「自分を生きる」練習
タイトルを読んで「自分を生きる練習なんていらんよ!だってもう自分のために生きてるし、なんなら自分勝手と言われるくらいですし!」と思う人にこそ共有したい内容やったりします
なぜなら私もそうやったから
というのも、人間っていうのは長い歴史の中で
恨みを買って人に殺されたり、村八分で飢餓に陥ったりして、
「社会性がないとやべーな、死ぬ確率上がるやん」と遺伝子に記憶しちゃってるもんで、意識していてもしていなくても何かしら人に気を遣うのがデフォルト設定なんだと思うんよね
なので、いくら自分勝手なつもりでもやっぱり人のために何かしていることの方が自分のためよりずっと多かったりする
だから、意識的に「これは誰かのためにやってるな」を1日やめてみる
家事、仕事、育児のこまごま
仲間がいるから惰性でログインしてるネトゲ
気乗りしない誰かの話を聞くこと
コンビニやスーパーのレジでお礼を言うこと
共有スペースで目についたゴミを拾うこと
何となく押すいいねやリツイート
もろもろもろもろ
とにかく一つ一つに「これは自分だけのためか?」と問いかけて自分勝手をやりきる
そうすると、案外自分って人のために色々やって生きてきたんだなぁと実感するし
面白いのは、そうやって自分勝手の日を増やしてみても結構周りが困ることってないんよね
結局自分の一人相撲で、自分に色んな制限をかけてたんやなぁみたいなことが分かってくる
その内それにお小言を言う人にもチクリと来なくなって、「ああ、今日もこの人はお相撲遊びをしとるんやな、のこったのこった!笑」くらいに思えてきたりする
そうして自分勝手が安定すると、「この人はこういう生き物なんや」と認知されだすんよね
苦言を呈される事すらなくなってくる
やっぱり人ってコンフォートゾーンにいたいから、自分の中でのその人の認知と違う事をされると「いや、お前そう言うやつちゃうやろ?!もっとこうできるやん!」とツッコミを入れたくなるんだと思ってて
認知と現象に相違がないと何も言ってこないんだよね
ゴロゴロするもんだと認知してる猫がゴロゴロしていることを咎めないように
これが出来るようになるのは私にとって、ままならぬ世界を自在に操る能力に等しいなぁと思うのです
そうして私は今日も暴走したり、ゴロゴロしたり、その全てで自分を表現して、かつそれをやらせてくれる世界を愛して生きてます
みんなありがとな!!!!!!(クソデカ声)
ほにゃほにゃー