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◎大阪・ディープな散歩◎①:西成区内を歩く

もともと出身が京都だったので、大阪は学生時代にも訪れていましたし、就職してからもちょくちょく出張等で訪れることもあったので、全く土地勘が無いわけではないですが、梅田やミナミのような繁華街や、ターミナル駅周辺しかあまり知らなかったので、あまりちゃんと街歩きをしたことが無かったなあと思いました。ということで、今回は天王寺界隈で少し時間ができたので、西成区内を歩いてみました。

■西成区内周辺は、どんな場所?

この地図は、今回探索した天王寺から新今宮、天下茶屋周辺の等高線図を国土地理院の地図で書いてみます。天王寺駅があるエリアは、いわゆる上町台地で、大阪城、四天王寺なども建っている場所です。ちなみに、天王寺駅は、関西本線の前身、関西鉄道が掘割構造でこの台地を貫き、そこに駅を作ったのが始まりなのだとか。

上町台地と、その西の低地。

上町台地の西側の低地には、「紀州街道」と呼ばれる古くからの街道があり、この付近から西側は、かつては海だったそうです。紀州街道の周りは多くの町人が住むようになり、「木賃宿」とよばれる安い宿が多く立地するエリアになりました。明治に入り、関西本線よりも北側(いまの浪速区)が大阪市に編入され、今の新世界や天王寺公園で内国勧業博覧会が開催され、歓楽街として発展したエリアと、その南側に木賃宿が移転してきて、日雇い労働者が多く住む町になった西成(釜ヶ崎周辺)という場所ができたそうです。日雇い労働者の街となった釜ヶ崎周辺は、暴動なども起き、治安が悪かった時期も長かったようですが、最近は簡易宿泊所だった宿がインバウンド向けの宿泊施設に変更されている場所もあり、新たな潮流もあるようです。

そんなエリアにかつて走っていたのが、南海天王寺支線です。かつては南海線が天王寺駅に乗り入れ、関西本線の前身・関西鉄道と連絡していました。貨物列車等が走った時代もありましたが、南海線の高架化などの影響で、段階的に廃止され、最終的には1993年に廃止されました。

今回は、こんな場所を探索しました。

■南海天王寺支線の廃線跡を訪ねて

上町台地を下っていく階段。大阪公立大学病院の横から。
階段を下ると、西成区・山王地区のノスタルジックな下町へ。
しばらく歩くと、「山王みどり公園」を発見。
これが、南海天王寺支線の廃線跡です。
阪神高速と廃線敷の交差部。
腕木式信号機(?)を模した街灯。
さすがにこんな真ん中に信号機は無い、ですね(笑)。
公園の出口。このあたりに、「飛田本通」の駅跡があったようです。
横切るのは、「動物園前一番街」のアーケード。
廃線跡は、いまだにフェンスで囲われた空地が多いです。
商店街は、独特の雰囲気が。
色んな示唆に富む書き込みがされた、商店街の仮囲い。
結構人情に厚い街である、という感じもしました。
その商店街に建つ、大阪人御用達の、
地元スーパーチェン、「スーパー玉出」。
店内の「チルド」「ヌードル」などのコーナーは
ネオンがついています。点灯しているところ、見てみたい!
廃線跡が横切る場所を振り返ったところ。
昭和にタイムスリップした気になります。
廃線跡の草むらが続きます。
堺筋に出てきました。
またしても、スーパー玉出(笑)。
すごいドミナント戦略です。
そして、そのスーパー玉出の脇を、かつての廃線跡が通過していました。
阪堺線が上を越える跨線橋があります。

かつて、ここに南海天王寺支線の「今池町」駅の跡がありました。今池町から天下茶屋駅までつながっていたのですが、天下茶屋駅の高架工事と、地下鉄堺筋線の乗り入れ工事を理由にこの支線は廃止されようとしたのですが、地元要望で天王寺駅~今池町駅までは、10年間の期限付きで残すことになったようで、しばらくはこの場所が終点の電車が走りました。

今池町駅跡。奥にアーケードがつながります。
阪堺電車の跨道橋。橋台はレンガ積みです。
阪堺電車今池駅に繋がる階段。
阪堺電車の今池駅。すごいレトロな感じがします。
築堤上ですが、向かいのホームは構内踏切で渡るスタイル。
何だかこの感じ、レトロで良いですね。
アーケード街が続く界隈。
南海線の廃線跡は、南西方向に斜めに進みます。
南海線の廃線跡が斜めに走り、碁盤の目の区画を横切った
形の場所に、釜ヶ崎の「三角公園」があります。

