東日本大震災の災害遺構を訪れる:旧・仙台市立荒浜小学校へ
今年の元日に能登半島を襲った地震。土木の仕事に従事する身にとっては、地震で壊れない構造物を作ることが使命と思いつつ、地震で壊れてしまったものを見たり、検証したりして、次に同じような災害が起きないように考えることも、また重要な経験だと思っています。
東北地方に行ったときには、もし少しでも時間があるのであれば、被災地に目を向けることを行っています。今回は、仙台市内で津波災害遺構として保存されている、仙台市立荒浜小学校の遺構をご紹介します。
■荒浜地区の紹介
仙台市立荒浜小学校は、仙台市若林区にかつてあった小学校です。小学校があった荒浜・深沼地区は、江戸時代に開削された、「貞山堀(貞山運河)」に沿った港町としても栄えた、古くから多くの人が住む集落で、小学校も長い歴史を有しています。東日本大震災の際は、この地区に大津波が襲来し、地区は壊滅状態となりました。津波が襲来した際に、地域の住民がこの小学校に避難し、ここで生き延びることができた、という場所でもあります。
荒浜地区付近の標高を見るために、国土地理院の地形図にある、自分で作る等高線の図面で、標高をプロットしてみました。海岸線にちょっとした微高地の砂丘があり、その背面に低地があり、そこに荒浜地区があります。砂丘と低地の境目に、ちょうど貞山運河が走る形になっています。
東日本大震災の津波浸水域のコンターを重ねてみると・・、
仙台東部道路の西と東で景色が一変する、という状況でもあります。そんな場所を少し見てみたいと思います。
■地下鉄荒井駅からスタート
荒井駅は、仙台東部道路の少し西の、標高も少し高い地区にあります。ここは、荒浜地区などの津波で浸水した集落の集団移転先として整備されました。地下鉄東西線の開通もあり、新しい街が出来上がっていきました。
荒井駅の駅舎内には、「せんんだい3.11メモリアル交流館」という震災伝承施設があります。
メモリアル交流館にある、おびただしい付箋。これは実は、この地区がどんな街かを1枚1枚が教えてくれているボード。下地に描かれたクリエイターさんの絵も素敵なのですが、さらにたくさんの情報が入って、見飽きることがありません。
2016年当時の絵はこんな感じ。その当時も良いですが、ギッシリ書かれた思いを見るのもまた素敵です。
■荒浜小学校遺構へ
■終わりに
東日本大震災から、間もなく13年。被災地の姿は次第に変化を遂げ、だんだん被災前の姿を想像することも難しくなっている場所も少なくありませんが、この場所だけは、あの日のまま残されている、というのが、実は大事なのかもしれません。この場所は、震災を伝承する役割だけでなく、この場所の震災前の姿を刻む場所でもあると思いながら訪問しました。
そういう姿を、未来に残すことも重要だと思います。