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12月14日は何の日?討ち入りそばの日です。

 赤穂浪士の討ち入り前夜の12月14日、義士一党が江戸市中のそば屋(楠屋十兵衛またはうどん屋九兵衛の二階)に集まり、そばやうどんをすすったという巷説が残されています。

 残念ながらどこにも討ち入る予定はありませんが、先日購入した蕎麦打ち器を使いたくて仕方がないので、またまた作りました。さっそくの大活躍です。買ってよかった。

何となく江戸に思いをはせて、かけそば

 前回は十割で盛りそばをこしらえましたが、今回は討ち入りそばということで温かい二八蕎麦にしました。想像通り、十割そばよりモチモチした食感で、香りは薄かったですね。麺はしっかりとつながっており、ズズっと啜ることができました。

 個人的な好みとしては、麺が多少切れてもいいから十割で蕎麦の風味を感じられた方がいいなと思いました。いっちょ前なことを言うと、市販の蕎麦つゆは甘い(温めると特に)ので、時間があれば蕎麦つゆも自分で作って再チャレンジしたいです。

 ちなみに盛りそばをつくった模様はこちらに記しています。二八蕎麦は押し出すのに力が要ったので、最初は十割蕎麦の方が作りやすいのではと思いました。前腕に自信のあるマッチョさんには心配無用かもしれません。

 さて、当ファームが所在する越中富山は江戸からも赤穂からも遠く離れていますが、赤穂事件と縁やゆかりが全くないわけではありません。赤穂藩には主席家老の大石内蔵助に次ぐ上席家老であった藤井宗茂という人物がいました。

 勅使饗応役の主君・浅野内匠頭を補佐したものの、ご馳走にかかる経費を削ろうとするなど不手際が多く、それが赤穂事件の一因となったと言われています。忠臣蔵などの創作では、吉良上野介にかつお節1本だけを贈って呆れられる、ケチで無能な家老として描かれる場合が多いようです。

 宗茂は仇討ちの参加を求められるも断り、知己を頼って越中国射水郡小杉村に流浪し、そこで豪農の娘を妻に娶り、二男一女をもうけます。ところが、長男・直明に勅使饗応の補佐の任を全うできなかったことを批判されて、絶縁してしまいます。何という生き様でしょう。

お金は使うべき時には使っとかないとね

 宗茂のことを思うと、今年の討ち入りそばは何とも言えない味わいになりましたね。来年は高級かつお節から出汁を取り、具材も取り揃えた豪華な蕎麦を食べようと思います。


 ところで話が変わりまして、Eijyoさん主催のクラブ活動に参加しております。その名も『蕎麦食推進クラブ「さざれ石」』。蕎麦に興味がある方はお気軽にご参加いただけると嬉しいです。一緒に蕎麦食を盛り上げていきましょう!

#蕎麦食推進クラブさざれ石

 文中の画像は「ぱくたそ」さんのフリー画像を使用しています。

おしまい。


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