【鉄道と舟運の意外な関係】東京都心の昔の貨物駅の共通点
鉄道に乗って旅をしたり、列車から降りて知らない街をブラブラと街歩きをしたりするのが好きです。そういう場所で見つけた、予想しなかったスポットを見つけることが、趣味といっても良いでしょう。最近は、都心の船の上から舟遊びをすることを楽しんでいて、船上から「街歩き」をする体験をしています。舟遊びは、ご縁があってこちらの「みづは」さんの船に乗り、日本橋川や神田川、その他運河などを巡り、これは楽しいと思っているところです。
(みづはさんの船での「街歩き」の記録)
日本橋川や神田川などを船から見ると、いつも見ている景色も随分違って見えることが多く、新たな発見の連続です。そういう舟遊びの途中でも、なぜか気になるのが、「鉄道」なのです(笑)。
それで、色々と鉄道と船の関係を調べていると、実はとっても面白い関係を発見しました。今回は少しこの関係をご紹介したいと思います。
■鉄道の敷設される目的は?
鉄道が敷設された目的と聞くと、たいていの人は、「たくさんの人を早く運ぶため」ということを思いつく方が大半と思います。がしかし、鉄道も舟運も、実は昔は主役は「荷物」であり「貨物」でした。鉄道も船も、貨物輸送という意味では、東京の都心ではすっかり主役の座をトラック輸送に譲って久しいと思います。ただ、東京の鉄道路線と、「鉄道貨物」「舟運」を結びつけると、何か見えてくるものがあると思います。例を挙げながら紹介したいと思います。
■1 甲武鉄道のターミナル・飯田町駅
甲武鉄道は、今の中央本線の前身です。新宿から八王子までをまず開通させた後、都心へ乗り入れる際にまず選ばれたのが、飯田町というターミナルです。飯田町とは、今でいう飯田橋駅と水道橋駅の間にあります。今昔マップで戦前の飯田町駅と比べてみると・・、
現在では、「ホテルメトロポリタンエドモント」など、いくつかの再開発ビルが建ち並ぶ地区に再開発されています。
この場所、「地図・空中写真閲覧サービス」から、1948年頃撮影された航空写真を参照してみると・・、
そう、飯田町駅は、すぐ横に日本橋川が流れていて、鉄道で運ばれた貨物を船に積み替えることができる場所、なのです。
(この街を歩いた記録)
そう、鉄道貨物を積み替えられる場所=貨物駅、という観点で少し貨物駅があった場所を紹介します。
■2 総武鉄道のターミナル・両国駅
両国駅は、総武本線の前身、総武鉄道がターミナル駅とした場所です。1970年代に総武快速線が東京駅まで開業するまでは、ここが急行列車等のターミナル駅であり、今でも駅舎が現存しているので、そのイメージが強いですが、敷地の北側に貨物駅もありました。
(この地区を歩いた記録)
■3 日本鉄道の貨物駅・秋葉原駅
実は、今では貨物駅があったことがなかなか想像できない、秋葉原駅も、かつては貨物駅でした。東北本線や高崎線を走らせた、日本鉄道という私鉄のターミナルは、上野駅だったのですが、貨物列車は神田川の舟運を頼りに、秋葉原まで線路を伸ばし、ここに貨物駅を設けました。
この図は、土木学会のデジタルアーカイブスにある、「市街高架線東京萬世橋間建設紀要」という図書の電子版に収録されています。先に開業した中央線の工事のことが中心に入っているのですが、そこに秋葉原貨物駅の当時の様子がしっかり記されていました。
航空写真、探してみたら・・やはりありました!時代は不詳のようですが、陸軍撮影の戦前の写真です。まだ総武線が建設中のようなので、昭和初期の貴重な写真のようです。
現在のこの水路の様子、こんな感じです。
(この地区を歩いた記録)
■4 東武鉄道のターミナル・業平橋駅
そして、私鉄にも貨物駅がありました。それは、東武鉄道の業平橋駅。ここは、明治時代の東武線の始発駅。なかなか都心に進出できなかった東武が作ったターミナルです。昭和に入ってから、旅客列車は浅草駅へ進出を果たしますが、長い車両は入れないので、その後も業平橋発着の電車がありました。そこに貨物駅もあり、北十間川などの舟運とつながっていました。
今の姿は、言わずと知れた、こちらです。
(このを地区を歩いた記録)
■終わりに
都心にかつてあった貨物列車が到着するターミナル駅は、いずれも少なくとも戦前には船の発着場が併設されていて、舟運と鉄道の連携が行われていました。今では鉄道貨物輸送も、船での荷物輸送も都心部では姿を消した感がありますが、セメントや砕石、魚などの食品などが運ばれてきたりと、この街の発展には欠かせない重要なインフラでした。そういう目線で鉄道の発達史に少し目を向けるのも、また楽しいものだと思います。