第35回東京国際映画祭短評
10/24(月)から始まっている第35回東京国際映画祭。
毎年、映画仲間と一緒に参加してワイワイガヤガヤ楽しんでいる。ここ数年は、Twitterで様々な有識者と情報交換をする。自分からも有益情報を出そうと、cinemas PLUSにて注目作品10選記事を寄稿したり、作戦会議スペースを行なって盛り上げている。
さて、昨年から洞窟さん(@cinema_lantern)主催の公開星評に参加している。これがかなり面白くて、フォロワーさんの好みが知れたり、ノーマークだった面白い映画を発見できたりする。
一応、ブログには会期前に鑑賞した作品の評を書いていたりするのだが、点在してしまっているのでnoteにまとめることにした。短評とブログ記事のリンクをつけたものを随時更新していくので参考にしていただけたらと思う。
下記コメントにつけた星評は洞窟さんの方式を準拠し星4方式を取った。
★★★★素晴らしい
★★★良い
★★可
★うーん
※☆は0,5点換算
↑第35回東京国際映画祭総括記事をCINEMAS+(旧:cinemas PLUS)さんに寄稿しました。
コンペティション部門
窓辺にて(今泉力哉)
★★★☆
文学賞の授賞式にて記者が投げつけるボールにただぶつかり、手応えのない返しをする作家。 もはや言葉のドッヂボールですらない空間で、稲垣吾郎演じるライターとはぎこちないながらも、キャッチボールがなされる。そこから孤独を信頼に委ねる対話が醸造される。 面白かった!
ザ・ビースト(ロドリゴ・ソロゴイェン)
★★★☆
村社会は怖いよ映画。イヤらしさの解像度がやたらと高く、生かさず殺さずネチネチとだる絡みをしていく隣人、そして「そんなにイヤなら『ふるさと』に帰ったら」と言い始める警察官にゾクゾクする。100%ではなくイヤらしさが常に70~90%を行き来する演出に痺れた。そして、何よりもフランス人の主人公夫婦がスペイン語で対話を試みようとし、また歩み寄ろうとしてこの惨状というところが最大の観どころとなっている。
輝かしき灰(ブイ・タク・チュエン)
★★☆
ベトナムのマジックリアリズム映画といった印象を受ける。内容自体はクズ男と女の物語だったり、ベトナムの日常が描かれるのだが、極端な時間省略とゆったりとした時間の流れのアンサンブルにより不思議な世界に誘われる。川を時間、火事を事象と捉えることで人生を表現しているように思えるアプローチは新鮮。ただ、退屈する場面も多く、面白いのかつまらないのかよく分からない作品であった。映画祭でしか遭遇しないタイプの作品。
ライフ(エミール・バイガジン)
★★★★
中途社員が夜間にチェックシートなし、立ち合いなしのハードディスク整理作業を行い会社の全映像データが消失するという職業柄、頭が痛くなるインシデントが発生。怖い連中に男は連行され、カイジが如く地下労働施設行きかと思いきや、なぜか新CEOに任命され「子供たちのプール建設費を調達しろ」と言われる。デスゲームものとして見ると意外な展開だ。映画は徹頭徹尾、修羅場レベル100の暴走特急となり、執拗に繰り返されるスローモーションと交通事故によりもはや笑うしかないダークコメディへと発展する。主人公を追い詰めすぎて主人公は碇シンジになってしまい、提示される画のイカれ具合にニヤニヤが止まらなかった。もうやめて!とっくに彼のライフはゼロよ!エミール・バイガジン、恐るべし!
