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【南大沢土木構造物めぐり】No.27 鉄道の土木構造物を眺めてみる

この写真は、No.2で紹介した、見晴歩道橋から見た、京王相模原線の光景です。線路の脇には、コンクリートの法面工が両側に配置されています。なぜこんな光景になるかといえば、もともとの地盤面より線路が低い位置に位置しており、線路は原地山を切土する形になっているからです。線路の両側の元の地盤面よりも低く線路を通す必要がある場合、元の地盤面を「切土」し、切土した法面を固めるために、両側に「法面工」が施工されているのです。鉄道は道路と違い、急坂を簡単に昇降できないため、道路よりも比較的大規模な「切土」「盛土」が発生しやすいと思われます。表紙の写真は、典型的な「切土法面」で、線路は切土法面を伴いながら、尾根の頂上近くでトンネルに入り、多摩境駅に向けて線路は走り抜けていきます。

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この写真を見ても、南大沢駅の西側(多摩境駅側)は、かなり大規模な切土工が施工されたことが推測されるような法面工が一面に広がる風景になっています。

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南大沢駅付近も、西側は擁壁が続く風景となっており、切土法面が広がっています。一方の東側はというと、今度は鉄道線路が高いところを走るようになります。今度は盛土工です。つまり、鉄道の線路が許容する勾配よりも、南大沢付近の地形は勾配が急なのです。線路も京王堀之内駅に向かってそれなりの勾配で高度を下げていきますが、周辺の地形は谷戸が刻む沢の底を目指してさらに急勾配で高度を下げていきます。盛土は次第に高さを増していきます。盛土高が増すと、広い用地が必要になりますので、道路があると用地に収まらないので、擁壁を併用する形に変わっていきます。そして、とうとう擁壁だらけになり、最後には土構造物で線路を通すよりも、高架橋にしたほうが効率的(谷底に道路があるからという理由もありそうですが・・)なところにやってきます。このように、鉄道線路を通すというのは、元の地形がどんな形で、どこに線路を通すか、どんな勾配で線路を通すか、盛土・切土のバランスはどうか?(切土した土をすぐ近くの盛土に用いるのが理想形だとされています。)構造物はどんな構造にするか?などを決めることが設計のポイントになります。

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沢を横断する部分は、高架橋になっています。高架橋も、比較的たくさん橋脚が建ち、上の桁と一体構造になっている、「ラーメン橋」と、道路を横断する部分のように、あまり橋脚を建てられず、スパンを飛ばす必要があるところは、「単純桁」構造になっています。

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ここも道路を横断する部分なので、桁橋になっています。橋脚が斜めに配置されているのがポイントの橋です。

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大きい道路をまたぐ橋は、桁がかなり大型化されています。列車荷重は道路と比べても重く、橋のたわみも小さくする必要があるため、桁が大きいのが特徴と言えるのではないでしょうか。桁が大きい橋なので、桁に「京王 相模原線」と書かれています。意外とそういう橋、よく見かけますよね。

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こちらはラーメン橋の部分。柱が黒っぽい色になっているのは、耐震補強されているのでしょう。阪神淡路大震災などの大規模地震で、柱がせん断破壊という壊れ方で高架橋が破壊した経験を踏まえ、柱を鉄板で巻いて補強しています。

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そして、谷底を通り過ぎた線路は、再び土構造物の区間となります。擁壁がある、高い盛土を行った区間に変わっていきます。

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この盛土区間を、No.14で紹介した、南大沢大橋から見てみましょう。右側はもとの地形が残るところがあり、元の地形に腹付けして線路の平地を作ったのではないかと思われます。線路は、京王堀之内駅に向けて急勾配で高度を下げ、一旦再び高度を上げ、また高度を下げるような線形になっています。鉄道線路の設計も、なかなか奥深いものがあるのではないかと思います。

【終わりに】
今回は、鉄道線路沿いに歩き、切土法面や盛土工、擁壁工、高架橋(ラーメン、桁橋)という鉄道構造物を見てきました。もともとの地形をイメージしながら、鉄道構造物を眺めると、昔ここはどんなところだったか、なぜこんな構造物ができたのか、ということが、何となく推察することができます。鉄道や道路の設計をするというのは、かなり奥が深く、設計で熟考された末に線形が決まり、この構造物ができていることを少し想像してみました。
土木構造物を眺めながら、少しでも設計者の思いが見えてくると、構造物を見る楽しさが加わってくると思います。

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