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★乙訓さんぽ★ 大山崎~向日町 JR京都線の線路沿いをめぐる

年末年始に京都の実家に帰省した際、実家付近の激アツスポットを散策しました。前回は、実家のある京都市伏見区羽束師地区を横切る、「久我畷」という古道の跡をたどりました。(前回の記事はこちら)

今回は、久我畷が西国街道と交わる、大山崎町から、JR京都線(東海道本線)の線路沿いに向日町駅方面に向かいたいと思います。

■1 大山崎町内の線路沿いを行く

まずは、大山崎町内の地図を、今昔マップで見てみましょう。

大山崎町付近の今昔マップ。円明寺集落を跨ぐ東海道本線。
今の地図では、大山崎JCTの存在感がすごいです。
西国街道沿いにある小学校。とび太くんがお出迎え。
名神高速道路を横断します。
このあたりは8車線化されているので、なかなか存在感のある高速道路。

そして、この高速道路を抜けると、古くからある円明寺集落です。

旧街道のムードの残る、円明寺集落。
少し先にJR東海道本線の架道橋が見えます。

この円明寺集落の中を突っ切るように通る東海道本線。そこに面白い構造物があります。

本当に小さな断面の「円明寺架道橋」です。
このレンガアーチ部分は、明治9年の開通当時からのものだそうです。

このレンガアーチ橋、今でも歩道として供用されています。複々線の線路をくぐるので、とても長いです。大人は背を屈めないと歩けない小ささですが、ご覧の通りちゃんと照明もついています。

そして、このレンガ、線路に対して斜めに交差しているので、斜交するレンガアーチで行われる、「ねじりまんぽ」という技法が用いられています。

ねじりまんぽで構成された、美しいアーチ。
下半分は、石積み構造になっています。
複々線の西側2線は、昭和時代に線増されました。
この部分は、コンクリート製のカルバート構造です。
恐らく、この架道橋の主役は、右の水路なのでしょう。
水路用の線路横断構造物に、人を通せるようにしたのが、こちらのようです。
こちらがそのカルバートの出口。
普通に横断するだけで、探検ムード満点です(笑)。

さて、少しずつ線路沿いに長岡京方面に向かいます。

こちらは、西国街道とJR線の交差部。
この橋もなかなか古そうですが、明治時代からのものではなさそうです。
東海道線が小泉川を渡る橋。
この川は河川改修されているのか、ちょっと新しそうな橋です。

この小泉川を渡ると、長岡京市に入ります。

■2 長岡京市内の線路沿いを行く

長岡京市内に入っても、こんなアンダーパスが。こうやって見ると、昔から盛土を貫通する小さなアンダーパスがいくつかあったのでしょうね。

高さ1.5m制限。今はもう立入禁止です。
入口から覗いてみました。奥はアーチです。
このへんも円明寺架道橋と同じですね。
そして、すぐ近くには、京都第二外環状道路改め、京都縦貫自動車道。
地元民には、「第二外環」という名前のほうがしっくりきます。
京都縦貫道と、田んぼと、サントリービールの工場。
それが、この付近の風景。
こちらは、この地域の幹線道路、
府道奥海印寺納所線とJRとの交差部。
その近くには、こんな小さな踏切が。
調子踏切。まだ残っているところがすごいです。
小さな踏切と、ビール工場と、天王山。
もう少し進むと、JRを跨ぐ跨線橋が。右側は、立命館中学・高校。
そして左には・・
恵解山(いげのやま)古墳 という、前方後円墳があるのです。
古墳の公園には、埴輪などもあり、ちょっとした楽しいスポットです。
埴輪が発掘されたことを記した説明板。
山崎の合戦(豊臣秀吉VS明智光秀)でも、戦場になったとか。
そして・・もう少し北に進むと・・、
明治9年にできた、老ヶ辻橋梁があります。

この老ヶ辻橋梁、犬川という、小畑川の支流に架かる橋梁です。140年以上の歴史がある橋。先ほどの円明寺架道橋も含めて、土木学会の「選奨土木遺産」に選ばれています。

犬川には、歩いて渡れる飛び石があるので、橋梁の真下に行くことができます。

この角度で眺める古い橋。とても素晴らしい。
アーチ部を下から眺めたところ。
レンガ構造物がいまだにバリバリ現役です。
こちらも、西側の2線は、線増された部分で、
コンクリート構造物です。
コンクリート構造物とレンガアーチとの接合部。
上流側だけ、船の舳先のようになっています。
電車の通過を見届けます。140年以上の間、
高速で走り抜ける電車を支え続けているとは、すごいです。

長岡京市内には、もう1箇所、土木遺産の橋梁があります。そこは、自身が最寄りの駅と実家までの移動ルート上にある、とても身近な場所。過去にもご紹介したものですが・・、七反田架道橋です。

今も変わらずそこにある、七反田架道橋。
こちらは、歩道からアーチを観察することができます。
老ヶ辻橋梁と同じように、こちらもアーチ部に舳先のようなものが。

実は、老ヶ辻橋梁と七反田橋梁は、かつてはどちらも「避溢橋」というジャンルの橋でした。この付近の東海道線の線路は、盛土構造が連続するため、洪水が発生した時に上流側がダムのように浸水してしまいますが、これを設けることで、下流側に水を逃す、という機能を持った構造物です。

■3 向日市内の線路沿いを行く

さて、夕暮れ時ですが、向日市内に入りました。

向日町の操車場に向かう回送線の、「堀の内踏切」。
運よく、ちょうど回送列車が通過していきました。
私を鉄道少年に仕立て上げた(笑)、地元にあった操車場。
実家に近いので、今でもちょくちょく来訪します。
今回は、何だか検査用車両に多く出くわしました。
入換用のDE10という、赤いディーゼル機関車を発見。
今では結構珍しい存在になっています。
レール輸送専用の貨車。
この操車場の北側に、レール運搬基地があります。
レール運搬基地は、門型クレーンが並ぶのが特徴的。
このゲートから、トレーラーでレールを搬入するのでしょうかね。
向日町駅の東側。区画整理事業が進みます。
今はアクセスが悪い場所ですが、駅東口ができると変貌するのでしょうか。

向日町駅の東側。実は実家はJRに乗るならこの駅のほうが近いかもしれないのですが、駅東側に何もなく、とても不便なので、どちらかというと長岡京駅を利用していました。この再開発ができると、ちょっと人の流れが変わるかもしれません。そんな駅の東側へのアクセスルートが、これでした。

JRの複々線だけでなく、操車場への入出庫線も渡る、「深田川踏切」
線路10本を渡る踏切。なかなか圧巻です。

この踏切、人が横断するのは、距離が長く、途中で遮断機が下りて取り残される恐れもあるので、すぐ横にはアンダーパスもあります。歩行者・自転車はアンダーパスを通ることが推奨されています。踏切として今も残っていますが、再開発が進んだら、今後変わっていくのかもしれませんね。

この、開かずの踏切が開くのを待っていたのが、
少年時代のワンシーンだったかもしれません。

■終わりに

大山崎から向日市まで、JR東海道線の線路沿いを行きました。土木遺産にもなっている、古いレンガアーチ構造物や、小さな踏切、古墳、旧街道など、様々な面白いものが眺められる場所です。といいつつ、京都の名所旧跡と比べると、あまり知られていない場所なので、もっと知ってもらえると良いかと思いました。

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