マンティコア(カルロス・ベルムト)
★★★★
デヴィッド・クローネンバーグ『ステレオ/均衡の遺失』において、テレパシーがある世界では他者の思想が侵入するので本心は別の箱に収める世界を提示していた。今やコンピュータはまさしくそうである。クリエイターの脳内にある曖昧なものを具現化する物理的世界における表象としての絵、PCで描かれるクリーチャー。どちらも他者に見られる可能性がある。ある事件をきっかけに脳裏に浮かぶヴィジョンをいかに具現化して内なる渇望を癒すのか?この一つのアイデアとしてVRが提示される。画に映し出されるのは、VRゴーグルをかけて創作する主人公。最終的に、具体的に、何をしているのかはゴーグルの外側から観察するしかない。脳裏に浮かぶ像を内なる空間で具現化し、自己処理をしていく彼を通じて。さて、果たしてその聖域は安全なのだろうか?また、他者と肉体的に交わることで、互いに脳裏で曖昧に浮かぶ感情を突き合わせ親密な関係になることはできるのだろうか?VR論から、親密さや具現化することによる影響を模索する意欲作。このアイデアに私は夢中となった。
山女(福永壮志)※NHKドラマ版にて鑑賞
★☆
NHKで放送された少し短いバージョンを観たのだが、長編版を観ても評価は変わらないだろうと判断した。明らかにロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』と『ジャンヌ・ダルク裁判』をやろうとしているのだが、それが上手く行っているようには思えなかった。特に後者をやるなら、火炙りの前段階の足アクションが重要であるのだが、火炙りの再現で終わってしまっており、また独自性としても光るものを感じなかった。ただし、突然シッチェス映画祭系のアクションに発展する場面は笑った。面白かった。
テルアビブ・ベイルート(ミハル・ボガニム)
★☆
日常的に銃撃戦が行われる中で、少女とお爺さんは何食わぬ顔で生活する。生死をかけた戦いを繰り広げる兵士の挟むように眼差しを向けていく描写は面白かった。しかし、面白かったのはそこまでで、あとは紛争中の苦悩を中途半端なユーモアで包んだだけの印象が強くぬるい映画だと感じた。
This Is What I Remember(アクタン・アリム・クバト)
★★
20年ぶりに帰ってきた男は記憶を失っていて家族が介抱する物語。『馬を放つ』に引き続き、美しい景色の中で対話する演出が特徴的なアクタン・アリム・クバト最新作だが、点の面白さに留まっているためそこまで伸びず。ただ、寄付を募る場面で「神の施しには及びません」と完全に喧嘩売っている言動にジワりました。
第三次世界大戦(ホウマン・セイエディ)
★★★
アスガー・ファルハディ系の暗い会話劇イラン映画はたくさん劇場公開されるが、ここ数年新しいイラン映画の切り口が発見されつつある。『第三次世界大戦』を東京国際映画祭が持ってきたところは注目すべきポイントであろう。イラン映画なのにホロコーストもの?と思っていると突然、『パラサイト 半地下の家族』を彷彿とさせる修羅場家侵入ものへと発展し、物語はどんどん予測不能になっていく。来年のアカデミー賞国際長編映画賞ノミネートは堅いと思う一方、ウケるだろう要素を足し算しただけの映画に感じる。
ワールド・フォーカス部門
ラ・ハウリア(アンドレス・ラミレス・プリード)
★
中南米のマジックリアリズム系映画が割と苦手で嫌な予感がしていたが、見事的中。映画祭でワールド・シネマとして出品される中南米映画にありがちな閉塞感ある村、銃や車などといった近代以降の存在の横で呪術的なことが行われる異様さは食傷気味であり、真新しさが欲しいところだが、それはほとんどなく、強いて挙げるとするならば、おじさんが顔をブルブルさせながら行う儀式は面白かった程度の作品であった。
鬼火(ジョアン・ペドロ・ロドリゲス)
★
ブリュノ・デュモン、レオス・カラックスなどといった作家主義系の監督はミュージカル映画を撮りたがる傾向がある。ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの新作はSFやミュージカルなど様々なジャンルを横断させて描くラブストーリーとなっているのだが、背徳の場として安直に起用される森や、消防署内で展開されるのっぺりとしたダンスにゲンナリした。子どもたちが群れを成して森で踊る場面の豊かさ、そこが頂点であり、それ以外はブレインストーミング後のホワイトボードを前に「どう、面白いでしょ?」と言われているようで反応に困った。