「三角公園」は、日雇い労働者の街である、釜ヶ崎のあいりん地区のシンボル的存在で、夏祭りが開かれたり、炊き出しがされたりしているようですが、炎天下の真夏の太陽のせいか、ほぼ誰もいない状態でした。

引き続き、廃線跡にはフェンスが。

先ほどの堺筋から先の廃線跡の地下には、地下鉄堺筋線が天下茶屋に延伸された際、廃線跡を利用して地下鉄が建設されたので、工事を行った後にフェンスで改めて囲った形のようです。

南海本線・高野線が見えてきました。
ちょっと寄り道します。

■南海高野線・萩ノ茶屋駅を訪ねる

南海線・高野線の複々線の高架下。
この区間までは、戦前に高架化が完成しています。
萩ノ茶屋駅。
高野線の各駅停車のみが停車する駅。
ひっそりしていましたが、インバウンドの姿もありました。

■天下茶屋駅を目指す

さて、再び天下茶屋駅を目指して南下します。

天王寺支線の廃線跡と思われる駐車場。
この辺りからは、新しい高架橋。
天下茶屋駅は、ある意味西成区の玄関口的存在。
南海線の天下茶屋駅。この駅は、
関西空港の完成直前の1993年に高架化が完成。
同じ高架下の反対側に、大阪メトロの天下茶屋駅。
濡れずに南海電鉄に乗り換えできます。

今までのちょっとディープな下町の雰囲気が、この付近は関空への主要乗り換え駅の雰囲気にがらりと変わりました。

■岸里玉出駅へ

さて、次は岸里玉出駅へ。

来年に迫った、大阪万博の「ミャクミャク」のマンホールが。
天下茶屋駅の南側には、少し広めの再開発ゾーンが。
ここは、南海天下茶屋工場の跡地。
今では、大阪フィルハーモニーの施設などが建ちます。
そして、高野線が左にカーブし、本線と分かれる場所へ。
その場所に、反対側から汐見橋支線が合流してきます。

岸里玉出駅は、かつて岸里駅と玉出駅に分かれていたのを統合した駅です。実は高野線の前身の大阪高野鉄道は、汐見橋がターミナルで、汐見橋から南海線を跨いで高野線につながるルートがメインルートでした。その後南海電鉄と合併し、難波駅につながるルートがメインルートに変化しました。その変遷は、このサイトを見ると面白いです。


高野線が分かれ、汐見橋支線が合流する付近。
結構ややこしい高架橋です。
高野線と本線、結構離れています。
両線の駅を結ぶ連絡通路が通ります。
結構不思議な空間です。
岸里玉出駅は、両線と汐見橋支線の結節点ですが、
ちょっとひっそりした雰囲気です。

■天神ノ森と、阪堺線

さて、阪堺線を目指して少し歩きたいと思います。

阪堺線は、旧街道に近い古い市街地沿いに走ります。
その手前にあるのが、「天下茶屋」跡です。
豊臣秀吉が堺に行くときに立ち寄った茶屋跡だそうです。
そしてこちらが、紀州街道。
豊臣秀吉が堺を往来するときにも使った主要街道です。
そこに建つのが、天満宮です。
境内には、「天下茶屋仇討ち供養塔」なるものが。
豊臣秀吉の死後の秀頼方と徳川方との競り合いの時代の物語です。
そしてその天満宮のすぐ裏手に、踏切があり・・、
天神ノ森駅があります。何だかすごく良い感じの場所です。
駅には壁画が施されて、とても良い感じでした。

■東玉出駅を目指す


紀州街道を跨ぐ、南海高野線と岸里玉出駅のホーム。
線路の部分は古いままの橋のようです。
阪堺線の橋。高野線との交差部はレンガ橋台のようです。
そして、ここから紀州街道上の併用軌道になる阪堺線。
東玉出駅は、こんな感じ。反対ホームは安全地帯がありますが・・、
こちらは、この白線内が停留所です。

安全地帯が無い電停、なかなか驚きの姿ですが、こんなレトロな雰囲気を残す阪堺電車です。今回はここまで。

次回は、阪堺電車に乗って終点の恵美須町を目指します。

■終わりに

大阪・西成区。JR関西本線の線路から南側に広がる地域は、なかなか興味深い場所が沢山ありました。自身が学生時代の頃は、バブル景気が崩壊した頃だったりで、西成といえば暴動が起きたり、治安が良くない雰囲気を持っていましたが、今では随分状況は改善したようです。とはいえ、まだ今もちょっとミステリアスな雰囲気を残しつつ、安くて妖しいお店や、インバウンドの方々もいる、色んな魅力を放つエリアに生まれ変わっています。今回は短い時間での滞在でしたが、もう少ししっかり回ってみたいと思いました。

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