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【南大沢土木構造物めぐり】No.78 丘を越える2つの細道をめぐる

前回の探索で、八王子市に合併される前の旧・由木村の中心に会った永林寺とその周辺を紹介しました。今回は、その永林寺周辺から丘を越えて北側に抜ける2本の細道を紹介したいと思います。

(前回の記事はこちら)

永林寺の左右にある、黒い線で書かれた丘を越える小径。左の地図は、1944~1954年の地図。当時と変わらず丘を越える細い道が今も通じています。

まずは西側の道を行きましょう。車一台がやっと通れる細い道が、集落よりも先まで延びています。

実に狭い道です。両側に石垣があるので、傾斜地の住宅を縫うように走っていることが想像できるでしょう。

住宅地よりも先まで道が続いています。さらに道は細く、暗い丘の上を目指します。舗装されて街灯があるので、今でも往来はありそうです。

さらに細くなり、峠道のようになってきました。よく見ると、この道路には、「通学路」の看板があります。この細道の主な目的は、「通学路」だったのではないかと思います。この地域の道路は、谷戸の尾根や谷に沿って通じていることが大半ですが、この小径は丘を突っ切る形です。車を通す目的があれば、もっと広い道に改良されているはずですが、そういう形跡も皆無です。隣の谷戸の集落から、丘を越えて、永林寺の隣にある小中学校まで、安全に子供たちを通学させたいという目的があったのではないでしょうか。そしてその用途は、今でのこの小径を現役の道路として活躍させることになっているのだと思います。

丘のてっぺんまで来ました。道を通すために切通を設置し、石積みが両側に並ぶ小径。昔からここに子供たちが通学するために通ったと思うと、何だか村の人たちの思いを感じずにはいられません。

良い感じに続く石積みの峠です。

左の道が、細道です。南陽台地区の団地の端に着きました。

珍しいマンホールを発見。八王子の「王」に小さい字で「うすい」と書かれています。このあたりも、意外と住宅開発が古くからおこなわれていたようです。

古い消火栓のマンホールがありました。時代を感じさせます。

東京薬科大学の前に来ました。のどかな風景とは少し異質な感じがします。

堀之内の上寺沢地区の農村風景。昔から変わらない風景が広がっています。

このあたりは畑地となっています。

2つ目の丘越えの道を歩きます。こちらも狭いですが舗装されている道です。先ほどの道と同様、由木中央小学校のほうに向かって伸びています。

やはり狭くて暗い切通部分の道。通学する児童などがいることもあり、昔からの道が守られているのではないでしょうか。

住宅地に入りました。擁壁だらけの急坂。なかなかすごい光景です。

坂を下った先に、由木中央小学校があります。やはりここまでの通学路としてこの道が維持されてきたのでしょうか。

【終わりに】
丘を越えてつながっている、2本の小径。学校に通うためという、今も昔も変わらない大切な役割を担っているように思えます。昔ながらの変わらない古い道が、地域の人たちによって守られてきたと考えると、非常に素晴らしいと思います。

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