セカンド・チャンス(ラミン・バーラニ)
★★★
第35回東京国際映画祭の中で最もダークホースな作品。防弾チョッキを発明し、自ら装備し、銃を撃ち込むパフォーマンスで事業を成功させた男を通じて、アメリカン・ドリーム、そして資本主義において制御できなくなる個の存在を炙り出した力作。語り口があまりに軽妙でマーティン・スコセッシ×Netflixで劇映画化されてもおかしくないほどにイカれた話である。
コンビニエンスストア(ミハイル・ボロディン)
★★★☆
コンビニで凄惨な扱いを受けるウズベキスタン人の姿を観ると日本も他人事ではない。本作は、息が詰まりそうなコンビニパートとウズベキスタンの綿農園パートに分かれている。闇と光のコントラストで物語られるが、ベクトルは闇に向いている。そしてこの2つの物語を通じて、コンビニは現代のプランテーションだと論じる。慧眼な作品といえよう。
R.M.N.(クリスティアン・ムンジウ)
★★★☆
人間社会における難問といえよう「論理と感情の共存」をルーマニア経済から読み解き、そして本質を野生動物で示唆する高度な魅せ方で社会批判を行った力作。パン工場に人材が集まらない。最低賃金で残業代未払い問題を抱えていることを知っているからだ。仕方がないのでスリランカ移民を雇うが、住民から反発を受ける。映画は住民の論理の矛盾による混乱を通じて人間の弱さを炙り出す。EUのルールや法律、経営者の論理には感情的に反発する。しかし、スリランカ人を排除するとなった時に、多数決でエビデンスを作り、論理で自分達の意志を押し通そうとする。そこには対話がない。忍び寄る他者に対する恐怖しかない。その恐怖を人間と言葉で対話できない存在である野生動物に象徴させたところに光るものがあった。しかし、テーマが大きすぎて難題すぎて2時間で語るにはとっ散らかってしまったように見える。
タバコは咳の原因になる(カンタン・デュピュー)
★★★★
カンタン・デュピュー監督を推してきて本当によかったと思う。2022年ベスト候補の特大ホームラン。『リアリティ』のグロさに始まり、『地下室のヘンな穴』のギミックを通じた理論あり、しまいにはMr.Oizo名義のMV「Flat Beat」の要素がアッセンブルし、観る者を異次元へと誘う。一見するとバカバカしい映画に見えるが、いつも通り理詰めな映画となっている。バラバラになったヒーローたちを繋ぎ止めるのは安全圏から消費する「恐怖」である。しかし、突如、「恐怖」は現実のものとしてタバコ戦隊タバコ・フォースに襲い掛かり消費できない存在として立ち憚る。では、「恐怖」による団結でヒーローの絆は深まり悪を成敗するに至るのか?そんな想定内なエンディングにはしないよと、彼は意外すぎるポイントにヒーロー着地を叩きつける。キメラのように絡み合う「恐怖」と「ギャグ」の盛り合わせ。異次元の映画を観た。これは劇場公開してほしいし、同時再生配信にてみんなとワイワイ観たい。もちろん、細かく分析して観る楽しみも残されている。凄いぞ、カンタン・デュピュー!
スパルタ(ウルリヒ・ザイドル)
★☆
子供たちに対して意に反した演技をさせた疑惑が持たれている本作が東京国際映画祭で上映に踏み切り物議を醸した。ある男が子どもたちのために柔道教室を開く。あまりに生々しく子どもたちに接し、暴力的な言葉を浴びせ、明らかな事故まで捉える様は上記の問題がなくても厳しいものがある。いくら演技だ、フィクションだとは言え、強烈な大人による支配がドキュメンタリータッチで描かれているからだ。極めつけは、うさぎに対してあまりに酷いことが行われていたことだ。エンドロールにあるはずの「動物に危害を加えていません」という文言がなかったように見えたこともあり吐き気がした。しかし、理論としてはウルリヒ・ザイドルのことなので緻密だ。社会から阻害された小児性愛者が柔道教室を通じて王国を築き上げる。子どもが自分の言うことを聞いてくれる状況に悦楽を覚える。厄介なことに、子どもたちは家で虐待を受けていたりする。「児童虐待から救う」状況が認知の歪みを引き起こし、自分のやっていることが正当化することへと繋がる。確かに、今年の東京国際映画祭は『R.M.N.』や『コンビニエンスストア』といった搾取の物語が関心の的となっているが、搾取される役者を描いた『第三次世界大戦』の横で現実に問題が起こっている本作が上映されることはキツいものがある。
クロンダイク(マリナ・エル・ゴルバチ)
★★★★
