自己中に生きることで究極の愛を示す
はじゃじゃんすー!
昨日の朝、おがすみさんから急に「なんかちあきさんとスペースやりたい気がする!指が勝手にDMを送ってる!」みたいな連絡が来まして、おお!これはおがすみさんとの宇宙の仕事やな!と感じて急遽スペースしてたのです
☟宇宙の仕事ってなんやねん?はこの記事で☟
その中で「自己中はいけない」というくだりがあり、たぶんそれは彼女の傷付きの体験からきている(わたしも同じような所を歩いたことがあるのでだいたい分かる)のだけど、私(悪魔部分)なりに少し違う観点からそれを噛み砕いてみようかなと思うーがぶがぶ!
結論から言うと、
「自己中をやりきるのは大事だぜ」
って話で、それを言うと心の中の良い子ちゃんぶった私が「でも自己中に生きてたら誰かを傷つけたり、迷惑をかけるでしょう?そんなのみんながかわいそうウルウル」と言うのだけど、むしろ逆なんよな
たとえば、
「自分女の子に酷いことをして、ボロボロ泣いちゃうのを見るのが性癖なんです!」
って人がいたとして、そのこと自体を私は別に悪いと思わないのよ
だって
「うわ刺さる!私男の人にボロ雑巾みたいに扱われるの大好き!やっべえヨダレ出て来たああ」
て人も世の中にはいるわけで、そういう人にとっては居てくれてありがとうな存在だったりすると思うのよ(レアケースすぎ)
じゃあ何が問題なのかって言うと、自己中を隠すって事なんよね
「優しくするよ」「気持ちよくしてあげる」と言ったから、もしくは普通にそうしてもらえると思ったからついて行ったのに、蓋空けてみたら吊されてバチバチにしばかれましたの場合に「裏切られた!傷ついた!」と人は思うわけで
最初から開示されていれば避けることも、乗っかることもできるんよね
自己中って、自分を丸裸にして見せて、それを好くか嫌うかを相手に委ねている
自分を嫌ったり避けることを、相手に許していることだと私は思ってる
ある意味身をもって示す究極の愛なんよね
究極の愛だから刺さる人には強烈に刺さるし、合わない人は勝手に避けてくれる
タダソレダケノコトナノヨ
強烈に刺さった人たちに囲まれて暮らすと、人に好かれるための努力をしなくてもなんか愛されるから、人生が勝手に楽しい方向に向かっていく
なーんだ、案外簡単なことだったんだなーと最近の私は思うのです
話はもどって、「でも自己中に生きてたら誰かを傷つけたり、迷惑をかけるでしょう?」という私の中のいい子ぶりっ子に私(悪魔)の言葉をぶつけるのだとしたら、こうなる
「私を嫌うことを許さない!のどこが優しさやねん、むっつり自己中すな」
そんな感じで今日も今日とてできるだけ自己中に暮らしておるのでした
ほにゃほにゃ!
☝︎おがすみさんとのスペースはこちら☝︎