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★東日本大震災:被災地を訪ねる★②夜の塩竃市内を訪ねて【前編:本塩釜駅周辺を歩く】

仙台への出張の際に少し立ち寄った被災地の訪問。前回までで、仙石東北ラインの列車に乗り、東松島市の野蒜駅周辺を歩きました。高台移転した後の街が、少し寂しげだったのが印象的でした。(前回の記事はこちら)

この訪問の帰りに、夕食を食べたいと思い、せっかくなので海の幸が豊富な塩釜港周辺に行きたいと思い、仙石線の列車で本塩釜駅を訪れました。ここも東日本大震災の被災地、ということで、ここの訪問記録を書きたいと思います。

■塩釜の紹介

塩釜は、市の名前は「塩竃市」と書きますが、駅の名前は「本塩釜駅」と書くように、表記が混在している町です。昔から天然の良港として栄え、今も漁業が盛んな街です。今昔マップで比較すると、昔と今とは交通事情が色々と違うことに気づかされます。
まず、東北本線が地図の右側には少し内陸側を走っていて、「塩釜駅」が存在するのですが、左の昔の地図にはありません。東北本線はこの時代はここを走っておらず、さらに山側に利府駅から北に伸びる線路が東北本線でした。塩釜の街は通らないルートだったので、塩釜港に至る「塩釜線」が左の地図でも走っています。仙石線は今も昔もありますが、昔は「宮城電気鉄道」という私鉄でした。当時は塩釜には国鉄の塩釜線と、私鉄の駅があったことになります。今は塩釜線は廃止され、仙石線は国有化され、JRの駅になったのに加え、複線化・高架化された際に、少し別ルートに付け替えされたのが、今の姿になります。その駅と、東北本線の塩釜駅が少し離れて存在する状況です。

今昔マップで見る、塩釜の街の新旧比較。

ということで、ちょっとややこしい変遷を経ている塩釜周辺です。その本塩釜駅周辺ですが、ここも東日本大震災で津波の被害を受けました。ご紹介する映像は、震災当日の本塩釜駅近くで撮影された動画です。(※津波の画像が出ますので、閲覧注意でお願いします。)

■仙石線で本塩釜駅へ

本塩釜駅。野蒜駅とは違い、近代的な高架駅です。
利用客も多いです。
石ノ森章太郎先生の出身地・石巻を結ぶ電車なので、
「マンガッタンライナー」が走ります。
塩竃神社の参道に当たる場所にある駅だそうです。

■本塩釜駅付近を歩く

駅前にある、塩竃神社の石灯篭。昭和初期のものだそうです。
今は仙石線本塩釜駅にありますが、昔の旧・塩釜線塩釜駅前にあったものだとか。
こちらは、大正13年の建立です。
【鹽竈町 開港場明神講中】とあります。
灯篭がある駅前の全景。
塩竃は、神社だけでなく、漁業の町でもあるのです。

■マリンゲート塩釜に向けて歩く

本塩釜駅から、港のあるマリンゲート塩釜に向けて歩きます。津波が襲来した港ですが、防潮堤を嵩上げし、マリンデッキ塩釜という、津波から避難もできる歩道橋が、イオンとマリンゲート塩釜の間に出来上がっています。

駅前にある、イオンです。最初に紹介した津波の動画に出ていたお店。
ここから、マリンデッキ塩釜が続いています。

このイオンから、船着き場である、マリンゲート塩釜との間を結ぶ歩道橋が、「マリンデッキ塩釜」です。このデッキは、津波から避難ができる観光施設として、整備されたものです。

マリンデッキ塩釜から、マリンゲートを眺めたところ。
沢山の人が避難できる場所として作られています。
マリンデッキから見た、塩釜港。
防潮堤は震災前と比べて嵩上げされたようです。
マリンゲートの中にある、お寿司屋さんで夕食を頂きます。
ふかひれの握りがついていたり、お吸い物に大きな牡蠣が入っていたりと、
とても美味しかったです。
こちらは、モウカザメのホシ刺し。
鮫の心臓の刺身だとか。塩釜でしか食べられなさそうな珍味。

本塩釜駅から港のほうに歩き、マリンゲート塩釜でいただいたお寿司とモウカザメの刺身。やっぱり塩釜に来てよかった、と思う一品でした。ここで前編はおしまい。後編は、少しマニアックな塩竃市内の夜のお散歩をしていますので、お楽しみに。

■終わりに

本塩釜駅前は、仙台の都市圏にも近く、スーパーやドラッグストアなども普通に営業していて、すっかり普通の生活ができる町になっている感じがありますが、東日本大震災の際は、津波で大きな被害を受けた場所でもあります。津波を教訓に防潮堤の嵩上げと津波からの避難デッキが整備されました。そういう場所であるということを改めて認識したうえで、美味しい海の幸を楽しみました。海の恵みと脅威は背中合わせであることを知った、塩釜の訪問でした。

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