★乙訓さんぽ★ 大山崎~向日町 JR京都線の線路沿いをめぐる
年末年始に京都の実家に帰省した際、実家付近の激アツスポットを散策しました。前回は、実家のある京都市伏見区羽束師地区を横切る、「久我畷」という古道の跡をたどりました。(前回の記事はこちら)
今回は、久我畷が西国街道と交わる、大山崎町から、JR京都線(東海道本線)の線路沿いに向日町駅方面に向かいたいと思います。
■1 大山崎町内の線路沿いを行く
まずは、大山崎町内の地図を、今昔マップで見てみましょう。
そして、この高速道路を抜けると、古くからある円明寺集落です。
この円明寺集落の中を突っ切るように通る東海道本線。そこに面白い構造物があります。
このレンガアーチ橋、今でも歩道として供用されています。複々線の線路をくぐるので、とても長いです。大人は背を屈めないと歩けない小ささですが、ご覧の通りちゃんと照明もついています。
そして、このレンガ、線路に対して斜めに交差しているので、斜交するレンガアーチで行われる、「ねじりまんぽ」という技法が用いられています。
さて、少しずつ線路沿いに長岡京方面に向かいます。
この小泉川を渡ると、長岡京市に入ります。
■2 長岡京市内の線路沿いを行く
長岡京市内に入っても、こんなアンダーパスが。こうやって見ると、昔から盛土を貫通する小さなアンダーパスがいくつかあったのでしょうね。
この老ヶ辻橋梁、犬川という、小畑川の支流に架かる橋梁です。140年以上の歴史がある橋。先ほどの円明寺架道橋も含めて、土木学会の「選奨土木遺産」に選ばれています。
犬川には、歩いて渡れる飛び石があるので、橋梁の真下に行くことができます。
長岡京市内には、もう1箇所、土木遺産の橋梁があります。そこは、自身が最寄りの駅と実家までの移動ルート上にある、とても身近な場所。過去にもご紹介したものですが・・、七反田架道橋です。
実は、老ヶ辻橋梁と七反田橋梁は、かつてはどちらも「避溢橋」というジャンルの橋でした。この付近の東海道線の線路は、盛土構造が連続するため、洪水が発生した時に上流側がダムのように浸水してしまいますが、これを設けることで、下流側に水を逃す、という機能を持った構造物です。
■3 向日市内の線路沿いを行く
さて、夕暮れ時ですが、向日市内に入りました。
向日町駅の東側。実は実家はJRに乗るならこの駅のほうが近いかもしれないのですが、駅東側に何もなく、とても不便なので、どちらかというと長岡京駅を利用していました。この再開発ができると、ちょっと人の流れが変わるかもしれません。そんな駅の東側へのアクセスルートが、これでした。
この踏切、人が横断するのは、距離が長く、途中で遮断機が下りて取り残される恐れもあるので、すぐ横にはアンダーパスもあります。歩行者・自転車はアンダーパスを通ることが推奨されています。踏切として今も残っていますが、再開発が進んだら、今後変わっていくのかもしれませんね。
■終わりに
大山崎から向日市まで、JR東海道線の線路沿いを行きました。土木遺産にもなっている、古いレンガアーチ構造物や、小さな踏切、古墳、旧街道など、様々な面白いものが眺められる場所です。といいつつ、京都の名所旧跡と比べると、あまり知られていない場所なので、もっと知ってもらえると良いかと思いました。