見出し画像

■静岡での少しばかりの街歩き(前編:駿府城跡を目指す)

先日は、仕事で訪れた甲府駅前の少しばかりの街歩きをした様子をレポートしました。(前回の記事はこちら)。今回は、また別の日に仕事で訪れた、静岡駅前で少し歩いてきましたので、その模様をお伝えしたいと思います。

■静岡という街

静岡市は、甲府市と同じく静岡県の県庁所在地です。甲府市と実は似たところがいくつかあります。それは・・、
 ①駅前に城跡がある。
 ②城下町でありつつ、実は宿場町でもある。
 ③甲府は「甲斐の府中」の略称、静岡の昔の地名は、「府中」。
 ④で、いまは県庁所在地になり、地域の中心都市として栄えている。

というような共通点があり、2つの街はかなり似たところもあるのではと思います。今昔マップで昔の静岡駅周辺を観てみると・・、

今昔マップでみた、昔の静岡駅周辺。

駅の少し北側にあるのが、駿府城跡です。駿府城があり、城下町は東海道の宿場町で、いくつかの街道が合流して栄えた町の外れに、鉄道の駅ができた、というのがこの街の発展の歴史のようです。

■静岡駅付近を歩く

ということで、静岡駅前を少し歩いてみました。

静岡駅の駅ビル。なかなか活気ある商業施設です。
こちらは、今川義元と、竹千代(家康の幼名)の像。
戦国時代の静岡の主要登場人物、ですね。
静岡駅付近は、地下道が発達しています。
ペデストリアンデッキの代わりに、地下道が発達した街です。
地上に出てみました。駅前のメインストリート、御幸通り。
今川義元公生誕500年記念マンホール。
こちらは、静岡市のマンホールのカラー版です。
江川町交差点。御幸通りと東海道と北街道が交わる、
古くからの静岡の中心と言っても良い交差点です。

■駿府城跡へ

そして、交差点を越えた先に見えてくるのが、駿府城跡です。
城跡の中には、静岡市立城内中学校が。
そのまんまやんけ・・というネーミングの学校です(笑)。
戦前は軍の施設だった駿府城跡。
公園の周囲は、今では学校や県庁など、公共施設が建ち並びます。
静岡市歴史博物館がある場所には、
駿府城代邸跡の石碑が。
そして、もう一つ石碑がありましたが・・、
これは、静岡市立青葉小学校がかつてあったことを示す石碑。
そして、内堀と、城跡っぽい建物(東御門跡)が見えてきました。
こちらは平成に入ってから復元されました。
なかなか趣のある櫓が復元されています。
お城の中は、駿府公園になっています。
かつての城内を紹介する屏風型の説明板。
駿府城天守台発掘調査、なるものが実施されています。

駿府城の天守台部分は、今川義元の時代、豊臣秀吉の時代、徳川家康の時代にそれぞれ異なっているようで、さらには明治時代に廃城になり、日本軍の施設になった際に天守台が崩され、堀を埋めた経緯もあり、発掘調査が行われています。

なかなか興味深い発掘現場のようですが・・、
残念ながら観覧時間を過ぎていたので、外観からの見学のみです。
天守台跡の隣には、マロニエ園という、静岡の発展を支えた英雄の石碑コーナーが。
この方は、杉山彦三郎さん。
静岡のお茶の品種改良などに務めた方です。
こちらは、青島みかんの生みの親とされる、青島平十さんの記念碑。
こうやって見ると、静岡って農業で栄えたのですね。
こちらは、宮崎通之助さんの銅像。
静岡市長で、特に上水道事業を完成させた功績を讃えた石碑だそうです。
こちらは、増田茂さんの銅像。
静岡市長として、戦後復興の基盤を気づいた築いた功績を讃える銅像だそうです。

こうやって見ると、農業とか、土木と言ったキーワードが、特に昔の人たちからは大きな功績として讃えられていたことがわかりますね。

そして、こちらは発掘作業の現場の前に建つ、徳川家康像。
発掘の現場。日中は一般公開しているようです。
中を観れなかったのはちょっと残念・・。
色んな時代のお城の遺構が残されている様子でした・・。
お城の西門を渡ります。
お堀の周りには、学校や病院などが建ちます。
なかなか楽しい城跡めぐりになりました。

前編のレポートはここまで。後編では、城跡の一部にある、静岡県庁と静岡市役所のレトロな建物や、静岡鉄道の新静岡駅などを訪れていますので、お楽しみに!

■終わりに

静岡駅から駿府城跡を目指したプチ街歩き。駿府城は明治時代に廃城になり、一時的に軍施設になった場所を戦後に公共施設が建つ場所に整備したエリアであり、当時の施設はあまり残っていないようですが、最近の発掘調査で過去の遺構なども少しわかってきたようです。城跡の独特の雰囲気を残す公園、なかなか楽しい散策でした。後編もお楽しみに!

いいなと思ったら応援しよう!