみました。
ロシア人職員はもちろん知っているわけもなく、「住んでいましたか?」と訊かれました。そのため、私も詳しくは知らないから、「旅行で」とだけ答えましたが、このロシア人職員が興味を持ってくれて、「名前は何ですか?」と訊いてきたので、「ユリコ ミヤモト」と言うと、その後、大使館の出口まで「ユリコ ミヤモト」と何度も繰り返しながら歩いて行きました。途中、忘れそうになって、「ユリコ・・・」となったり、「ユリコ ヤマモト」となったりしていたので、私と別れた後正しく検索できるか分からないけれども、微力ながら日露文化交流です。
帰り道の地下鉄の中で早速読み始めましたが、『伸子』『播州平野』『風知草』は、ほとんど自伝だと思いました。
『播州平野』と『風知草』は、話が続いているので、『播州平野』から読んだ方がいいです。『播州平野』は、戦後まもない時のことを詳しく描写しています。
太平洋戦争前後の言論統制の状況なども作品から読み取ることもできます。
ところで、宮本百合子さんは、いつソビエトに行ったかというと、昭和2年末(1927年末)から昭和5年末(1930年末)まで、3年間も旅行していました。モスクワにいる片山僭さんにも会っていました。ゴーリキーにも会っています。
モスクワはもちろん、ヴォルガ河を下り、コーカサス、バグー油田、クリミア、なんと、ドン・バス炭坑も訪れていました。
この本の最後の解説を読んでいたら、『二つの庭』『道標』も読みたくなったので、一時帰国したときに、公共図書館にある『宮本百合子全集』の中からこの2つを読もうと思いました。全集を読んでいる時間はないと思うので、とりあえず、この2つの作品を読みたいです。