国境付近に住む夫婦が、ロシア侵攻の足音が聞こえつつもその地に留まろうとする物語。ミクロとマクロの視点から侵攻を描くアプローチが凄まじく、アンテナ工事をしている遠くで軍事作戦が侵攻している生々しさや、ぽっかりと壁に空いた穴で侵食される現実を象徴させるところにノックアウトされた。後述の『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』と併せて観ると思わぬ発見がある作品でもある。
波が去るとき(ラヴ・ディアス)
★★★☆
ラヴ・ディアスのここ最近の作品はドゥテルテ政権に対する怒りで荒れ狂っていたように見えるが、本作は冷静になり、ナイフのように研ぎ澄まされた画と冷たい暴力で怒りの炎を灯す。暴力を行使した後に、駆け寄る少年を見て迷う警察官の姿に泣けてくる。
アジアの未来部門
蝶の命は一日限り(モハッマドレザ・ワタンデュースト)
★★★☆
ある目的のため、目が悪くなり身体も鈍くなった老婆が歩き続ける。テオ・アンゲロプロス的360度パンの中で時空跳躍を行う演出が面白く、老婆をカメラが追い越しゴミの山に辿り着くと老婆が前を歩いているショットに痺れ、また老婆の記憶の断片を象徴するような壁にかけられた幾つものガラスが印象的であった。他にもバキバキに決まった構図で階段を捉えながら、老婆が昇る様子を数分間に渡り撮り続けたり、突然「ゴールデンアイ 007」さながらの潜入ミッションが始まったりと予測不能な展開を通じて「ある真実」を語ろうとするアプローチが好きであった。映画祭ならではの映画である。
ユース部門
ヌズーフ 魂、水、人々の移動(スダーデ・カダン)
★★★
奇遇にも『クロンダイク』同様、戦禍の穴の空いた家を舞台に留まるか逃げるかの選択を迫られる者の物語だった。しかし、『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』と『クロンダイク』における穴の性質は異なる。 どちらもプライベートゾーンに侵入する存在としての穴だが、前者は救いの手を差し伸べる光として、後者は破壊をもたらす闇として描かれる。そして本作は、「虚構」の力を信じて前進しようとする物語となっており、その虚構描写がユニークであった。ただ、ラストはそれで良いのかと疑問が残る。
その他部門
フェアリーテイル(アレクサンドル・ソクーロフ)
★★★★
ヒトラー、レーニン、昭和天皇など歴史上の人物を描いてきたアレクサンドル・ソクーロフ。いずれの作品も歴史上の人物を「個」として描こうとしてきた。『エルミタージュ幻想』ではエルミタージュ美術館に眠る「過去」をワンカットで幻想的に描くことで地続きのものとして捉えた。『フランコフォニア ルーヴルの記憶』はルーヴル美術館にある展示物や過去を掘ることで歴史に埋もれた個人を描こうとした。そんな彼がディープフェイクを使って描く対話は、歴史によって凍結された個人の精神像を見事に捉えておりソクーロフ監督の集大成と言える。
ノースマン 導かれし復讐者(ロバート・エガース)
★★☆
ロバート・エガースの暴力には暴力を行使し続ける作品。元々、ロバート・エガース映画は得意ではないので、暴力でゴリ押ししているだけのように見えた。しかしながら、球技そっちのけで大乱闘バトルロワイヤルが開催される場面の異常さには惹き込まれた。たまに間違えている方がいますが、本作はA24映画ではないのでご注意を。
月の満ち欠け(廣木隆一)
★★★☆
観ていて恥ずかしくなるような、芝居がかった演技と甘酸っぱい恋愛劇。一見すると、良くない映画に見えるかもしれない。しかし、『PとJK』、『オオカミ少女と黒王子』などと2010年代にテクニカルな青春キラキラ映画を撮り続けてきた廣木隆一の巧みな業により、エンターテイメント作品の模範として君臨できる風格がある。多くの日本映画では台詞で全てを説明してしまう。しかし本作では、死を「死」という単語を使わずに終盤まで演出している。電話がかかる、タクシーが妙なところで止まる、花束を置く。これだけで「死」が、それも大事な人の死が表現できることを示している。中盤までは甘酸っぱい回想劇で進むのだが、やがて不気味な物語へと転がり、大泉洋演じる超現実を信じない男がそれを信じて停滞した時を再び動かそうとする。美しくも停滞を引き起こす過去を乗り越えていく物語として傑作に仕上がっていたのだ。
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